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アネモメトリ -風の手帖-

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#280

避暑
― 野村朋弘

避暑

(2018.08.12公開)

酷暑である。
まったく仕事をやる気が起きない。
もちろん、この原稿も同様に何も思案が浮かばない。
とはいえ、大学機関で仕事をしていると、他業種の方から「夏休みが長くていいですね」などと言われることが多い。
残念ながら通学部の授業が「ない」だけで、会議もレポート採点も、通信教育部の授業も、平常営業である。通学部の学生の夏休みは、教職員の休みとイコールではないのだが、なかなか理解されることはない。

せめて、どこか涼しいところで仕事をしようと思い立ち、先週から郷里である北海道の函館に来ている。レポートの採点をすることが主なタスクだが、その他、研究の一環でもある北海道の神社史を調査するためでもある。今回はその調べごとをご紹介してみよう。

北海道の神社史は、他の地域に比較して特異性がみられる。
それは蝦夷地が、日本化されていく中で、土着の信仰の地が社や神とされている点や、内地からの開拓民によって、それぞれの信仰されてる神が持ち込まれている点にある。
明治維新期の廃仏毀釈運動を例にみてみよう。廃仏毀釈運動はいうまでもなく、神仏分離令によって寺院が排斥される運動だが、北海道は神仏分離令が出された慶応4年(1868)の頃は内戦の最中であり、運動は内戦の終結した明治4年(1872)から行われている。
この際に全道の社が調査されている。全道的にみると、海運や豊漁を祈願する、弁天社や金比羅社、更にそれらが転化した稲荷社が多く祀られていた。これらは仏教的な神々として、排除すべきという指摘が調査後になされている。しかし、翌年には「北海道ノ儀ハ辺境未開ノ地ニテ、従前漁夫商人等願済ニモ無之、神社仏堂勝手次第造立ノ分モ不少」と開拓使が中央に報告しており、北海道の神社・寺院の由緒の特異性が認められ、廃仏毀釈運動は結果的に猛威を振るうことはなかった。
こうした特異性もあり北海道は、神社史研究の対象としてとても面白い地域であるといえよう。

函館に帰ってきてからすぐに函館山周辺の神社を巡ってみた。写真は船魂神社の社殿である。函館山の山麓にあり、神社からは函館港が一望できる。
船魂神社は、古くは船玉社と記されている神社で、社伝によると創建は保延元年(1135)、良忍上人が箱館まで訪れて、海上安全の祈念して建てられたという。良忍上人とは、天台宗の僧侶で浄土教の一つである融通念仏宗を創設したとされる。良忍の伝説は様々あるが、室町時代に融通念仏縁起絵巻が全国に流布している。その流布の中で、良忍が蝦夷地まで訪れたという伝承が出来たのであろう。
さて、良忍上人が創建したかはともかく、船魂神社は海上安全を祈念して建てられたと考えられる。祭神の塩土老翁神や、大綿津見神は航海や海原の神といわれている。先にあげた通り、北海道の神社には弁天社や金比羅社が多い。船魂神社もこれらと同様に海上交通の祈念や豊漁を祈念して建てられたのであろう。

そしてもう一つ船魂神社の伝承で面白いものがある。義経伝説である。
義経とは、いうまでもなく平家を滅亡に追いやった源義経のことで、文治5年(1189)に奥州平泉の衣川館で自刃した。後に、義経が衣川で死することなく、逃げ延びたという伝承が生み出され、物語化されている。はじめてその説を載せているのが江戸時代の寛文10年(1670)に編まれた『続本朝通鑑』である。「俗伝又曰、衣河之役義経不死、逃到蝦夷島存其遺種」とあり、義経が北海道に渡ったという説を載せている。
更には大陸に渡り、チンギスハーンとなったいう説まで生み出されている。

義経が津軽海峡で海難に遭うも、船魂明神のお陰で無事に北海道まで渡ることが出来たと船魂神社の社伝では伝えている。そのため義経が北海道に上陸した地は函館の船魂神社付近であり、ここを起点として、北海道には100を超える義経伝説の地が遺されている。最たるものは、平取町にある義経神社であろう。
とてもロマンがある伝説として、いまでも漫画や小説などでも再生産されている。いずれも義経は魅力的に画かれている。判官贔屓よろしく、義経は悲劇のヒーローとして美化され続けている。

義経伝説は先行研究によって、江戸や京都などの都市で生み出されたことが明かにされている。興味のある方はぜひ原田信男『義経伝説と為朝伝説――日本史の北と南』(岩波新書、2017年)をはじめとする文献を読んで欲しい。

さて、義経伝説をはじめとして神社の社伝や寺院の縁起などで語られていることが、即ち史実であると誤解される方は多い。しかしながら伝説・伝承と、歴史的な事実は異なる場合が多々みられる。
地域の文化資産には、伝説や伝承を基としたものも多い。そうした物語を起点として、何十年、何百年と歴史が形成される場合もあろう。
そうした歴史を紐解き、起点となった伝説・伝承が生み出された要因や、伝説・伝承が継承されたかを考える学問が歴史学である。こう書くと実に身も蓋もないかも知れないが、歴史学はロマンを引き剥がし、史料に基づいて歴史的事実を客観的に明かにすることを目的としている。

一つ一つの神社や寺院の歴史を明らかにすることによって、はじめて地域の歴史的事実や歴史像が明らかとなる。これは文化資産の価値を理解する上でも重要である。
世界遺産などに登録される際に、単なる言い伝えだけではなくエビデンス(証拠・根拠)が必要になるからだ。
かくして、今日も小さな歴史的事実を明らかとするため、図書館に籠もっている。
結果的に内地にいても、函館にいても、気温以外は変わらない平常営業なのであった。