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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#139
2024.12

時を重ねた建物を、ひらきなおす 3つの洋館

2 愛あるネットワークで息づく、地域の宝 神戸・垂水五色山西洋館

1)喫茶店と洋館 記憶を集める

垂水五色山西洋館は神戸市の西部、明石海峡大橋をのぞむ海辺の街、垂水にある。私道の奥、新興住宅地にこつ然とあらわれる、オレンジ色の屋根と白壁につつまれた洋館だ。建てられたのは1917(大正6)年ごろと推定され、築100年を超える。

“管理人”をつとめるのは酒井善英さんだ。JR垂水駅のそばで2017年より喫茶店「九郎右ヱ門珈琲店」を営む傍らで、垂水五色山西洋館を管理運営する。酒井さんはその土地と建物を所有しているが、「西洋館の歴史の中で今現在、大切にお預かりしている」という思いから、管理人と名乗る。

酒井さんが垂水五色山西洋館を譲り受けたのは、2023年8月と最近だ。しかしそこに至るまでには、長年の洋館愛があった。

酒井善英さん

酒井善英さん

———洋館の魅力に気づかされたのは、大学入学前です。僕は出身もこのあたりで、歴史に対する興味から神戸の昔の雰囲気が知りたくて、近くの図書館でやっていた絵葉書の展示会を試験勉強がてら訪ねました。それがきっかけで、洋館がモチーフとなった絵葉書収集にはまってしまったんです。学生にとって500円、1000円という絵葉書は高額なので、お昼代を節約しては買い集めていきました。

酒井さんの洋館愛は、大学進学後もつづく。経済学を学んだことから、出身地の垂水界隈に別邸を所有していた昔の財界人にも関心が向かい、建物の来歴も気にかけるようになった。卒業後は銀行に就職し、洋館はしばらく余暇の趣味に留め、仕事に邁進した。だが、10年働いたあと脱サラし、故郷の垂水で喫茶店をはじめる。これが酒井さんの気持ちを再び洋館へと引き戻し、実際に活用することへと突き動かす、大きな転機となる。

———喫茶店も好きで、学生時代からよく通っていたんです。家の事情もあり垂水に戻ることになったので、ならば建物への興味を実践に移す機会にしようと、垂水駅の近くにあった民家をリノベーションして、喫茶店をやることにしました。工務店を経営する幼馴染のお父さんと、その方の知り合いの大工さんと一緒に1年ほど、ほとんどDIYで店をつくりました。

酒井さんが経営する喫茶店「九郎右ヱ門珈琲店」は、昔の写真やアンティーク家具などの洋館に由来する装飾品であふれている。特筆すべきは、洋館から譲り受けた部材が随所に組み込まれていること。まず最初に、垂水の隣町・塩屋にかつて存在した洋館「アンタキ邸」のオーナーの親族が喫茶店の常連客となり信頼関係が築かれた結果、保管していたアンタキ邸のステンドグラスを内装に用いる形で預かりはじめた。その後も「旧室谷邸」のリビング壁面パネルや「ジョネス邸」の屋根上にあったフィニアル(終端部)と呼ばれる装飾などを譲り受け、インテリアの一部とした。

こうした状況から伺えるのは、喫茶店という開かれた場が、洋館を取り巻くゆるやかなネットワークのハブとなっていることだ。九郎右ヱ門珈琲店には自ずと洋館に関心がある人が集まり、情報やものが集まってくるようになっていった。

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洋館の写真やアンティーク家具が散りばめられた九郎右ヱ門珈琲店の店内

アンタキ邸のステンドグラス。約50年前の解体後、当時の所有者であった鉄鋼会社の本社倉庫に眠っていたが、縁あって現在は九郎右ヱ門珈琲店の2階に設置されている

アンタキ邸のステンドグラス。約50年前の解体後、当時の所有者であった鉄鋼会社の本社倉庫に眠っていたが、縁あって現在は九郎右ヱ門珈琲店の2階に設置されている

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失われた洋館の一部を譲り受け、インテリアの一部に。左は2007年に解体されたW.M.ヴォーリズ設計の「旧室谷邸」に使われていたリビング壁面パネル。右はかつて塩屋に存在し、保存運動も実らず2013年に解体された「ジョネス邸」の屋根上にあったフィニアルと呼ばれる装飾