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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#9
2013.9

京都 西陣の町家とものづくり

後編 ショップ兼工房としての町家
6)和の枠組みをデザインし直す
グラフィックデザイナー・木本勝也さんの場合3
落雁は季節限定のものを含めて6種類。左から二つ目が京都の景色を落雁に描いた「京都ものがたり」

落雁は季節限定のものを含めて6種類。左から二つ目が京都の景色を落雁に描いた「京都ものがたり」 

木本さんの話には、京都の伝統文化をリスペクトする思いが随所にあふれている一方、「消えていくものは消えていったほうがいい」「町家が永久に残るとは思えない」といった、一見、現状を突き放しているようにも思える発言がたまに飛び出す。まるで、かたちあるものは永遠ではない、とでも言うように。

———例えば、歌舞伎の歴史は長いですが、200年前の歌舞伎がどんなものだったか、実際に見たことがあるひとはいないですよね。200年前の方がすごいかもしれないし、今の方がもっとすごいかもしれない。いずれにしても、実際見たことのないものをそっくりそのまま継承するって難しいことだと思うんです。肝心なのは、今の僕たちがそれを見て気持ちいいかどうか。町家だって、ずっと残るとは言えません。木造だから、いつかは朽ち果てる。でも、仮に町家がなくなったとしても、これから100年残るものを今つくればいいじゃないか、それが100年続けば歴史遺産になるんだから、と思うんです。

大事なのは、継承することでもなく、啓蒙することでもなく、枠組みを常に見直すこと。今の私たちが気持ちいい、楽しい、やってみたいと思わず動いてしまうようなものになっているか点検することが大事なのだ、と木本さんは言いたいのだろう。

———西陣織でも、清水焼でも、何かしないとこのままでは先細りだ、と努力されているのは痛いほど伝わってくるんです。でも、今はどういう状況なのか、時代はどういったものを求めているのかを分析しないまま、とりあえず今あるものに少し改良を加えてプレゼンテーションする、という窮屈な方法には、あまり効果がないように思います。

老舗のお菓子屋さんのなかには、木本さんに話を聞かせてほしいと店を訪ねてくるひともいる。対話するなかで、ヨーロッパの方が日本の伝統文化に敏感だから、そちらに向かって発信していけば日本人も振り向いてくれるはず、という考え方もよく耳にする。

———確かにそれもひとつのプロセスだとは思います。でもやっぱり、日本の人に愛されるもの、日本の人に尊敬されるものをつくっていきたいじゃないですか。どっちが正しいかなんてわからないし、ひとに押し付けられるものではないですが、ひとつの支流として、僕なりの伝統文化の続け方、継続のしかたを見せていきたいです。

かくいう木本さんも、若い頃は海外に憧れ、20代をロンドンやニュージーランドで過ごした経験を持つ。日本の伝統的なデザインを意識し始めたのも、海外に出てからだ。しかし、帰国してから、京都に来た海外の友達が来ると、坪庭も土間もない、町家の外観だけを残したレストランばかりで、口から出る町家の説明と見ている景色が矛盾する機会が何度もあった。

———誰でも、自分の住むまちを自慢したいはず。京都のひとが自慢できる京都であってほしいな、と思いますね。

店のガラスケースには、木本さんが日々目にしている“今の京都”の風景を閉じ込めた「京都ものがたり」という落雁がある。市バスと平安神宮、ビルと大文字山、京都タワーとツバメ。落雁という和菓子のかたちはそのままに、まだまだ新しいことはいくらでもできるのだな、と感じさせられるポップな落雁だ。

———思わず取り入れたくなるようなかたちで、ふだんの生活に伝統を取り入れてもらいたい。落雁はそのアウトプットのひとつにすぎません。和のままでありながら、和の枠組みをデザインし直すことはまだまだ可能だと思う。今こそ、その工夫が必要だと思います。

落雁づくりの仕事自体は職人的だが、木本さんの京都の伝統文化を見つめる視点は、どこまでもデザイナー的だ。