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アネモメトリ -風の手帖-

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#31
2016.07

「一点もの的手づくり」の今

後編 RYOTA MURAKAMI オカンとファッション
5)オカンの話1 絵を描く楽しさを知る

まったく経験ないことを息子から頼まれ、わけがわからないながらも一生懸命絵を描いて、心に沁みる手紙を添えて送ってくる。こんなふうに書くと、しっとりと優しい理想のお母さんのようだが、実際の千明さんは、決してそんなタイプではない。「あんた、わたしのこと全然わかってへんな。わたしはな、好きなことしかできひんねん!」などとあざやかに息子に言ってのける、ある意味関西のオカンらしいお母さんである。

——わたしはあんなん(手紙)、何にも思ってなくて。ほんまにこんなことしかできないけどいいのかなと思って、申し訳なくて書いただけやから。力になれてないよね、とか。

ちなみに、亮太さんが千明さんに何かを頼むというのは初めてのことだった。思春期以降、あまり自分から話すことのなかった息子は、ちょっと気を使う存在でもあった。

——(亮太さんは)難しい、怖いひとでした。わけがわからなかった。反抗し続けて、東京へも家出のように行ったんで。よくネットカフェに泊まって帰ってくることがあったので、「東京に行ってくる」という日も、日帰りか一泊で帰ってくると思ってたんです。何も持たずに手ぶらで行ったし。そしたらそれきり帰ってこなかった。それからは連絡あるのも「お金ない」くらいですから。ファッションのことをやってるとはなんとなく思ってましたが、わたしにはわからない世界だし、口を出すことじゃないなと。
だから突然「絵描いて」と言われても何、って。(あの子が)悩んでるか、なんて考えなかったです。あの子がやってることなので、デザイン画だろうなとは思ったんですけど、「何が好き?」と聞かれて「象」と言ったら「じゃあ象描いて」って。「他はどんなんが好き?」「クジラ」「じゃあクジラ描いて」って。そういう感じで意図がわからない。

亮太さんはいちおう“ちゃんと説明した”つもりだったようだが、そもそも千明さんは、まさか自分の絵が服のデザインに使われるとは夢にも思っていないから、話がうまく伝わらなかったのだ。
“わけがわからない”から、千明さんは素直に、頭に浮かんだイメージを絵にするしかない。その何にも縛られない自由さこそが、まさに亮太さんが必要としていたものだった。
千明さんの絵を、亮太さんが服のかたちにする。ブランドのコンセプトが決まり、服づくりが始まって数ヵ月後。RYOTA MURAKAMIはイタリアで開かれるヨーロッパ最大のファッションコンテスト「ITS」のファイナリストに選ばれ、亮太さんは千明さんをヨーロッパに連れていった。2014年のことだった。

——ふつうに仕事に行って、ごはんつくってみたいな生活を毎日しているなかで、たまに電話で「描いて」って言われたら描いて送って。わたしはそうやって片手間にやってるわけですよね。そしたらいきなり「おかあさん、イタリア行くから」って言われて、本当にびっくりしましたよ。絵を描いている最中に「イタリア行こうな」と言ってたのは覚えていますけど、本気にもしないじゃないですか。聞き流してたんですよ、そんなの夢だと思ってるから。

イタリアに行ってからおよそ1年ののち、RYOTA MURAKAMIはデビューして、今に至っている。けれど千明さんは相変わらず、“わけがわからない”ころのまま、絵を描き続けているだけだ。

——注文も何もなくて、打ち合わせもしないです。「好きに描いて」とか、「練習せんと、上手に描かんとって」とかだけだから。ただ、テーマ、お題はあります。わたしはそれがないと描けないです。
毎回、数もそんなにないですし、時間もかかりません。ワンシーズンで10枚も描かないですよ。1枚5分もかからないです。言われたらすぐに描けるものは描けるから。夕方、ごはんをつくってる忙しいときによくメールがあるんですよ。手を拭きながらメールを見て「えー」ってなって、そのままそこらにある紙にばばっと描いて、一段落したらまた描いて、色を塗ったらもう5分ぐらい。10枚いっぺんには出てこないですけど、1、2枚くらいはすぐにこんな感じかなって。で、1枚目を送ると、「もうちょっとこういう感じで」というのはありますね。
例えば「トマト」っていわれたら自分が思いつくトマトを描いて送るんですね。そしたら「これでいい」ということもあるし、「違うのもう1回描いて」と言われたらもう1回描いて送って、また「そうじゃなくてこんなん」と言われたらまた描いて、みたいな。1枚目だけはそうやってやりとりして、あとはその系統で描いていくんです
その1枚目を描くのが面白いです。上手く描けないけれど、思いつくだけは思いつくんです。なんぼでも。基本的に、描いたものはたいてい「いいんと違う?」って言ってくれますけどね、ありがたいことに。

千明さんは「RYOTA MURAKAMI」では、ニットもののモチーフ制作なども頼まれたらやっているが、基本的には「絵を描く」ことしかしていない。そして、その絵が最終的にどんなかたちになるかはいつもわからないままだ。だから、ショーやポップアップショップなどは必ず観に行く。

——どんなふうになったか観たいから、ショーのときは観客として行くんですけど、そうするとモデルさんと一緒に歩くという恥ずかしいことが起こるんですよ。「オカンこっち来て、座ってたらあかんで」って。行った当日に、いきなり言われるんです。友だちには「東京行ってくるねん」「誰それに会うねん」と自慢したりするんですが(笑)。デザイナーとしての自覚は今でもあんまりないですけど、ちょっとだけは。

千明さんの日常が一変したというわけではまったくない。一家の主婦として相変わらず加古川に住み、昼間は働きに出かけ、家族のごはんをつくっている。基本的にはRYOTA MURAKAMIのデザイナーという肩書きは非日常のものだ。
ただ、千明さんのものの感じ方、考え方は大きく変わっていくことになる。

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千明さんの原画と実際につくられた服。絵をそのまま生かすのはTシャツくらいだが、魅力を最大限に引き出す工夫がなされている

千明さんの原画と実際につくられた服。絵をそのまま生かすのはTシャツくらいだが、魅力を最大限に引き出す工夫がなされている