アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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― 楠正義

(2013.03.05公開)

楠正義さんは、自ら学ぼうという意志に燃える努力の人だ。電気修理や設計業に就き、定年退職したのち、68歳のときに京都造形芸術大学通信教育部ランドスケープデザインコースに入学した。現在は同大学院に通いながら、園芸療法士として老人施設の入所者に稲作や花の栽培、習字や絵の創作を手助けする日々を送っている。「米の一粒一粒に感謝して、花の咲く姿に感動して。作物がきちんと生きていることを感じてもらいたい」と、その活動に励む76歳の彼が夢見ていることとは?

——幼少の頃の生活について、教えてください。

今ではすっかり広島弁が根付いていますが、もともとは東京出身なんです。1944年、7歳のときに、姉と学童疎開という形で広島県に引っ越してきました。もちろん原爆の朝のこともしっかりと憶えています。家の近くを散歩していたら、西の空がぴかっと光った。僕はそんな時代を生きた人間です。
日本中が貧乏でしたが、特に僕の家には兄弟がたくさんいたし、学校に通うのがやっとだった。食べ物だって何を食べるというわけではなく、食べられる物すべてをとにかく口に入れたい、という欲望でいっぱいでした。農業をやっていたので、少しばかり米を売ってお金にはしていたけれど、何しろ食べる物がなかった。学校の帰り道、よその畑に忍び込んで、サツマイモやトマトを盗んだこともあります。タマネギは青い葉の部分まで食べたし、野草だってごちそうでした。言葉のとおり、根こそぎ食べていましたね。

——その体験は、きっと楠さんの現在の活動における原点なのでしょうね。働きに出ていた頃のことをお聞かせいただけますか。

高校を卒業してからは、モーター部品の修理や自動車のボディを作る工場で働き始めました。見習いみたいなもので、お金なんてほとんどもらえなかったし、毎日必死に生きていたという記憶だけですね。しかも自動車工場で働いていたある日、急に身体がぐらついて、機械に手が巻き込まれてしまったんです。そこで左手の親指以外の4本を切除するという大けがをしました。慌てて病院に担ぎ込まれて、そのまま半年ほど入院することになったのですが、当時は34、5歳の働き盛り。結婚や家を建てた時期と重なったんです。だから入院中はいろいろなことを考えました。高度経済成長期だったし、あれこれ言われても無我夢中で働くしかなかったのだけれど、これからの自分に何ができるのだろうと、かなり悩みましたね。でも今ここで思い出してみると、そのときに本を読んだり勉強したりする時間がやっと作れたというのも事実です。指を失ったにしろ頭は打っていないし、死ななかった。生きているのがありがたいと心から実感したできごとでした。その経験がきっかけとなって、本格的に設計図を描く勉強をしようと決め、広島市にある職業訓練校の機械製図科に通うことにしたんです。それから東広島市にある会社で機械の製図を描く仕事を定年退職するまで続けました。

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現在の楠さん。この左手も自分のパーソナリティーだという

——園芸を始められたのはどういうきっかけだったのですか。また、ただ植物や野菜を育てるというわけではなく、園芸療法士として人にその育て方や感動を伝えていくという道を選ばれたのは、どんな理由からなのでしょうか。

退職してからは、もともと好きだった庭作りや農作業を生かして何かをしたいと思っていました。そこで再び職業訓練校の造園科に入って勉強して、園芸療法士を目指したんですね。ちょうど還暦を過ぎた頃のことです。
「園芸療法」というのは、病気になった人や高齢者、うまく身体を動かせなかったりして人生にいきづまりを感じている人が、畑や田んぼで花や野菜や米を育てて、それを自分たちの手で収穫し、花を愛でたり、野菜や米を食べたりすることを通して元気を出してもらうという治療の方法です。そのために造園の技能検定を取得し、ホームヘルパーの資格もとりました。そもそも彼らの手助けをしようと考えたのは、父親の存在が大きいですね。父親が認知症になったとき、世話が行き届かず、ちゃんと面倒を見てあげることができなかった。最後は老人施設に預けっぱなしという状態になってしまって、それに対する後悔の念がありました。それに僕は勉強が苦手だし、国語も数学もできないけれど、朝のきれいな農園の風景はよく知っている。花が咲いたら元気になる喜びも。自分の好きな庭作りの活動で、何かの役に立てたらという気持ちが、やる気を奮い立たせてくれました。

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——それで、2005年に京都造形芸術大学通信教育部に入学されたのですね。何か印象に残っていることがあれば教えてください。

造園について専門的に知りたいと思い、ランドスケープデザインコースに入学しました。もう70歳近くになっていましたが、どんな年齢になっても、自分の好きなことがしたい、学びたいという気持ちは変わりませんでした。大変だったけど面白かったのは、100枚スケッチを描いたこと。何か物を見ながら鉛筆を握りしめ、素直な気持ちで描くというのは、基礎中の基礎だと思うのですが、本当に勉強になりました。
もうひとつは課題で出された、公園などの見取り図を描くというもの。僕は自宅近くの小学校でそれを行いました。早起きして、夜が明ける前から何度も何度もグラウンドを訪れ、歩数を計算しながら実測しましたね。一応経験はあるのに、図面を描くのにも半年以上かかったかな。レポートを書くにしてもやり方が全然わからないものだから、いつも誤字脱字だらけで苦労するのですが、それでも充実した時間を過ごすことができました。

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2013年2月に描いた出雲大社のスケッチ 中野晴生・辰宮太一著、Kankan写真『出雲大社』(JTBパブリッシング/2012年)の表紙を参考にした

——幼少期に感じた、食べる物があるという幸せは、園芸療法にどのように生かされているのでしょうか。

現在はある老人施設と病院で活動しているのですが、特に力を注いでやっていることは米作りですね。田園風景も美しいし、自分たちで植えた稲穂を刈って、自分たちで炊いて食べる。その達成感とか喜びをみんなで味わうんですよ。高齢者の方には、青空の下で泥だらけになりながら土を触っていると、身体の中に昔の感覚が残っている人も多くて、自然とよく話をしてくれるようになります。水分を吸って、生き生きとした作物がそばで育つこと、そしてそれを大事にいただくということは、身体にも心にもいい影響をもたらしてくれるんです。

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あと僕は、副産物としてできる「わら」についても興味を持っています。日本で古くからあったわらの文化を園芸療法に生かせないかと思っていて。あらゆる資料を参考にしながら、正月のしめ縄飾りや、わら草履や、米俵を作ってみています。新しい物を作るわけではなく、身近にある物を上手に活用する。それが先人の知恵や信仰の形であり、僕のこだわりなんです。

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また、1年のスケジュールを考えながら、畑でサツマイモを育てて、収穫して、焼きイモ大会を企画しました。栄養士や作業療法士の方とも相談しあいながらです。イモを焼くために、よくお日様にあてて乾燥させてあげるのですが、イモ自身も太陽を浴びているのがわかるのでしょうね。いつもよりぐんと美味しく感じられます。

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お正月には入所者のみなさんに書き初めをしてもらい、僕が背景の初日の出の絵を担当して1枚の作品を作ったり、ひな祭りの時期に合わせてお内裏様とお雛様の折り紙を一緒に折ったりするレクリエーションをしています。はじめは菱形だったのですが、去年は扇形にして。今年はちょっと冒険して梅の花の形にしてみました(笑)。最初は病気のせいで手が震えていた人も、習字を始めることによって、字がだんだん書けていくようになる。上手じゃなくていいから、書こうとする意識を持って続けていけばいいよ、と励ましています。ひとりひとりと会話を重ねながら、時間をかけて物を作っていくんですよ。

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——楠さんは、芸術というものをどのようにお考えでしょうか。また、これからやってみたいことはありますか。

人と納得しながら、物を作っていって、感動を共有するというのが、僕の目指している芸術活動の役割です。米や野菜や花については、その命を「見守る」という気持ちを忘れないでいたいですね。これからの夢といったら、自宅の裏の空き地に庭を造ることかな。ニューヨークでデザインを勉強している娘も日本に帰ってきたことだし、とにかく体調を崩さないように。よく身体を動かして、精神統一して、何事もいい方向に進んでいけたらうれしいですね。身体と心が健康でいられるのが、いちばんありがたいことですから。

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楠さんお気に入りの「初日の出

インタビュー、文 : 山脇益美
電話にて取材

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楠正義(くすのき・まさよし)
1937年東京都生まれ。7歳のとき、学童疎開により広島県に移住する。高校卒業後はさまざまな職業訓練校に通いながら、機械修理から設計までを仕事としてこなす。2010年京都造形芸術大学通信教育部ランドスケープデザインコース卒業。現在、技能検定造園、ホームヘルパー2級の資格を取得し、老人施設や病院で園芸療法の活動を行っている。

山脇益美(やまわき・ますみ)
1989年京都府生まれ。2012年京都造形芸術大学文芸表現学科クリエイティブ・ライティングコース卒業。おもな活動に京都芸術センター発行『明倫art』ダンスレヴュー、京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」WEB特集ページ担当など。現在NPO法人BEPPU PROJECTでアルバイト中。