アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#86
2020.07

小さいこと、美しいこと

3 「美の基準」とともに、まちの物語を編みつづける  神奈川・真鶴町
2)消費ではなく、循環させるための仕事
映像作家・松平直之さん1

「美の基準」に関心を持つひとは多く、真鶴にやってくるきっかけになることもある。
映像作家の松平直之さんもまた、「美の基準」に惹かれるひとりだ。まちをPRする映像制作を引き受け、真鶴に通うようになったのが2016年。半年にわたって、時にはまちに長く滞在しながら、ひとに話を聞き、まちを歩いて体感した風景を映像に残してきた。
まちやひとと深くふれあうなかで、松平さんは家族とともに移住を決めた。東京の都心から真鶴へ、距離的には近くても、生活と仕事は大きく変わる。
地方自治体の映像制作も仕事のひとつの柱としている松平さんは、多くのまちや地域に滞在してきた。そんな松平さんが、真鶴に惹かれた理由ははっきりしていた。

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松平直之さん

———ひとつはコミュニティが小さいこと。もうひとつは「ひと」ですね。真鶴を好きになったのもそうだし、ここで暮らしたら楽しそうだなって思ったきっかけも、ひとです。
小さい地域はどこもそうだと思うんですけど、都会にいるときと比べて友達になれる幅が広い。小学生からおじいちゃん、おばあちゃんまで仲良くなれる。業種も酒屋さんから宿のおかみさんとさまざま。東京だと知り合うのは同じ業界のひとが多いし、年齢も自分±10歳ぐらい。それが当たり前だったんですけど、真鶴に来て驚きました。地域ってこんなに面白いんだって。こっちに通っているうちに都内よりもこっちの友達が多くなって、ここに住んだら面白いんだろうなって思い始めたときに、すごいタイミングで気に入った家が見つかったので、その流れに乗りました。

松平さんの家は高台にある。海を見渡せる、真鶴の魅力をぞんぶんに味わえる場所だ。大家さんは、前号で取り上げた酒屋「草柳商店」のしげさん。撮影に通うあいだ、さまざまなひとと交流し、風景に向き合いながら、このまちになじんでいったのだ。
こちらに来てからは、仕事と生活の質ががらりと変わった。そこには、真鶴のコミュニティのサイズ感が大きくかかわっている。

———政治にしろ経済にしろ、まちの骨格が見えやすくて把握しやすいんです。自分のまちだなって感じられるのが、このぐらいの規模なんだと思います。こっちにいるとあんまり携帯電話がいらないんです。例えばあーちゃん(草柳商店しげさんのお母さん)に言ったら、もう誰かに伝わっている。「あの話だけど」って言うと「それ、もうあーちゃんから聞いているから」みたいな。

真鶴のコミュニティは小さいが、人間関係はさほど密ではなく、適度に風通しもよい。SNSに頼らずとも、口づてに情報も伝わっていく。どこか昭和的なコミュニケーションは、ひとを健やかにもする。

———まちを歩いていてすれ違うひとは、みんな顔見知りだから安心安全だし、一緒にまちのことを考えていける。東京だと仕事のことを一緒に考えていけるっていうのはあると思うんですけど、ここでは暮らしを一緒に考えていける。家族だけじゃなくて地域のひとと、っていうのがすごく面白い。
暮らしのなかで、お裾分けとかもまだ残っていて。魚と野菜とか、うちだったら夏ミカンとか金柑、ミョウガ、フキとかいっぱいできるんで、お互い渡し合ったりとか。そういうのもすごくいいなと思っています。

そうした「物々交換」は、仕事においても自然に行われているという。

———僕は映像をつくるのが仕事ですが、ずっと商業の映像、CMとかミュージックビデオなどをやっていたから。賞味期限の短い映像しかつくってこなかった。地域をテーマにした映像をつくると、もっと賞味期限が長いし、みんなで集まれる場所をつくることもできる。例えば、まちをPRする映像をつくりましょうとなったら、地域のみんなで集まってどうやってつくろうかと考える。そうやって完成したものを、またみんなで観て新たな魅力を発見できたりとか。そして、集まったことが思い出になったりとか。
そうやって学びや暮らしに直結した映像がつくれると思ったし、映像でも物々交換ができるんじゃないかなって。例えば(前号で紹介した)しげさんのミュージックビデオをつくったから、たまにお酒をおごってもらえるとかね。まさか映像でそんなことができるなんて思っていなかったから、自分にとっては大きいことなんですよ。自分の持っている能力を消費するためじゃなくて、循環するために使えるっていう。うれしいことだったので、どんどんそういう考え方に変わっていきました。昔はそんなこと考えたこともなかったですよ。消費する・されるのが当たりまえだと思っていたから。

消費するのではなく、ものごとを循環させるために自分の能力を使う。映像制作という技術も、美味しい野菜のように、ひとに喜ばれる豊かな「産物」だったのだ。
身近な経済圏に自身の仕事が組み込まれ、それが人々の生活の役に立つ。
都市にいたときとは異なる仕事のありかただ。しかし本来、仕事とはそのようなものではないだろうか。

———大事にするべきことを、都会にいるから忘れていただけなんじゃないかって思いましたね。都会だと、選択しなきゃいけないものが多すぎる。消費するために迷っている時間って人生のなかでものすごく多くなるんじゃないかと思うんですけど、ここでは選択肢が少ないので悩まない。それ以外のところを豊かにすることを考えられます。映像のつくり方も変わってきたし、素の良さを引き出した映像をこれからもつくっていきたいなって理想が生まれています。

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高台に建つ松平さんが借りている家。真鶴出版の川口さんが「好きそうな家がありますよ」と教えてくれた物件は、撮影に通うあいだ松平さんが住むなら、こんな家に住みたいなと思っていた家だった。さらに家主は草柳商店のしげさんだった、という偶然 / たわわに実る果実を収穫したら、ジャムにしたり柑橘ピールのチョコレートがけをつくったり。手と体を動かす、忙しい生活だ