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#94

結婚式
― 野村朋弘

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(2014.12.21公開)

結婚式、古くは婚礼と呼ばれる儀式は、厳かにそして賑々しく行われる。日本の婚礼の歴史を紐解くと、何段階もの儀式を経て結ばれるものだった。つまり、長い期間を要するものだったといえよう。
今日の結婚式では式場を確保してから、ドレス選びなどの準備で1年くらいの期間を費やし、行われているのが一般的である。式そのものは1日で終えることが多い。しかし、婚礼の古い形式である聟入婚では、数年以上、期間を要する場合もあった。聟入婚とは婚舎が妻方にある婚姻の形式で、婿取婚・招婿婚や妻問い婚などともいわれる。日本の古くからある婚姻形式である。
この聟入婚は、夫となる男性が妻家を訪問し挨拶する儀式から始まり、一定期間、妻の家に通う妻訪いが行われて、正式に婚姻となった。平安貴族たちも、この形式で婚姻を行っており、三日間、妻となる女性のもとへ通い、三日目の夜に三日夜餅が供され、舅と聟が対面する露顕という儀式が行われる。
それが、室町時代くらいから、次第に嫁入婚へと移行する。嫁入婚は、今日の結婚と同様に、妻となる女性が聟方で生活をスタートさせるものである。娶嫁婚や夫処婚などとも言われる。しかし、時代で単に変遷しただけではなく、様々な婚姻形式が、全国各地の貴族や武士を問わず、庶民の間でも形成されて現在に至る。

こうした婚礼は江戸時代まで、人前式が主流であった。自らが所属するコミュニティの人々の前で婚礼を行い、また受け入れられる儀式を行ったのである。
儀式の中心は、床の間に高砂の尉と姥の掛け軸を掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をする祝言である。

翻って今日では、神社や教会といった宗教施設(ホテルや婚礼会場に設置されたものも多い)で夫婦の誓いを立てる結婚式を行い、続いて、親戚・友人・知人などを多く招き披露宴を行うのが一般的である。
しかし、宗教施設で行われる結婚式は、決して歴史の古いものではない。明治時代になってから、神社や寺院での結婚式が広がっていくのである。
神社での神前婚の端となったのは、明治33年(1900)に行われた皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の「結婚の儀」である。嘉仁親王と九条節子が行った婚儀は神に夫婦の誓いを立てるもので、神前式での結婚式のスタートであった。近代から今日まで皇族の結婚式は庶民へも大きなブームを巻き起こす。神前式が庶民の間で求められ、それに応ずる形で、東京の飯田橋にある東京大神宮(当時は神宮奉斎会)が「結婚の儀」を模した神前結婚式を生み出し、広く定着していった。

また、この嘉仁親王の婚儀より前、明治18年(1885)には仏前結婚式も生み出されている。そして、戦後の高度経済成長期になるとキリスト教式の教会婚が流行する。
今日では、神前結婚式や、教会での結婚式が主流であろう。これら宗教的な結婚式、つまりは婚姻儀礼が、婚礼の中で最も重要な儀式であると考えられるようになったのは、長い結婚の歴史の中では、比較的新しい認識といえる。結婚式が、その時代々々の人々の結婚に対する思いに沿って変化しているのである。

ちなみに、今回用いた写真は、京都の石清水八幡宮で行われた友人の式の様子である。晴れやかに、かつ厳かに行われる結婚式は、見ている側も幸福な心持ちにさせる。二人の前途に幸あらんことを願いつつ、結婚式の変化に思いを馳せた。