アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#128
2024.01

育つ環境をととのえる 人も、自然も

番外編 「のぞく」と「のぞむ」/ 言葉を入り口に  瀬戸昌宣×細馬宏通 対談
1)覗き穴を覗く、本をめくる
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(左)細馬宏通さん(右)瀬戸昌宣さん

細馬宏通(ほそま・ひろみち)
1960年生まれ。行動学者、早稲田大学文学学術院教授。声と身体の時間関係を研究している。『フキダシ論』『うたのしくみ』『二つの「この世界の片隅に」』『介護するからだ』『絵はがきの時代』『浅草十二階』『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』など著書多数。バンド「かえる目」では作詞作曲とボーカルを担当。

瀬戸昌宣(せと・まさのり)
1980年東京生まれ。生態学者。農学博士(農業昆虫学)。米国コーネル大学にて博士号を取得、同大学で研究と教育に従事。2017年にNPO法人SOMAを設立。「ひとが育つ環境をととのえる」をミッションに学びの環境づくりにエコロジカルなアプローチで取り組む。現在は福岡県を拠点に活動。山から海までの流域を、ひとにも自然にも豊かな環境としていく土木事業「山結び(やまむすび)」に注力している。

瀬戸 さっき(山で)細馬先生が覗き穴の話をされましたけど、なんで人は穴を覗くんですかね。

細馬 どうしてでしょうね。大体遮蔽されたものは覗きますよね。落ち葉はめくりますよね。獲物を探したり食い物を探したり、積極的に探索するということをずっとやってきたからなのかな。

瀬戸 一番下の子が今2歳なんですが、その子と遊んでいるときは、どこに赴くのか後ろからずっと見ているんですよ。僕らにとって隙間じゃないものも、手が小さいと隙間になるんですよね。彼らは目線が70cmぐらいのところにあるから、僕らと見ている世界が全然違う。その隙間に手を突っ込む、物を突っ込む、隠れているものを明らかにする。このパターンをずっとやっていて、どうして隠されているものを暴きにいくっていうことを本能的にやるのかなって。

細馬 多分そういうことをするやつのほうが獲物を発見したり、わけのわからないものを発見しがちだったんでしょうね。

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山頂近くから京都市内の景色を臨む

細馬 さっき本の話を少ししたけども、僕は本という構造もそういうものの延長だと思っています。昔葉っぱをめくっていた類人猿としての人が、平たいものが伏せてあるとめくろうとする。それで、めくるための手と脳が発達した。
人はページをめくるときに実に鮮やかにめくりますよね。しかも1枚1枚を剥がそうとするでしょう。これも、落ち葉とか木の皮とか、ひっついて離れないものを剥がしてなんか見つけようとするうちに、指先の指紋や細かい神経構造が変化してきたからじゃないかしら。
僕らは本のヘリをこうやって親指で持ち上げて、その親指を滑り込ませるとともに親指と人差し指を両側から持ってきてめくっています。この変な行動はかなり早い段階でできますよね。赤ちゃんが本とかマジックテープで遊んでいる動画を見たことがあるんですけど、まだ1歳になる前の赤ちゃんでも、ちょっとマジックテープのとっかかりがあるとビリビリビリーって。取り憑かれたようにずっとやっている。ああいう時期からああいう行動が出てくるっていうことは、本をめくる動作はかなり根深いというか、人間の本質的な行動のような気がするんですよね。

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瀬戸 今の話を聞いていて、勝手に言の葉のイメージが広がっちゃったんですけど、言(事)を知るために葉(端)っぱをめくっていくんですね。今日も紅葉の時期でたくさん落ち葉がありましたけど、あの葉っぱの裏側ひとつひとつに何か言が隠されているというか、それを明らかにしていくっていう。言の葉ってそういうところからもきているんじゃないかなって勝手に思いました。

細馬 そこに「何かが隠れている」っていう感覚ですよね。

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細馬 積まれているものを取るっていうのもよくやる行動だよね。一気に崩すんじゃなくて、ひとつひとつ取り除いていくほうがいろいろわかってくる。それは多分、太古の昔からかなりやり込んでいたんじゃないかな。
人は何かをつくる欲求がある一方で、誰かがつくったものの構造を確かめたい欲求がある。構造を確かめるっていうと大げさだけど、とりあえずひとつひとつ全部除いてみるとか。排除の「除く」と「覗く」が同じ「のぞく」なのは偶然かな?英語では全然違うんだけどね。

瀬戸 臨む……

細馬 なんで「のぞ」なんでしょうね。(辞典を検索しながら)「のぞ」っていう言葉があるんだ。覗くの「覗」。「除く」もあるな、「取ってそこから出す。加えないようにする」これは古い言葉で、753年となっている。
お、「臨む」と「覗く」は同じだ!これも古い。当時は「臨む」も「覗く」も「臨」ですね。

瀬戸 「臨む」と「覗く」とは同じ行為なんだ。

細馬 でも同じ時期で「隙間を覗く」も出てくる。両方の意味がある。にゃるほど。調べてみるものだなあ。

瀬戸 あれは向こうから来ているわけですもんね。

細馬 何かしら今まで不可視だったものがドーンと見える。そういえば、最初からひらけているものを「臨む」とは言わないな。今日みたいに山に登って、大文字や下の町が見えたっていうので「臨む」。

瀬戸 環境からの働きかけによって、こちらが主体性を持つっていうプロセスかもしれないです。「覗く」は大分主体性が強めですかね。

細馬 窓から覗くのも主体的なんだけど、穴から覗くとその結果見えるので、今まで見えなかったものが見えるっていう点では似ている。

瀬戸 なるほど。境からの誘いですね。

細馬 こっちから見にいくか、歩いていたら向こうからやってくるか。

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