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#350

ランドマーク、隣のおじいさん
― 上村博

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少し前まで、ランドマークは要らないものだと思っていた。聳え立つ記念塔、重厚な官衙、宏壮な競技場。古代ローマならともかく、今の時代、そんな大仰な建造物が並んでいるのは、よほどの全体主義的、あるいは権威主義的な国家ではないか。それに、居丈高な建物があるからと言って、その土地の住民が幸せなのかというと、きっとそんなことはないだろう。そんなふうに思っていた。
ランドマークはその名のとおり、もともとは、土地 land の境界 mark のことだった。境界を示す目印が転じて、ある土地を代表するような建物もそう呼ばれるようになった。都会のなかでは、しばしば公共施設や商業ビルもランドマークになる。だから、必ずしもローマのコロッセオとかイスタンブルのアヤ・ソフィアといった巨大建築物でなくても良いのだが、それでも目印になるためには、それなりの視覚的な特徴が必要となる。建物の大きさがモノをいうのである。そもそもランドマークが必要なのは、道に不案内な旅人をどこかに誘導するためではない。ランドマークはその言葉の出自からみても、単なる標識というよりも、その土地が誰のどのような土地なのかを告げるものである。さらには誰の領地なのかを喧伝するものである。
だからこそ、ランドマークには、しばしば押し付けがましい存在感があるのだろう。そしてそれは、皇帝の君臨する首都を飾るような建造物ばかりとは限らない。一見いかにも自由・平等を謳っている国であっても、「さあ、これがみなさんの共有財産ですよ」と言わんばかりに民主的で開放的な顔をした(たとえば透明なガラス貼りのモダン建築の体裁で)市役所、図書館、美術館を建て並べる。勿論、それぞれには公共サーヴィス提供とか社会教育といった機能はあるのだろうが、そうした実際上の用途は脇に置いて、それらの建造物にはどこか設置者(それが法人や自治体であろうと)や体制的な主張が目についてしまう。

隈研吾氏が『負ける建築』という卓抜なタイトルの本を出したのは2004年である。「負ける」というのは、とりわけ20世紀に流行った、周囲の自然や都市環境のなかで存在感を示すような「勝つ」建築との対比で使われている。もっともこれは別にランドマークの景観的な側面を論じた書物というわけではない。むしろ、建築をめぐる社会、経済、政治の仕組み、たとえば公共事業やマイホーム所有の欲望を生み出す体制などを論じた文章である。しかし、実際のところ、それだからこそランドマーク的な建築物がなぜそのような形態を持つのかということを、その背後にある力学からよく解き明かしている。そして隈氏は「勝つ」建築への反省から、あえて「負ける」建築を設計するという、一見ネガティヴな試みを提案するわけである。資源が無尽蔵にあって、経済も際限なく成長する、という前提がすっかり疑わしくなった今、欲望に突き動かされた建築物の作る風景が白々しいものになった理由がわかったような気がする。

ところで、「勝つ」にせよ「負ける」にせよ、建築にとって勝負は一発勝負とは限らない。勿論、建築家にとっては、竣工したての時点の情況が大事だろうが、建築物を施主に引き渡したあとも、そこに持続的に関わることは普通であろう。それがメンテナンスということなら、完成した建築の状態をなるべく永続的に保つことが任務となる。しかし、それは「なるべく」なのであって、完成時点の建築物が永遠に同じであることは原理的に不可能である。物理的に素材が経年変化するというだけでなく、建物の周囲の街もかわれば、気候も植生も変わる。使用者も変わったり、いなくなったりする。建築が環境や時代のなかで、それとともに成立するものである以上、時間の経過のなかで、同一のものでありつづけることは無理な話なのである。よほど特殊な空間、たとえばスウェーデンのスカンセンとか古民家園のような博物館施設や、あるいは設計図書を示すヴェクターデータとしてなら、同一性を保持し続けることができるかもしれない。しかし普通の生活空間のなかの建造物であれば、人も老いれば建物も老いる。そして、この「老いる」ことは、場合によって「負ける」ことにも「勝つ」ことにもなるのではないだろうか。完成した当時の流行が過ぎ去って、勝ち誇った姿がしょぼくれた敗残の様に変わることもあるだろう。また反対に、地味で周囲に埋没した建築があとから注目を集め、ランドマークに変わることもある。棚田や街道のような、文化的景観と呼ばれるものの多くはそうではないか。街や建築が時代とともに齢を積み重ねていくことを尊重したのはラスキンである。世代を超えて建物が伝えられていく、そのこと自体が価値を持つのである。できたてほやほやの建築には、勿論それぞれに美醜もあれば、また好悪さまざまな反応があろう。しかしそうした構造物の形や機能とは別に、そこにあり続けることが持つ値打ちのようなものも、たしかに生まれてくる。それは変に「勝つ」ことになってしまうかもしれないのだが。

逆に変に「負ける」という勝負の仕方もあるだろう。たとえば、何十年か前に京都に住み始めた頃、私は京都タワーが嫌で仕方なかった。
なんでこんなのっぺりしたブサイクなものが駅前に聳えているのだろうか。歴史都市の尊重も美意識もあったものではない。精々、京都駅に到着した旅客が烏丸口と八条口とを間違えないための目印の役にしか立たないのではないか。
よそ者がそんなふうに思うくらいだから、1964年の建設当時の猛烈な反発は容易に想像できる(同年の『京都の破壊』という本には国内外の建築家や文化人の抗議文が山のようにまとめられている)。しかし、いまや景観の話題としては、なんちゃって町家とかホテル建設ラッシュはよく聞くものの、京都タワーについて熱く語られることは、もはやないだろう。さらには、その昭和モダンな安っぽい佇まいが、ノスタルジックな味わいすら醸し出している。これは結局、勝ち負けでいうと、「負け」て勝つ、あるいは粘り勝ちと言っても良いのではないだろうか。勿論ラスキンの言うような、住民に親しまれ大切に守られてきた建築ではないだろう。しかし、そんなに親しくはないけれど、なんとなく日々見かけているうちに馴染んできて、いつの間にか、自分の生活の一部となっている。あたかも、長年付き合いのある近所のおじいさんのような存在である。モダニズムの夢を追ったランドマークも、そうしたおじいさんになってしまうと、年の功がものをいう。京都タワーはいまでも特段に好きだというわけではない。しかし昔のような嫌悪感はもうない。あきらめと親しみが半々であり、こちらの根負けである。