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アネモメトリ -風の手帖-

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#310

荻外荘—時代に翻弄された家族の記憶
― 東京都杉並区

JR中央線荻窪駅周辺はかつて、東の軽井沢と言われていたことをご存知ですか。
関東大震災が起きるまでは、長閑な田園が広がり都心からの距離感も絶妙で、多くの著名人がこぞって週末用の別宅を建てていました。
今でも立派に育った庭木や生垣に、その名残を見ることができます。

荻外荘公園から荻外荘を臨む。飾り窓の辺りが食堂で、向かって左隣が和室、右側が荻窪会談が行われた客間

荻外荘公園から荻外荘を臨む。飾り窓の辺りが食堂で、向かって左隣が和室、右側が荻窪会談が行われた客間

中でも「荻外荘(てきがいそう/(旧近衛文麿邸)」は日本の近代史において重要な場所であったことは、国指定史跡とされたことからも明らかといえるでしょう。
荻外荘は、1927年に大正天皇の侍医・入澤達吉の別邸として建てられました。設計は平安神宮や築地本願寺も手がけた建築家・伊東忠太です。その後1937年に、近衛文麿(このえ・ふみまろ)が入澤より譲り受けました。
創建時は、庭の楓にちなみ、入澤によって「楓荻荘(ふうてきそう)」と名付けられました。「荻窪の外れ」という意味をもつ現在に続く荻外荘の名は、近衛がこの家を譲り受けた際、元老・西園寺公望(きんもち)によって付けられたものです。

西園寺公望の書簡から写し取られた「荻外荘」の文字。近衛文麿がその書を気に入り、作らせたそう

西園寺公望の書簡から写し取られた「荻外荘」の文字。近衛文麿がその書を気に入り、作らせたそう

近衛文麿が自決した和室。保存状態の良さが史跡指定に影響した

近衛文麿が自決した和室。保存状態の良さが史跡指定に影響した

五摂家筆頭近衛家当主であり、三度にわたり総理大臣を務め歴史に名を刻んだ近衛文麿は、1945年この場所で自決しました。その部屋は当時の姿のまま、食堂の隣に残されています。床の間には近衛直筆の書が掛けられ、そこだけは今でも緊張と静謐が空間を満たしているようです。
近衛の亡き後、晩年まで住み続け家の管理をされた次男・通隆氏が2012年に逝去されたことを機に、荻外荘の保存・復原・整備の動きが始まりました。
2016年には国指定史跡となり、近衛居住当時の姿に復原整備する「荻外荘復原・整備プロジェクト」が本格的に始動。2024年12月には、荻外荘を中心に周辺を整備した「荻外荘公園」が開園し、今に至ります。

荻窪会談が行われた客間。移築され忠実に再現された。壁紙の意匠に設計者・伊東忠太らしさがある

荻窪会談が行われた客間。移築され忠実に再現された。壁紙の意匠に設計者・伊東忠太らしさがある

別棟に飾られた長男・文隆氏の肖像画。この部屋は文隆氏が母親のために増築した

別棟に飾られた長男・文隆氏の肖像画。この部屋は文隆氏が母親のために増築した

日中戦争が長期化する中、対米開戦の是非を話し合った「荻窪会談」の場として歴史に残る邸宅ですが、それだけではない家族の歴史がここにはあります。
夫であり、父であるその人の最期を見届けざるを得なかった家族の記憶。
別棟に残る長男・文隆氏の肖像画と、父子で写ったモノクロ写真。文隆氏は出征し、10年以上のシベリア抑留の後、彼の地で客死しました。
縁側から見える庭には、文隆氏が植えた枝垂れ桜が今も花をつけています。いつか帰ると信じ、帰る場所を守り続けた母・千代子の想い。
戦後の財産税により広かった敷地は切り売りされ、政治の表舞台となった玄関、客間は分割移譲せざるを得なかったそうです。住居棟を残し、大切に住み続けた家族の日常がここにありました。
次第に変わりゆく庭の景色を、ご家族はどのような思いで見つめていたのでしょう。

2025年7月にオープンした展示棟。荻外荘からは道を隔てた隣地になり、1Fがカフェ、2Fが展示室となっている

2025年7月にオープンした展示棟。荻外荘からは道を隔てた隣地になり、1Fがカフェ、2Fが展示室となっている

2025年7月には、荻外荘の向かいに隈研吾氏による「荻外荘展示棟」が開館。荻外荘の歴史や文化を多角的に紹介する展示、カフェや案内所、ショップが設けられました。この土地を所有していた鉱山学者・実業家の山田直矢に関する資料も常設展示され、この地の歴史を知ることができます。中には荻外荘の庭で遊ぶ子供達の写真もありました。
カフェでは杉並区内の製菓店から取り寄せたお菓子やおにぎりセットもあり、テイクアウトして荻外荘公園でいただくこともできるそう。
派手な観光地ではありませんが、そこに残された建物は歴史の証人でもあります。大切に住み続け守った家族がいたからこそ、私たちは歴史に触れる経験ができるといえるのではないでしょうか。
楓荻荘と名を与えられてからもうすぐ100年、復原整備の重要性を考えさせられます。

参考
荻窪三庭園、https://ogikubo3gardens.jp/tekigaiso/(2026年3月13日閲覧)。

杉並区「荻外荘復原・整備プロジェクト」、
https://www.city.suginami.tokyo.jp/fukugen/(2026年3月13日閲覧)。

荻窪東町会「『荻外荘展示棟』開館――地域の記憶を今に伝えて」、
http://ogikubo-higashi.tokyo/?p=10321(2026年3月13日閲覧)。

TATSUMURA 龍村美術織物「『荻外荘』が紡ぐ歴史と文化」、
https://www.tatsumura.co.jp/news/tekigaisou-hukugen/(2026年3月13日閲覧)。

(原 順子)