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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#25
2015.01

工芸と三谷龍二

後編 生活工芸から、その先へ
4)名づけるなら、それは「生活工芸」だった

三谷さんは「クラフトも民芸も垣根はない」といって、一般に通じやすい「工芸」を使い始めた。そのうちに、「工芸」のなかでも、三谷さんたちの輪郭をよりはっきりさせる名前が、いつのまにか広まっていた。それが「生活工芸」である。
生活工芸が初めて打ち出されたのは、金沢の「生活工芸プロジェクト」が企画した「生活工芸」展(金沢21世紀美術館)だったのではないだろうか。2010年のことである。金沢在住のガラス作家・辻和美さんがチーフディレクターとなり、進められたプロジェクトだった。スタイリスト、作家、デザイナーなど18人を選定し、その方たちが生活工芸品だと考えるものを展示したのである。

2010poster

「生活工芸」展(2010)の会場風景

「生活工芸」展(2010)の会場風景

辻さんはその前の年、「工芸の五月」で松本に招待されており、逆に生活工芸展には三谷さんがセレクターのひとりとして招かれ、辻さんと対談もしている。三谷さんは金沢のほうから「工芸の五月」のようなことを金沢でもやりたい、と相談を受け、同じことをしても仕方ないから、違うことを考えましょうと「生活工芸展」を提案したのだった。
ではいったい、生活工芸とは何か。三谷さんはこう説明している。

‥‥‥2000年に入った頃から、そのようにして日々の暮らしを大切にする人が増えていきました。
「生活工芸」や「生活骨董」という言葉が使われるようになったのも、この頃からでした。それまで一部のマニアのものだった工芸や骨董を、生活者の側から捕らえ直し、生活の中で使えるものとして再発見しようとしたのでした。工芸なのですから、普段の暮らしで使えないのはおかしい。高価で、観賞用に偏ったそれらを、目線を低く、市井で生きる人たちのものとして、暮らしで楽しもうとしたのが、この時の動きだったのだろうと思います。(『「生活工芸」の時代』より)

定義などは特にないようだけれど、工芸を生活のなかでとらえ、生かしてこう、生活に工芸を取り戻そうということだと思う。作り手は、自己主張としての表現ではなく、生活のなかでの使い勝手を考え抜いたものづくりをし、使い手は、自らに必要なものを選びとり、大切に使うのだ。
生活工芸の作家というと、三谷さんを始め、漆の赤木明登さん、陶磁器の安藤雅信さんや内田鋼一さん、ガラスの辻和美さんなどが代表だろう。ものづくりに対する考え方や姿勢はそれぞれだけれど、「生活のなかの良質の工芸」を目指すところは共通している。

‥‥‥(「クラフト」に比べれば)「生活」とか「工芸」という言葉は、どんな人にもなんとなく伝わるものがある。でも、だからといって何か宣言してるとか、旗を掲げて、とかそういうふうに見られちゃうと困るんです。それよりもはじめの話にもあったように、僕たちは生活というものをもう一度見直してみたい、と関心を持っている。なんとなくその流れがはじまっていて、でもその流れに名前がないから、後追いでね、名前をつける、というようなことです。大切なのは「生活のいちばんベーシックなところに立ち返ってものを考えたい」と僕たちが思っているという、そのことなんですから。(『道具の足跡』瀬戸内生活工芸祭実行委員会 編より)

「生活工芸」はまた、およそ100年前に起こった民芸と比べられることもよくある。民芸とは、手仕事の素朴な日用品の中に「用の美」を見いだし、生活のなかで再び取り入れていこうという運動であった。柳宗悦という絶対的な存在が中心だった。
日常の道具に素朴な美しさを見いだす点では、民芸と生活工芸は地続きであると思うけれど、生活工芸は運動ではないし、中心もない。大きな声で主義主張も叫ばない。作家たちも、それぞれが違うベクトルを持ち、自立している。

——ピラミッドはつくりたくない。価値の体系みたいな順番はつくりたくないんだよね。

それは民芸をはじめとするこれまでの工芸の運動を見ていてのアレルギーでもあると思う。無理して誰かと一緒に何かをしなくていいのだ。それぞれが自分の道を進み、他のひとたちと共感できる部分があれば、そこでつながる。それだから、生活工芸は特徴づけにくいのだけれど、あえてそうあろうとしているとも言える。