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アネモメトリ -風の手帖-

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#306

京あるき
― 野村朋弘

京あるき

(2019.02.10公開)

仕事柄、古文書の調査で全国を旅することが多い。
一番、多く通っているのが京都である。いまや職場もあるので調査、講義、会議と京都に通っている。
会議や講義では、大学と宿との徃復をするのみだが、バスや地下鉄ではなく、できるだけ歩くようにしている。
京都の土地勘を養って、史料を読むのに役立てたいからだ。
歩くことで、社寺や邸宅の距離感がつかめる。中世人の歩いた感覚を培うことは、史料の理解にも役立っていると思う。
JR東海の「そうだ、京都いこう」のCMでは、古都のイメージに基づき魅力的な社寺が紹介されている。その影響からか、京都に出張するたび多くの観光客で賑わっているのを見かける。
794年の平安京遷都以来、明治維新の東京奠都まで、京には天皇と朝廷が存在している。1200年の歴史を有する都として、世界にも名高い。
しかし、翻って考えてみたい。古都・京都で、果たして古くから存在するものは何か。例えば平安京の格子状の路は、厳密にいえば今日の路とは異なっている。
唯一、同じなのは東寺の脇の路のみである。また建造物はどうか。都であり続けたため、平安時代末期の太郞焼亡(安元の大火)をはじめとする多くの火事、そして応仁の乱や、禁門の変といった兵乱が度々起きており、古代の建造物は平安京エリアには存在しない。応仁の乱より前の建造物でいえば、千本釈迦堂くらいなものである。
「悠久の都」「平安貴族の雅」の面影がしのばれるのは、京都近隣の社寺や、古文書、絵画史料、そして仏像といったものである。
そのため、本来の意味で、京都の歴史を知るためには、今日ある社寺をただみてまわるだけではなく、史資料をはじめとする歴史学の成果を知り、実見することによって、イメージできるのだ。
古文書といった歴史資料だけではなく、また、今日ある社寺をみて廻るだけでない。
双方揃って、はじめて京都の歴史の醍醐味を理解することが出来るだろう。
昨年末、そうした歴史を学びつつ、フィールドワークを行う公開講座を担当した。私が研究対象としている松尾大社を中心に、嵯峨嵐山といった洛西をまわったものである。
794年より前から京都盆地には豪族の秦氏が勢力をはり、松尾大社や広隆寺といった社寺が建立され、また古墳なども多く存在している。写真は太秦の映画村近くの蛇塚とよばれる古墳の石室内部である。
映画村の発展によって、古墳が崩され石室が露出して今日に至る。
社寺の境内にある桜や紅葉が綺麗だ。というだけではなく、何気ない住宅地の中にある遺跡からでも、京都の歴史は遡ることができる。

さて、こうした秦氏が建てた社寺について、3月東京で開催されるイベント「京あるきin2019」で一席、話すことになった。
京都の歴史について、観光ガイドブックなどではない、一歩踏み込んだ話をしようと思う。
興味をお持ち下さった方は、ぜひ、お越し下さい。
単なる宣伝でした。