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アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#163

霧の先に、まだ見ぬ世界への道は続く
― 石原康臣

(2026.06.14公開)

映像、写真、インスタレーションを手がける現代美術家・石原康臣さんの眼前には、時に霧がかかっている。ただ、その霧は道を阻むものではなく、まだ見ぬ世界への期待を内包するものとして、いつもあった。
「生と死の境界」をめぐる石原さんの作品の根底にあるのは、大学受験の1週間前に父を亡くし、日常が不意に非日常へと変わる経験と、「死」をダイレクトに認識した記憶である。彼岸と此岸が重なる黄昏時、父の墓の近くでシャッターを切った写真作品から、近年では、特定の場において、その土地で生まれ死にゆく生命を再び見つめるためのインスタレーションを発表している。

そして、石原さんの制作の途上にはいつも、日本の前衛の先駆者である萩原朔美氏の存在があった。今回は、石原さんの制作を振り返りながら、同時に萩原氏から受け継いだものと、その広がりについても伺っていく。

《赤い部屋シリーズ―ヴィタロッソ》 2023 スモーク、赤色電球、鹿の骨、廃校となった加西市の小学校の机 火祭アートフェスティバル2023 – サウンドインスタレーションアーティスト・郁川舞氏と場を共有しての展示。鹿の骨と机を、郁川氏と共有の支持体とした。空間には、郁川氏による「鹿の骨を焼く音」も響く

《赤い部屋シリーズ―ヴィタロッソ》
2023
スモーク、赤色電球、鹿の骨、廃校となった加西市の小学校の机
火祭アートフェスティバル2023

サウンドインスタレーションアーティスト・郁川舞氏と場を共有しての展示。鹿の骨と机を、郁川氏と共有の支持体とした。空間には、郁川氏による「鹿の骨を焼く音」も響く

———まずは、近作の〈赤い部屋〉シリーズについてお聞きします。

現地の、元々何かしらの歴史を持っている場所を霧で満たし、赤いランプを灯した空間をつくるインスタレーションです。2023年に兵庫県加西市で行われた「火祭(かさい)アートフェスティバル 2023」では、田園の溜め池に浮かんでいた屋形船の船内を会場としました。空間には、現地で採取した鹿の骨を配置し、その土地で生まれ、死にゆく生命に今一度向き合う空間をつくりだせたら、という思いで制作をしました。
本作の着想源は、以前、長野県東御市の「天空の芸術祭」に参加した際に出会った、養蚕における燻蒸室です。燻蒸室とは、養蚕で使う道具を殺菌するために薬剤の煙で満たす部屋のことで、繊細なお蚕様は、そうしないとすぐに死んでしまうんですね。人間は、お蚕様の命を管理しながらシルクの製品を手に入れている。煙に覆われた燻蒸室を思い浮かべた時に、連想的に作品の構想が浮かびました。

《赤い部屋シリーズ―ヴィタロッソ》 2023 スモーク、赤色電球、鹿の骨、廃校となった加西市の小学校の机 火祭アートフェスティバル2023

《赤い部屋シリーズ―ヴィタロッソ》
2023
スモーク、赤色電球、鹿の骨、廃校となった加西市の小学校の机
火祭アートフェスティバル 2023

石原康臣さん

石原康臣さん

———写真や映像、インスタレーションを用いて、鑑賞者に「場の力」や「彼岸」を意識させる作品を制作されています。どの作品にも、彼岸、つまり「あの世」や「死」といったものを見つめる視点がありますが、なぜでしょうか。

大きなきっかけは、大学受験の1週間前に父親が急逝したことです。それまで続いていた日常が、ほんの少しの出来事を境に、劇的に、強制的に非日常へと変わってしまう。そのことを、身をもって知った体験でした。
父は心臓病を患っていて、仕事の帰り道にそのまま帰らぬ人となったのですが、知らせを受けて警察に向かう時間、父と対面したとき、にわかにそれが父とは信じられなかったことも、よく思い出すことができます。その出来事によって、「死」というものが観念ではなく、突然目の前に現れるものとして自分の中に刻まれました。日常と非日常の境目、そして死への意識が、今も作品の根底に残っているのだと思います。

《クサバノカゲ Blue》 2021 スチール作品 3点1組

《クサバノカゲ Blue》
2021
スチール作品 3点1組

———代表的なシリーズである〈クサバノカゲ〉はお父様に由来する作品ですね。

「草葉の陰」とは死後の世界を表す言葉ですが、このシリーズは2005年からかたちを変えつくり続けているものです。一番初めの作品では、父が眠る墓のすぐ近くにある菩提樹を撮りました。この作品は、黄昏時に撮影をしています。黄昏時は彼岸と此岸が合わさる時間だと言われますが、私にとっては、日常の風景の中に死の気配がふっと立ち上がる時間でもありました。父の死を通して意識するようになった、こちら側と向こう側の境界を、写真の中で見つめようとした作品です。

《クサバノカゲ Red》 2021 スチール作品 3点1組

《クサバノカゲ Red》
2021
スチール作品 3点1組

クサバノカゲ Yellow(2021) 《クサバノカゲ Yellow》 2021 スチール作品 3点1組

《クサバノカゲ Yellow》
2021
スチール作品 3点1組

日が落ちてからの15分間、黄昏時は映像や写真の世界ではマジックタイムとも言われ、全ての色が混ざり合い、一番光が美しく撮れる時間です。全ての色が入る時間ですから、シャッターを切った瞬間によって、若干青みが多かったり、夕日が強いと赤みが多かったりと、色味のバランスに差が生まれます。作品によって、特定の色味だけを残して、それ以外の色の情報を落として引き立たせるようにレタッチをしています。

クサバノカゲ インスタレーション 金剛院外壁展示風景 2023 兵庫県加西市 火祭アートフェスティバル2023

《クサバノカゲ インスタレーション》金剛院外壁展示風景
2023
兵庫県加西市 火祭アートフェスティバル 2023

クサバノカゲ インスタレーション 金剛院本堂内掛け軸展示 2023 兵庫県加西市 火祭アートフェスティバル2023 - 兵庫県加西市に伝わる民話『女切ろまん』から生まれた〈クサバノカゲ〉シリーズ。てると市兵衛という二人の男女、てるの許嫁である源四郎による悲劇を元に、本作では、彼らの墓上にある木を黄昏時に撮影。現地の伝統産業である播州織に写真を転写し、会場となった金剛院本堂を囲うように展示。住職が掛け軸に仕上げられた本作をかけ、御詠歌を歌い、お経を上げるパフォーマンスも行われた

《クサバノカゲ インスタレーション》金剛院本堂内掛け軸展示
2023
兵庫県加西市 火祭アートフェスティバル2023

兵庫県加西市に伝わる民話『女切ろまん』から生まれた〈クサバノカゲ〉シリーズ。てると市兵衛という二人の男女、てるの許嫁である源四郎による悲劇を元に、本作では、彼らの墓上にある木を黄昏時に撮影。現地の伝統産業である播州織に写真を転写し、会場となった金剛院本堂を囲うように展示。住職が掛け軸に仕上げられた本作をかけ、御詠歌を歌い、お経を上げるパフォーマンスも行われた

———学生時代のことをお聞きしますね。石原さんが影響を受けたものは何でしょうか。

大きくは二つ、一つは、当時東京の立川にあった若手作家による共同アトリエ「スタジオ食堂」に関わった経験、そして、もう一つは多摩美術大学の萩原朔美(註)先生の存在です。
劇映画をつくりたいと思い、当時は映像制作の萩原朔美ゼミがあった多摩美術大学の芸術学科に入学しました。大学入学と同時に、若手作家による共同アトリエ・スタジオ食堂に出会います。スタジオ食堂の作家と交流するうちにスタジオの記録撮影の依頼を受け、1997年から解散する2000年までの4年間、記録映像を担当していました。初めて撮影したのはスタジオ食堂企画展の大岩オスカール幸男さんの個展でした。次にマチュー・マンシュさんの個展記録を行ったことから、その後のマチューさんの映像作品の編集を受けることになり、アーティストの作品の映像部分の制作を受け持つことも増えていきました。スタジオ食堂アーティストの笠原出さんのインスタレーション作品《Sleep/Dream/Smile》の映像や、藤原隆洋さんの《Private Eye, Public Eye》の映像制作に携わったことなどが、劇映画志望だった自分の作風がアート寄りになっていく大きなポイントだったと思います。

(註)
萩原朔美(はぎわら・さくみ)
1946年東京生まれ。映像作家、演出家、エッセイスト。多摩美術大学名誉教授。前橋文学館特別館長。寺山修司率いる劇団「天井桟敷」で俳優・演出家として活動後、映像、写真、執筆、編集など分野を超えて表現活動を行う。日本の前衛における極めて重要な先駆者である。

《破壊←↓→創造》 1999 映像 7分 – 石原さんの学部時代の作品。半裸の真っ⽩い⼈影が⽊を削っていく。その姿は時に巻き戻され、時に早送られ、時に重なる。美術館に⽊を置き、来場した観客が削ることによって完成するネオダダの作品のオマージュでありながら、ネオダダに対するさらなるネオイズムのかたちをとった価値再構成の試み

《破壊←↓→創造》
1999
映像
7分

石原さんの学部時代の作品。半裸の真っ⽩い⼈影が⽊を削っていく。その姿は時に巻き戻され、時に早送られ、時に重なる。美術館に⽊を置き、来場した観客が削ることによって完成するネオダダの作品のオマージュでありながら、ネオダダに対するさらなるネオイズムのかたちをとった価値再構成の試み

大学では映像に限らず、美術史や、暗黒舞踏、版画など幅広い表現に興味をもったのですが、それらを突き進めていくと、必ず萩原先生の名前が出てきました。参加したアスベスト館での暗黒舞踏のワークショップでは萩原先生が講義を持っていたり、版画制作中に手に取った「東京版画ビエンナーレ」の図録にも萩原先生の版画作品が掲載されていた。私が興味を持った表現の先には必ず萩原先生がいたんです。
大学を卒業後、当時、多摩美大の夜間部にあった映像演劇学科研究室に副手として就職したのですが、翌年、なんと萩原先生が芸術学科から異動されてきたんです。こんなことがあるのか! と非常に嬉しくて。映像演劇学科研究室を退職後、私は大正大学で約20年間教員として教育に携わりますが、その間も自分の授業が終わったら、多摩美大の萩原先生のところに行っては授業のネタを仕入れたり、制作を手伝ったりしていました。萩原先生は多摩美大を定年退職後、私の出身地の群馬県にある前橋文学館の館長(現在は特別館長)に着任されました。これもまた本当にご縁がある出来事でした。そこで私も東京と群馬を二拠点に、現在も萩原先生の制作に携わっています。


《KIRI 2021》
 2021
 映像
 5分 第三回ぎふ美術展自由部門 入選

《KIRI 2021》

2021

映像

5分
第三回ぎふ美術展自由部門 入選

———石原さんの作品、《KIRI 2021》は萩原先生の映像作品《KIRI》がベースにある作品です。

私の地元は、数年に1回だけ周りが全く見ないぐらいの濃霧になる日があるんです。前を歩いている友人の姿さえ見えなくなる霧は、日常が思いきり非日常になる原体験としてありました。
学生の頃、霧が出やすい場所に行って映像を撮りながらも作品化には至らなかったところ、これもまた萩原先生が道のはるか先にいた事例のひとつなのですが、先生が1972年に制作された《KIRI》をゼミの授業で見せてもらったんです。画面いっぱいの霧から始まり、8分間、16ミリフィルムのワンリール分をかけて、ゆっくりと霧が晴れ、奥の方に山並みが見えてくる。映像の性質を端的に表現した日本の実験映画の黎明期を代表する作品ですが、《KIRI》を見たときに、小学生の頃の非日常としての霧の思い出と、それを作品化することの意味が自分の中で融合できたんです。
私が「ぎふ美術展」に出展した《KIRI 2021》は、当時の妻の父、つまり岳父に会うための作品です。岳父は長野県の蓼科山が好きな人で、生前よく登っていたと、遺骨の一部を散骨もしたという話を聞き、蓼科山で撮影を行いました。カメラを構えていたら、急に霧が深くなってきて、次第にあたり一面が真っ白になったんです。その瞬間に、これは萩原先生の《KIRI》への返歌になるなと思ったんです。

《KIRI 2021》
 2021
 映像
 5分 第三回ぎふ美術展自由部門 入選

《KIRI 2021》

2021

映像

5分
第三回ぎふ美術展自由部門 入選

「朔太郎の散歩道~今そこにいる朔太郎~」撮影風景 – 本作のカメラマン・金子圭太郎氏(手前左)はドラマ・映画「孤独のグルメ」の撮影やNetflixの恋愛リアリティショー「ラブ上等」や「あいの里」などの撮影を手掛ける

「朔太郎の散歩道~今そこにいる朔太郎~」撮影風景

本作のカメラマン・金子圭太郎氏(手前左)はドラマ・映画「孤独のグルメ」の撮影やNetflixの恋愛リアリティショー「ラブ上等」や「あいの里」などの撮影を手掛ける

———石原さんは、前橋文学館で上映されている萩原朔太郎の紹介映像「朔太郎の散歩道~今そこにいる朔太郎~」にて監督を務められました。石原さんが直々に、萩原先生に主演の朔太郎役を打診したのだとか。

そうです、最初は断られましたけどね(笑)。このキャスティングの理由は、萩原先生が朔太郎の孫である、という単純な理由ではなく、前橋文学館がこの10年、より魅力的な場所へと変化していった一番の功労者は、特別館長である萩原先生だと思っていたからです。
館内映像のリニューアルにあたって、萩原朔太郎研究会の藤井浩さんに相談したところ、2025年は朔太郎の第四詩集『純情小曲集』が発刊されて100年になる年だということで、前橋の散歩道とそこで読まれた『純情小曲集』の詩を合わせた映像をつくることになりました。
私の大正大学での教え子たちが映像業界の第一線で働いていたので、彼らにメインスタッフをお願いしました。ただ、主体は前橋や近隣の市民の皆さんです。「市民の皆さんでつくる現代の萩原朔太郎」を制作の目的とし、エキストラ出演者やボランティアスタッフを募集し、教え子のメインスタッフたちはエキストラやボランティアスタッフをサポートするという考えでスタッフィングしました。するとこちらが想定していた数よりはるかに多く、延べ40名にものぼる市民の方々が参加してくだいました。

———ここまでたくさんの方々との協働は珍しいと思いますが、印象的なエピソードはありますか。

映像制作に興味があり応募してくれた高校生の女の子がいたのですが、撮影当日が彼女が出場する予定であったインターハイ予選の日だったんです。しかも、撮影場所はインターハイ予選を行っている競技場の隣の林。人生をこちらにかけて参加してくれたのは嬉しくもあり、作品が人の人生に影響を及ぼすことも深く考えさせられました。前橋で活動されている劇団の方も多数参加してくださり、制作が終わった今でも前橋でばったり合うと声をかけてくれます。想い出深い、大変ありがたい制作現場になりました。

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———これまでの石原さんの作品には家族を見つめる視点がありましたが、今回の「朔太郎の散歩道」の制作プロセスにも、血によらない家族のようなつながりを感じます。

萩原先生に教えを受けた私がいて、その教えを自分の言葉のようにして伝えた私の教え子たちがいて、彼らが萩原先生とどうコラボレーションするのか、それが私としても非常に楽しみだなと。私にとっては、萩原先生が朔太郎の孫であることは重要なことではありません。私が最も尊敬する表現者の教えが確かに今に繋がっていることを、この現場をもって示したかったんです。

「音楽する写真―萩原朔美の前橋10年」 2026年5月30日~2027年1月24日 前橋文学館 - 本展では、萩原朔美氏が前橋の風景を定点で撮影した写真作品を、石原さんが制作協力として動画化。今回、石原さんは4名の音楽家を招聘。写真→写真からイスピレーションを受けた音楽→写真と音楽を併せた映像という、三者のリレーションによる作品を制作

「音楽する写真―萩原朔美の前橋10年」
2026年5月30日~2027年1月24日
前橋文学館

本展では、萩原朔美氏が前橋の風景を定点で撮影した写真作品を、石原さんが制作協力として動画化。今回、石原さんは4名の音楽家を招聘。写真→写真からイスピレーションを受けた音楽→写真と音楽を併せた映像という、三者のリレーションによる作品を制作

———2022年に京都芸術大学大学院に社会人入学されています。作家として、教育者としてキャリアを重ねてこられた中で、もう一度学ばれようと思ったのはどうしてですか。

約20年教育の現場にいて、自分の言葉が現場に対して有効なのか確信が持てなくなってきていました。教育に比重を置くごとに自分自身の作品制作もどんどんできなくなっていき、自分が教えていることは本当に正しいことなのか、それを自分自身で作品として検証ができない苦しさがあって、一回リセットして、学び直しをしたいと思ったんです。
ちょうどその頃に、東京藝術大学副学長の保科豊巳先生が京都芸術大学に移られて、地域芸術に関するゼミをつくられるという情報を耳にしました。私自身、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」でベアトリス・ダシェさんの《雨月》(2009)やラン・ファンさんの《GOING BUT NOWHERE》(2012)といった作品の映像部の制作を担当したことがありまして、そこで初めて地域芸術祭というものに触れたんです。初めて現地を見て回っているときに、とある集落に住む農家の人が農作業を終えて家に帰るところに遭遇しました。そのときに「この作品はこの時間にこの角度から見るととても綺麗なんだ」とコミュニケーションを取ってきてくれたことがとても新鮮で、地域にアートが溶け込んでいて、その地域の一つの文化になっていると思ったんです。これはまさに自分がやりたいことだと思い、保科ゼミに飛び込みました。

40代になると、周りの作家が減っていきました。家庭の事情や環境の変化で、作品制作から離れていく人が多かった。それが本当に寂しいというか悔しくて、もう一度切磋琢磨できる仲間と出会いたいと思っていました。大学院へは40代半ばでの入学でしたが、同期メンバーのバックボーンは様々で、華道や日本舞踊などその道のプロフェッショナルの方々や、定年退職されて学び直しに来られた方、そしてもちろん学部を卒業したばかりの方もいました。あらゆる世代の仲間とプロジェクトを通して切磋琢磨できたのは、本当にかけがえのない経験でしたね。
先にお話した「火祭アートフェスティバル」の屋形船の中の展示は、同じく保科ゼミ同期の郁川舞さんと場を共有し合ってつくりました。彼女とは歳がちょうど20歳、親子ほど離れているのですが、同じく20代で教員を務めていた経験など共通項もありシンパシーを感じていました。瑞々しい感性を持ち、私よりはるかに行動力があり、また特出した言語化能力を持っており、非常に尊敬している作家です。大学院修了後も交流を持ち、前橋文学館の「音楽する写真」展でもサウンド・インスタレーションアーティストとして参加をしてくれています。私が大学院で目的としていた、切磋琢磨できる仲間との出会いが本当に実現できました。

———世代を超えて、アーティスト同士、互いの創意に驚き合える。素晴らしい広がりです。ご自身の作品のつくり方も変わりましたか。

大学院に入ったばかりの頃は、いままで制作してきた作品の精査をして、体系化しやすいようにいくつかのシリーズに絞ってつくっていこうかと思っていた時期でした。ただ、保科先生からは、「小さく収束していくのではダメだ」と、「幅広くものを見なさい」と言葉をいただきました。「80点の作品ばかりつくるな。100点か0点を目指してつくれ」という言葉をよく覚えています。そんなダメ出しの日々です。ええ、もう悔しくて、じゃあもう一度、真っさらなところからやろうと、凝り固まったものを全部砕いていただき、今つくっているインスタレーションなどに表現が広がっていきましたね。
また在学中、保科先生が館長をされている熱海の美術館をご紹介いただき、アドバイザーというポジションでお仕事をさせていただきました。アドバイザーといっても実際には新入社員として入ってきた学芸員に展示企画の指導を行ったり、実際にインストールする際の工具の使い方やライティングなどを指導をしたり。受付やお茶出しもしてお客さんとコミュニケーションを取ることまで、一通りの美術館業務を経験させていただきました。アーティストとして培ってきたスキルを、美術館側として発揮することで新たな表現の視点を経験することができました。多くの学びの機会を与えてくださった保科先生には本当に感謝しています。

前橋文学館にて、AR作品と

前橋文学館にて、AR作品と

———これからも石原さんは、目の前に広がる霧の如く、未知のものを果敢に見つめていくのでしょうね。その先に、更なる驚きに溢れた世界が続くことだと思います。最後に、今後の展望をお聞きします。

これまでの作品を、前橋市でさらに展開していきたいと考えています。来年、「前橋の美術 2027」という公募展がアーツ前橋で行われるのですが、そこで、前橋の赤城山で霧を撮った〈KIRI〉シリーズを出品する予定です。萩原先生の作品から派生した作品を、前橋の土地で制作することでさらなる返歌となるのではないかと。
〈赤い部屋〉シリーズは元々養蚕にヒントを得た作品ですが、前橋も養蚕業が盛んだったまちです。今も養蚕業で使われていた赤いレンガの倉庫がいくつも残り、展覧会場としても使われているのですが、〈赤い部屋〉の着想源である養蚕をテーマに、前橋でも〈赤い部屋〉シリーズをつくりたいという目標があります。

《マグネティックテープアラート》 2024 磁気テープ

《マグネティックテープアラート》
2024
磁気テープ
イノビエンナーレ 2024

また、2024年に高知県いの町の「イノビエンナーレ 2024」に出展した際に制作を始めた〈マグネティックテープアラート〉というシリーズがあります。ビデオテープなどの磁気テープが、メディアの劣化や再生機材の修理不能で2025年頃に再生できなくなる可能性が高くなるというユネスコが2019年に発した警告が着想源の作品です。私自身、初めて触れた映像メディアは高校生の時のVHSテープだったこともあり、テープメディアに思い入れがありました。テープメディアの内容はデジタイズして保存したのですが、その過程においても入れ物としてのテープメディアの死を感じたのです。テープの内容が見られなくなるのであれば、テープ自体を鑑賞対象にしてみようと、テープ自体を素材として平面作品をつくりました。死からうまれる新たな生があるのではないかと。このシリーズもさらに展開していきたいです。

新しく始めたドローイング

今年から新しく始めたクロッキー

私は今年で50歳になりますが、最近、ドローイングを始めました。絵がかけないことが幼少期からコンプレックスで、小中高の美術の成績は5段階評価で2ばかりでした。そんな自分が美大に入って、大嫌いだった美術が生涯をかけて追求したいことになりました。そんな自分に、保科先生の「絵がかけない人なんていない、時間をかけてたくさん描き、教員が指導し続ければ、誰だって自分の絵が描けるようになるんだ」という言葉が胸に刺さりました。今まで逃げてきた絵への苦手意識をなくして、自分の表現に直接ではなくても何かしらのかたちで取り入れていきたいなと。まだまだ上手くはないですが、絵を描くことの楽しさに気付き、続けています。
その都度、自分がやりたいことに合致する表現方法は異なるものだとは思っていて、そうしてつくってきたものがアーティストの成果物なのではないかと思うんです。萩原先生は俳優、演出家、映像作家、写真家、版画家、エッセイストなどなど、更に去年からは詩作を行い自身の詩のリーディング公演も行っている現状を近くで見せていただいていますからね。私も同様に、これからも区切られたメディアの中でつくるのではなく、様々なメディアを表現手法として、自分の制作したいものを幅広くつくっていきたいと思っています。萩原先生は「アートは手段ではない。目的である」と言います。私も「目的としてのアート」をつくり続けていきたいですね。

取材・文 辻 諒平
2026.05.13 オンライン通話にてインタビュー

Photo: 宮本博文

Photo: 宮本博文

石原康臣(いしはら・やすおみ)

1976年群馬県生まれ。多摩美術大学美術学部芸術学科卒業、京都芸術大学大学院芸術研究科修士課程修了。高校時代より映像制作を始め、実験映画、ドキュメンタリー、ビデオアートを横断的に実践してきた。現代美術家の共同アトリエ「スタジオ食堂」での記録活動や、暗黒舞踏の創始者である土方巽のアスベスト館に所属し身体表現への接触を経て、現在は映像、写真、インスタレーションを中心に制作を行う。近年は、土地に残る神話、祭り、痕跡を手がかりに、場所に沈殿する記憶や、生と死の境界をめぐる作品を展開している。


ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)

アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。