アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#128
2024.01

育つ環境をととのえる 人も、自然も

番外編 「のぞく」と「のぞむ」/ 言葉を入り口に  瀬戸昌宣×細馬宏通 対談
2)積極的に、ぼんやりみる

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細馬 郡司ペギオ幸夫さんっていう、生物学者でもあるんだけど、今はもう郡司学としかいえない面白いことをいろいろ書いている人がいるんです。認知科学者とも、複雑系学者ともいえるけれど。その郡司さんがね、『天然知能』という本を書いた後に『やってくる』を書いたんだよ。奇々怪々な現象が次々と学生時代の彼のもとに起こるんだけど、彼はそこから離れたり、なかったことにするんじゃなくて、その現象とずっと付き合い続けたっていうことを書いていてね。知性というのはやってくるものを受け入れる、やってくるものに対する自分の感覚を徹底的に掘り下げるものだと書いていたことを今、とつぜん思い出した。
「覗く」は「やってくる」とセンスが似ている。「覗く」になると、そこからもう一段積極的になるんですけどね。

瀬戸 「やってくる」感覚って観察に近くないですか? 僕は観察するときって何かを探しに行っているんじゃなくて、そのままを観るっていうことを徹底的にするんです。能動的に受動になるっていうのをやっている状況だと思うんですよね。なぜかというと、主体的かつ恣意的にものを見ようとすると、どんどん見えなくなるから。視界をどんどんクリアにしていくっていうのは、今の話でいえばやってくるものを逃さないような精神状況と視界を常につくるっていうことだろうと思っていて。

細馬 注意を散らす、ということなのかな。放っておくと、いつものクセで大体同じようなものに目が行っちゃうんですよ。いつものクセを発動させないように、ある種、注意を散らすっていうのはやりますね。

瀬戸 そこにはかなり能動的な働きかけが必要じゃないですか。でも現象としては受け入れるっていう非常に受動的なもの。能動性と受動性がぐるぐる回っているから、観察するってけっこう疲れるんですよね。

細馬 積極的にぼんやり見たほうがわかることがある。

瀬戸 本とのかかわりもそうで。本に出会うっていうとこっちがイニシアティブを持っているみたいですけど、本屋さんや図書館で「呼ばれる本」っていうのはあって。自分の本でも「やっとこの本を読むときがきたな」みたいなときがあって。

細馬 東京には最近ブックカフェとかブックバーがけっこうできてて。何が面白いんだろうって思って、近所のブックバーに行ってみたんです。そうしたら、ふだんなら絶対に手に取らないような本を手に取るんですよ。カウンターの1席に座ると目の前に本棚があるんだけど、別に私は本棚を選んでそこに座ったわけではなくて、その席に座ったら目の前に本棚があったって感じ。その並びのなかでしか手に取るものがないんです。
この前座ったら全部文庫本で、ディケンズとかヘミングウェイとかしかない。「あれ?俺、ディケンズちゃんと読んだことないぞ」って思って、『クリスマス・キャロル』を読み始めたの。金貸しのけちんぼのオヤジがクリスマスなんて縁ないやってずっと思っていたんだけど、そこに昔死んだ相棒がやってきて自分の人生を振り返る話じゃない。これって(アメリカ映画の)『素晴らしき哉、人生!』と一緒じゃんって思って夢中になった。こういうことは、自分の本棚や書店では起こらないですよ。

瀬戸 自分の本棚に置きたいとも別に思わないですよね。

細馬 思わない。積極的に「読みたい本が見つかる!」とかではなくて、「決して読みそうにない本を手に取る」っていう。

瀬戸 僕はアメリカから日本に帰ってきた後、高知に5年間住んで、そこで私設の公民館をやっていたんです。NPOの事務所を置いて、そこに意図的にディメンション(構造が何層にもなるように)を作っていたんですよ。内縁側があってウッドデッキがあって、その上にもう一段上がった移動式の畳のエリアがあって、と三重にしてあって。いろんな高さに本棚がある。本棚には僕の私物の本が2000冊ぐらい、それに加えて訪れてくれた人の著作や、絵本もたくさんありました。
ひとつルールにしていたのが、元あった場所に戻さない。けっこうチャレンジングだったんですけど、別の本棚に戻していくと、だんだん出会うはずのない場所で出会う。

細馬 戻す人は、それなりに考えて戻すの?デタラメに戻しているの?

瀬戸 大人は考えるんですよ。でも子どもは隙間に入れる。入れやすそうな場所。そうするとその本が抜けた部分に空きが出る。そうやって本が隙間をトラベルしていく。そうするとあり得ない組み合わせが本の並びに出てくる。年に何回かしか訪れないような人は「なんでこの本の横にこれがあるの?」みたいな。本は系統立ててある一定のルールで並んでいる、っていう前提に支配されている。あり得ない並びの本棚を面白がれる人もいれば、整然と並んでいない様に怒りを覚えている人もいたりして。僕はそれを公民館の一番奥で仕事をしながら眺めていました。