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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#139
2024.12

時を重ねた建物を、ひらきなおす 3つの洋館

2 愛あるネットワークで息づく、地域の宝 神戸・垂水五色山西洋館

2)残ったものの価値を痛感 失わせない

酒井さんが洋館をなぜ継承し、活用するに至ったのか。その経緯を説明しよう。酒井さんは10年近く前、海沿いにあるアウトレットモールからふと丘を眺めたときに、オレンジ色の屋根がのぞくのを見つけた。現在の垂水五色山西洋館にあたる洋館だ。旗竿地にあるため通りからは見えず「垂水に洋館がかつて存在していたのは知っていたけど、まだ残っていたとは」と驚いた。隣駅の塩屋には「旧グッゲンハイム邸」が、舞子には「旧武藤山治邸」が大切に保存され活用されているけれど、垂水にもこんな洋館あったとは! と、酒井さんは価値ある建物としてのみならず地域の大事な歴史遺産として、特別に気にかけるようになった。

ところが2022年のある日、その洋館が売り物件として不動産情報サイトに上がっているのに気付く。敷地の面積が広く、ほとんどの人にとっては手が届く金額ではなかった。

———物件情報を見つけてすぐに「えらいことです! あの家、なくなる可能性がありますよ」とほうぼうに連絡しました。病院を経営されているご高齢のお医者様に「洋館住まい、いかがですか」と電話をかけて勧めてみたり。洋館好きな知り合いには、ひと通り声をかけました。でもいざ買うとなるとみんな、及び腰になるんです。もちろん高額だから、なかなか買えない。でもあれだけ洋館、洋館と言っていたのに……と少し残念な気持ちになりました。

折しも、隣駅の舞子では垂水・須磨エリアに残る近代邸宅の代表格のひとつであった「舞子ホテル」が売却され、マンション建設のために解体されつつあった。界隈のシンボルとして舞子ホテルを大切に思っていた酒井さんは、いたくショックを受けた。

———潰されていくものを見てしまうと、残っているものの価値を痛感しますよね。でも五色山のこの洋館は個人でもギリギリ取得できる規模だから、何とかならないかと考えました。そこで喫茶店のお客さん経由で不動産屋さんと連絡を取って、五色山2丁目である程度の大きさの開発用土地情報が出たら、すぐに教えてほしいと声をかけたんです。

しばらく売れなかったら、分筆して売りに出すのではないか。そうすれば洋館とその周辺の敷地だけを購入することで残せる可能性が出てくる。——これは酒井さんが前職の金融機関時代に培った感覚だろう。勘は当たり2022年秋、洋館の土地が分筆されて売りに出たという情報がいち早く入ってきた。そこで酒井さんは、ただちに内覧の約束を取り付けた。商談にあたり失礼にあたらないレベルのお金の算段もつけるなど可能な限りの準備をし、神妙に内覧した酒井さんは、建物の意匠の細やかさや保存状態に圧倒された。

———手放されようとしている洋館というのは、とても住める状態ではないものがほとんどなんです。なのにここは網代天井とか雷紋状のモールディングとか、細部まできれいに残っていました。このクオリティの洋館、神戸でも何軒もないだろうというレベルで、本当に驚きました。

酒井さんは内覧に立ち会われていた当時の所有者一家に向かって、いかにこの家に価値があるのかを30分ほど熱く語った。分筆ラインをずらし、洋館が残るように土地の形状を変えてほしいということと、その分は金額を上げてもらっても構わないという現実的な条件もあわせて提案した。当時の所有者は約60年前にこの家を気に入って知人経由で譲り受け、改修しながら大切に住みつづけてきた。とりわけ所有者の親族の1人が強い愛着を持っており、できれば洋館を残したいと考えていたため酒井さんと思いが合致し、継承へと向かった。

ただし古い洋館は住宅ローンがつきにくい。一般的な住宅ローンの場合は耐震性などが基準を満たすことを証明する適合証明書が必要であったりと、大正時代築の洋館では条件を合わせるのが難しい。そこで酒井さんは都市銀行が用意する通常の住宅ローンはつかないと読み、信用金庫に相談した。さらに粘り強く交渉を重ね、2か月後にローンを組むことに成功し、売買契約を成立させた。

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新興住宅地に囲まれて建つ、垂水五色山西洋館。現在は赤瓦と白壁の外観だが、本来はスレート屋根と柱や梁を壁に露出させる真壁造の建物であったと次ページで登場する中尾さんは推測している

居間。天井とマントルピース、扉が、正方形を組み合わせた幾何学的なデザインでまとめられている。家具は空間に合わせて酒井さんが集めたもの

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応接室。額縁のように囲まれた天井が特徴で、その縁の部分が和風の仕上げ「網代」になっている。シャンデリアは前所有者が付けたもの

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階段下の、オリジナルと推測される灯具。同じ年代にヴォーリズ建築事務所で採用されていた灯具と系統が近いと、中尾さんが注目している部分

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前所有者が改修時に制作した図面。改修しながら約60年間大切に住み続けられていた

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