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アネモメトリ -風の手帖-

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#90

ないものはない
― 早川克美

sora_37

(2014.11.23公開)

先日,海士町に仕事で行く機会に恵まれた。
日本海の島根半島沖合約60Kmに浮かぶ隠岐諸島の中の一つ中ノ島を「海士町」といい1島1町、面積33.46k㎡の小さな島である。

奈良時代から遠流の島として、遣唐副使の小野篁をはじめ、承久の乱(1221年)に敗れ、ご配流の身となられた後鳥羽上皇は、在島17年余この島で生涯を終えられ、島民の畏敬の念はいまなお深い。明治の文豪小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、隠岐旅行の際「菱浦港」を最も気に入り8日間も滞在したという。
地方が抱えている過疎の問題は、この町も当然抱えている.(町のサイトより)

そんな小さな町では町のあちこちに興味深いポスターが貼られていた.町のキャッチコピー「ないものはない」。気持ちいいほどの開き直りにもとれるこの言葉、二つの意味があるという。ひとつは都会にあるような便利さはないのだから求めても仕方ない。そしてもうひとつは、便利ではないかもしれないが、人間が豊かに生きるためのものはすべてある、ということだ。車を借りて島を周っていると、いたるところで話しかけてくる人懐っこい島の人たちの笑顔に、人間が豊かに生きるために必要なものが、都会には揃っているのか?という疑問をもたざるを得なかった。

島では、教育に対する取り組みが大変ユニークだ。島にある県立「島前高校(とうぜんこうこう)」では、島外から生徒を受け入れる「島留学」が進められている。また、高校と連携した町が設置した公営塾で、生徒たちが地域の問題に向き合ったり自分の将来の夢について考えを深める「夢ゼミ」等のユニークな取り組みがあり、島留学と共に全国から注目を集めている。私の滞在中もちょうど「夢ゼミ」が開かれ、高校1年生の約40名のグループ学習の議論を見学する機会に恵まれた。生徒たちは、地域の未来と向き合い、自分の考えをしっかりと持っている子ばかりで、それは刺激的な時間だった。「島留学」で千葉から来たという女の子は、「高校を卒業して島を出た後に自分が島に対してできる恩返しを考えていきたい」と話していた。未来の日本を支える人材が島から生まれるだろう予感に頼もしくうれしくなった。

こうした新しい取り組みは町役場の人と「Iターン」で新しく島に移住してきた若者によって進められている。東京の名だたる企業を務めていた若者たちが新しい生き方を目指して集まりつつあるという。今回の滞在でお世話になったOさんも、東京の大手教育産業を辞めてこの島にご夫婦で移住された。「島留学」と「夢ゼミ」の取り組みを視察に来た際に、島の関係者にスカウトされたことで人生が180度変わってしまった。現在では夢ゼミを開催している学習塾の中心的存在だ。「この島に来て、東京にいた頃のような物欲がなくなって、シンプルな暮らしの居心地の良さに気づきました」とOさんは語る。「逆に地域に馴染んでくると、食べきれないほどの野菜や魚をいただいたりするんです。それがとても美味しい。豊かさってこういうことだよなって思ったり」

ふと、関わりあって生きる、という言葉が浮かんだ。他人同士がそれぞれにないところを補いあって一緒に暮らす生活の力強さをまぶしく思った。そういえば「島留学」の子どもたちには、島の住人の有志がホストファミリーになって、寮生活のさみしさを「島のお父さん・おかあさん」が支えていると聞いた。過疎の問題に直面しながら、教育という「ひとづくり」に挑戦する海士町の人々からは、関わりあって生きることの豊かさの中に「ないものはない」と言い切る覚悟のような意思を感じることができたように思う。