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アネモメトリ -風の手帖-

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#279

ピエタの台座
― 池野絢子

ピエタの台座_image1

(2018.08.05公開)

これは、何だと思われるだろうか。高さは1メートルに満たない、直方体の物体である。前面には浮き彫りが施されていて、どうも古いもののようだ。よく見ると、上部には二人の人物の半身像が、その下には何やら文字が示されている。
何かというと、これは紀元前1世紀頃に制作された葬礼用祭壇である。古代ローマの解放奴隷だったマルクス・アントニウス・アスクレピアデスという人物が祖先の霊を祀るために作らせたもので(そのことが中段の碑文に記されている)、上部には彼と妻が手を繋いでいる姿が、最下段には、馬車に乗った冥界の神プルートーが、プロセルピナを自らの妻にするために、右手に抱えて冥府へと走り去っていく場面が表わされている。もっとも「これは何か」という問いには、それとは別に、もう一つの答え方が可能だ。実はこの祭壇は、長年ミケランジェロの《ロンダニーニのピエタ》(1552−1564)の台座だったものなのである。
ピエタの台座_image2《ロンダニーニのピエタ》は、ミケランジェロが死の直前まで手を入れていたことで知られている、未完の彫刻作品である。キリストの顔や体躯の荒い彫りから、それが未完であることは明らかだが、とくに眼を引くのはほとんど一体化したようなキリストと聖母の身体、それにキリストの右腕の断片だろう。ミケランジェロはこのピエタを制作中にキリストと聖母の位置関係を変更しており、より両者が近くなるよう、聖母の右肩の部分から改めてキリストを彫りだしたのである。したがって、右腕の断片は第一案のそれが残されたものである。彫刻家自身の死によって中途のまま残されたこの作品は、しかし、それだけに一層「ピエタ(哀悼)」という主題の悲劇性を強めてもいる。
この彫刻は、ミケランジェロの死後、18世紀にローマのジュゼッペ・ロンディニーニ(ロンダニーニ)侯爵によって購入され(作品の呼称はここから取られている)、紆余曲折を経て1952年にミラノ市の所有となり、スフォルツェスコ城博物館に展示されることになったものである。1956年には、建築家グループBBPRの設計でスフォルツェスコ城内の展示空間が刷新され、新たな場所(図2)がこの彫刻に与えられたのだが、その経緯と2015年のさらなる設置場所の変更については以前のエッセイで触れたので省くことにしよう。さて、ここで問題にしたいのは、台座である。図1の古代ローマの遺物が《ロンダニーニのピエタ》の台座に据えられるようになったのは、上記の所有者の変遷の過程において、それがロンディニーニ邸の中庭に設置されていた1911年よりあとのことと考えられている。詳しい経緯は定かではないものの、そこから2015年まで、この古代ローマの祭壇は「台座」として機能していたわけである。ただし、この経緯から明らかなように、それはミケランジェロの彫刻とはまったく別の、はるかに古い時代に属するものであって、そもそも彫刻の台座を意図して作られたものでもない。
ピエタの台座_image32015年にスフォルツェスコ城内の新しい場所がこの彫刻の設置場所として決定されたとき、この台座も一緒に変更されることになった。図3に示したのが現在の彫刻と、その台座である。新しい台座は円柱形で、一見したところごくニュートラルな外観をしている。だが、実は免震構造をもったハイテクの台座である。新しい展示空間は、その地下に地下鉄が二路線通っており、かすかな揺れが恒常的に生じていることも、そのような台座を必要とする理由になった。そういうわけで、この古代ローマの遺物はいまや台座の役割から解放されて、展示会場の別室に置かれることになったのだが、この変更を惜しむ声がないではない。たとえば、ミラノの日刊紙『コッリエーレ・デッラ・セーラ』の記者ピエルルイジ・パンツァは、新しい台座が安全性の面から必要だったことを認めつつ、それは「面白みがない」と形容して、今回の変更には美的・歴史的側面からの議論が欠けていたのではないかと述べている。確かに、パンツァの指摘しているように、古代ローマの葬礼用祭壇とミケランジェロのピエタは、いずれも「死」というテーマに関連するものであり、時代的にはまったく関係がないものの、20世紀の私たちの眼にはどこか「相応しい」と映るのかもしれない。
ピエタの台座_image4実は、この彫刻の台座をめぐっては、同様の議論が生じたことが過去にもあった。1956年にBBPRが図2の新しい展示空間を設営したとき、彼らは《ロンダニーニのピエタ》にも新しい台座を設えようと計画していたのである。それが、図4に示したような台形の台座である(この台座も、現在の展示会場の別室に置かれている)。この台座は回転式で、外観はオリーヴの木材でできていた。大理石彫刻の支持体としては少々異質に思われるが、もとのBBPRの案では、彫刻の後ろに配置された砂岩の壁と向かい合うようにして木材の壁が設置されており、空間全体のバランスを考慮したデザインであったことがわかる。だが、この新しい台座の導入には当時、ミラノの作家や美術史家が反対し、結果的に実現しなかったという。残念ながら議論の詳細については未調査のため報告できないが、非常に興味深いエピソードである。恐らく、問題だったのは台座の素材の異質さや幾何学的で「モダンな」外観ということだけではない。彫刻だけではなく、彫刻と台座の組み合わせを一つの美的統一性をもった対象と見なし尊重するか、彫刻を独立した芸術作品として捉えた上で、台座を含めた空間全体の構成を再考するかという点で、意見が割れたということでもあろう。

台座というのは不思議な存在である。もちろんそれは、彫刻を支える存在であり、作品にとっては付加物に過ぎない。だが、少なくともこのピエタ像に関する限り、台座は付加物という言葉では片付けられない「何か」であったようだ。ところで、未完成作であり、長らく顧みられなかった《ロンダニーニのピエタ》を、その未完成性故に高く評価したのは、20世紀の感性である。その事実を踏まえるならば、台座の選定をめぐる一連の議論にも、なにかしら20世紀の私たちに特有の眼差しというものを読み取ることができるように思えるが、それについては、いつか機会を改めて考察してみたい。

興味を持たれた方へ:
ロンダニーニのピエタ美術館公式サイト
https://rondanini.milanocastello.it/en
文化財保存協会(CBS)による2015年の移設プロジェクトの紹介
http://cbccoop.it/en/case_study/the-rondanini-pieta/
Panza, Pierluigi,“Il basamento della Pietà Rondanini, utile ma non dilettevole,” Corriere della sera Blog, il 1 agosto, 2016(2018年8月1日閲覧)
http://fattoadarte.corriere.it/2016/08/01/il-basamento-della-pieta-rondanini-utile-ma-non-dilettevole/

図版キャプション:
図1 葬礼用祭壇、紀元前1世紀頃
図2 BBPRの設計による《ロンダニーニのピエタ》展示の様子、スフォルツェスコ城、1956年、撮影:パオロ・モンティ
図3 ロンダニーニのピエタ美術館における展示の様子、スフォルツェスコ城、2016年
図4 BBPRの設計による台座

図版出典:
図2 Wikimedia Commons(2017年2月26日閲覧)
図1、3、4  筆者撮影