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アネモメトリ -風の手帖-

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#311

見出された過去
― 大辻都

見出された過去

(2019.03.24公開)

昨年末は大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観て、思いがけずクイーンを好んで聴いていた数十年前の記憶が詳細に蘇り、同時に彼らやその音楽をめぐり当時は見えていなかったいくつかのこと――背景にある都市社会の構造や、他の例と比較することで露わになる特徴など――が、現在の自分には見えることに気がついた。
そのことを書いた前回のエッセイ「既知との遭遇」を出発点に、過去を書くとはどういうことか、今回さらに考えてみようと思う。そう言われたとき誰の頭にもわりあいすぐ思い浮かぶのは、自分自身の幼少期や若い時代の回想のようなものではないだろうか。記録などに頼らずとも自身の記憶のみをたどり、現在の感慨を加えて書けば文章は成り立つ。幼く瑞々しいエピソードやそれを思い返す郷愁の念、さらに書き手の文体の妙もともなった文芸エッセイは、読む者の心をときめかす。私も作家が書く幼年時代の思い出にキュンとなった経験は数知れない。
だが自分が体験した過去だけが過去ではない。一口に過去と言っても、体験を通じた個人的過去もあれば、ある時代やそのできごと、風俗など万人が共通して分かち持つ過去もある。両者はかならずしも完全に切り離されるものではない。体験しようもない書き手が生まれる以前のことはさておき、書き手個人の体験の背後には、ある時代という万人の過去が控えている。そうしたさまざまな過去は、個人の体験であれば本人の記憶として保持されることになる。だが私たちの記憶にある過去というのは、正確だと信じていても多分に曖昧で主観的なものだ。また一方、体験したしないに関わらずある時代のできごとや風俗を意味づけるとき、私たちは得てして一般に流通している紋切型のイメージに引き摺られ、鵜呑みにしがちなものである。
同じひとつの過去であっても、紋切り型を疑い、視点を注ぐ立ち位置を変えてみると、まったく異なる風景が現れることがある。そこにはこれまで得られなかった発見があるはずであり、そのことでテキストには価値が生じる。資料をたどる、また実地調査をおこなうという行為は、記憶の歪みや手垢のついた定説を洗い流すには何よりの手助けになる。例外もあるかもしれないが、何かを書こうとするとき人の頭に思い浮かぶことなどごくわずかで、材料には不十分だ。我が身のことを考えても、書きたいテーマを文章化する過程で他人のことばに頼り、新しいネタや考察のきっかけを得たという経験は数知れない。あやふやなことを思い込みで書こうとし、ふとデータを確認してみたことで記憶の誤りに気づき、すんでのことで恥をかかずに済んだこともある。資料集めや調査というと論文の専売特許のイメージがあるが、かならずしもそれだけではない。やわらかい文体のエッセイにも綿密な裏づけをされたものはあり、そうした文章は「読みごたえ」という感覚とともに読者に新たな発見をもたらしてくれる。
寺尾紗穂の『あのころのパラオをさがして』(2017年)は、ミクロネシアの島パラオの住人のかつての暮らしと風俗を掘り起こそうと試みたエッセイだ。パラオは第二次対戦が終わるまでの約30年日本の統治下にあり、言語をはじめ今も人々の生活に日本の影響が残っていることは知られている。著者はエッセイストであるだけでなく、研究者、シンガーソングライターの顔も持つ。もともと作家の中島敦が好きで、日本統治時代に現地向け国語教科書を作るためパラオに滞在した作家の残した「南洋もの」と呼ばれるテキストに関心があった。寺尾のエッセイは現在の島を歩き回る旅行記の体裁を取り、文章も硬くはなく読みやすいものだ。他方で著者は本としてまとめるにあたり、中島が暮らした時期のパラオに関し、高齢者たちの証言を集め、中島や親しかった彫刻家、土方久功(ひさかつ)のテキストを検証するなど、当時の記録、情報を精力的に渉猟している。
エッセイのなかで「デレベエシール」と題された一章は、パラオの歌謡について書かれた箇所である。風俗の発掘にもいろいろあるが、音楽に関わる著者ならではの観点と言えるだろう。デレベエシールは日本統治時代に流行った日本語を含む歌謡のことだ。そのなかには日本の軍歌がそのまま伝わったものもあれば、パラオ人の手による日本語の歌もある。

セメメマタアウ ソノトキハ
アデデレンケベセゲイメン ウオイ
ウギラ ブイレマ
ドライブクルマニ ノセラレテ
オマケニ ウンテンサンノオツクガナイ
ネエー トコドンドン

上のように、パラオ語と日本語が混じり合った歌もあり、そこではしばしば「お靴」が「オツク」となるなど、元の日本語の音が入れ替わってしまうケースも見られ興味深い。著者はシニアセンターを訪ね、高齢者からこれらの歌について聞き取り、カタカナで歌詞を書いてもらい、じっさいに歌ってもらっている。こうした地道な聞き取りが、中島や土方の残したテキストと重なることで、これまで知られていなかったある時代のパラオの風俗が浮かび上がってくるのである。
資料を重視することに関し、著者は次のような考え方を「まえがき」に示している。

読み手にとっては、煩雑に感じられるとも思ったが、今作でも参照した資料の情報を細かく記している。小説風ノンフィクションを読んでいてしばしば感じられることだが、情報の出所がはっきりしない場合、時代を経たときに、一部は作者の創作の可能性がある、と受け取られてしまうことも多い。どれだけ綿密に取材がなされていても、どれだけ重要な証言が書かれていても、そうなってしまっては残念である。/人の考えの、生活の、歴史の細部を知ることで、人はより深く、対象を感じることができる。情報の細部にこだわるのは、知識を増やすためではない。結果として「あのころのパラオ」を、以前より身近に感じてもらえれば幸いである。

寺尾のエッセイは、著者がもともと知らない過去の掘り起こしによる発見と言えるが、個人により体験された過去であっても、そこに新たな意味づけをすることは可能だ。
中村和恵の『地上の飯』(2012)は、基本的には著者自身の体験に基づいた食をめぐるエッセイである。10数頁の短い章ごとにひとつのテーマが設けられて一冊の本を構成しており、読んでいると日本や世界の各地を食べ歩いているような気分になれる。食べ物エッセイは世に多くあり珍しくないが、これはたんなるグルメ探訪記ではない。著者が子ども時代から現在まで、さまざまな場所でめぐり合った食べ物を扱っており、そのなかには北海道での子ども時代に齧ったつららや食べ物から立ちのぼる湯気を考察した章もあれば、くじらや干し鱈を世界史的な視野で考察した章、「日本人はうまい」との伝聞を検証する章もある。過去に出会った料理や食材に関する記述が中心となるが、それを軸として、文化的な背景やその料理なり食材がある土地に渡ってきた歴史的・人類学的経緯にも視線は及ぶ。
詩人、比較文学者でもある著者は、父親の在外研究のため子ども時代の一時期をモスクワで過ごしたという。「心残りの一皿」と題された章はその頃の回想を綴ったものだ。小学生の著者は日本人学校の修学旅行でエストニアを訪問する。モスクワと違って美しく、中世ヨーロッパのような趣を持った町のホテルでこれでもかとご馳走を食べた後、最後に出されたクリームとサクランボを飾ったケーキを書き手も級友たちも満腹過ぎて食べることができない。どうしてもそのまま残すのが惜しかった子どもたちは、その素敵なケーキにお茶をかけ台無しにしてしまうという悪ふざけに及ぶ。
この章で登場する食べ物は、それじたいはさして文化的な意味を持っているわけではない。また著者らの行為は旅行という非日常にある子どもたちの興奮の発露に過ぎないのかもしれない。だが、著者はかつての自分の無意味と思える行動から、子ども心にも重苦しく感じられた当時のモスクワの空気を読み取っている。

しかしわたしはあの行いが、あの時代のあの国特有の抑圧感と無縁だとはおもえなかった。ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を読んでいて、ナチスの強制収容所から解放されたばかりのひとがわざわざ畑を横切り麦の新芽を踏みつぶして歩く場面に、あの皿を思い出してしまった。これはたしかに考えすぎだ。でも、わたしにとってタリンのケーキ皿はいわば、解放された人間の狼藉のシンボルみたいになってしまったのだ。

著者がモスクワに暮らしたのは、東西の冷戦構造が続いていた1970年代だ。衣食住を保証されつつも、国家がすべてをコントロールし、自由や贅沢とは無縁な生活。そのような生活への鬱屈が表面化してしまったのではないかと遠い未来に立つ著者は考える。冒頭に挙げた拙稿「既知との遭遇」の体験同様、同じ過去の時間が、かつては感知し得なかった歴史の厚みを持った生として姿を現した例である。過去を「書く」という最初の話題に立ち戻れば、その姿をことばに換えることができたとき、それらを通して初めて、他者との意味の共有が可能になると言えるだろう。