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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#25
2015.01

工芸と三谷龍二

後編 生活工芸から、その先へ
3)自分の場所をつくる ギャラリー「10センチ」

2011 ひょんなことから、店を持つことになった。そこで自作品を常設展示するほか、他の作家との個展や、イベントを開催するギャラリースペースにしようと考え、10cm(松本市)をオープンする。
『三谷龍二の10センチ』(PHPエディターズグループ)

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「工芸の五月」の会場探しでまちなかを歩いていたとき、三谷さんは印象的な建物に出会う。四角くこぢんまりしていて、タイルのモザイク文字で「YAMAYA 山屋」とある。素っ気ないけれど、モダンな感じで味があった。場所は市内を東西に流れる女鳥羽側沿いにある、その名も「六九(ろっく)商店街」。かつては松本市の中心的な商店街だったそうで、地元でよく知られる老舗店などが並び、レトロな雰囲気が漂う。三谷さんの見つけた建物は、元は古いタバコ屋だったという。じきに取り壊されることになっていると知り、三谷さんは大家さんに「貸してください」とお願いに行ったのだった。

——何に使おうかとか、考えてなかったんだよね。ただここがいいなと思って、なくなってほしくないな、と。何度か頼んで、荷物があるからと断られていたのが、あるとき急に「いいよ」と言われて、借りられることになった。じゃあどう使おうとなったとき、店やろうと思ったんだね。松本に来てもらっても、(自分の)作品を見てもらえる場所がどこもなくて、それが気になっていたから。

最初は「工芸の五月」の会場としてあたっていたのに、なりゆきで三谷さんが借りて使うことになったのだから、意外な展開である。2010年のことだった。

新しく始める場所は「10センチ」と名づけた。あまり深い意味はない。逆に意味を持たせたくなかったから、単なる寸法を名前にした。音の響きも好きだった。ただ、その5年ほど前に「10cm」というステンシル用の金属板を手に入れていた。予定もないのに、「店を持つならこんな名前」となぜか思って。もしかしたら、京都に住んでいた数十年前によく通った「カルコ20」の名前なんかも、頭の片隅にあったのかもしれない。
建物を借りてからは、自分で図面を描き、大工さんと話し合いながら改装をすすめていった。始めるにあたっては、日々のものづくりに差し障りがないよう、無理のない程度に店を開ける、とあらためて思っていた。親しい作家や知人を招いた企画展や料理会なども、マイペースでやっていくつもりだった。
2011年3月11日。東日本大震災が起こったその日に「10センチ」はオープンした。三谷さんの新しい試みは、日本人の生活がゆらぎ、何が大切なのかを見きわめ、選択していく転機と奇しくも重なったのである。