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#348

論理的思考・デザイン思考・アート思考
― 早川克美

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 昨今、ビジネスの現場においても「デザイン思考」や「アート思考」が注目されるようになった。それぞれがどのようなものなのか、そして両者には関係性があるのだろうか。これらに答える前に、これまでの常識であった「論理的思考」をふりかえりつつ、それぞれの思考について述べていきたい。

 論理的思考とは、効率を重んじて1つの正解を理論立ててみつけていく思考だ。前例から得た知見を重視し、データを分析して結果を導き出そうとする思考であり、失敗が少ない方法といえる。一方で、潜在的な課題を見逃してしまったり、切り捨ててしまったりする側面がある。そのため、より複雑化する現代の社会問題を解決するには限界があるといわれるようになってきた。

 その見えない課題を掘り起こし、目に見える課題にして、それに共感することで潜在的なニーズまでをも発見していくのが「デザイン思考」だ。デザイナーがデザインをしていく際の思考のプロセスを、一般の人が使いやすいように形式知として示したものであり、複数で共有できることから、グループワークによる共創に適した方法だとされている。そのため、近年、多くの企業などで採用されつつある。

 論理的思考が机上で行われるとしたら、デザイン思考は身体的な体験を伴うともいえるだろう。

 しかし、ではデザイン思考を用いたらすべて創造的に解決できるのか?といえば、実のところ、そうともいえない。デザイン思考は、まず、ユーザーを観察して、エスノグラフィー(行動観察)的に情報を集めていく。そして、集まった情報から、手がかりを見つけていく際に求められる発見力や、ユーザーに共感する鋭敏な感受性は、一個人の能力に負うところ大きい。

 デザイン思考はそんなに簡単ではないのだ。

 「デザイン思考でなんでも解決できる」と期待していたのに、どうもそうでもないみたいだと、その限界に気づいた敏感な人たちが「アート思考」と言い始めたのではないか、というのが私の見立てだ。

 ただ、アート思考は、論理的思考やデザイン思考のように明確な方法論ではなく、たとえば「いままでになかったものを創造することがアート思考だ」「個人の感性からイメージしていくことだ」など、人によって解釈が様々で若干混乱の様相だ。私のスタンスは、「個人の内に秘めた価値観や衝動から創造していくこと」、言い換えれば「自分軸を起点に創造する」というものだ。こう捉えると、アート思考とは特別な思考ではなく、創造する際のとてもベーシックなあり方であるといえるのではないだろうか。

 3つの思考、比較してどれが良い、という議論はまったく無駄である。どれが優れているというものではなく、「デザイン思考による共創に参加する個人の基本的なあり方としてアート思考がある」「デザイン思考における観察やプロトタイピングを支えるバックデータとして論理的思考は必要」というような関係性ではないかと考えている。3つをケースバイケースに組み合わせたり、あるいは、論理的思考から始めて途中からデザイン思考でユーザーに寄り添ったり、その風上にアート思考が存在しているというような複合的な関係が望ましいのではないだろうか。

 

 論理的、デザイン、アートと、どんどんマクロからミクロにフォーカスするようになったことは、創造する社会に向けて、歓迎すべきことだ。どの思考が良いというのではなく、課題や求められた状況で適宜選択し、あるいは段階に応じて組み合わせたりして使っていくものだろう。そう複合していくことで、多様で複雑な社会に対し、私たちがていねいに向き合えるようになるのではないかと思う。