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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#110
2022.07

道後温泉アートプロジェクト 10年の取り組み

3 地域×アートの課題と実践を探る
4)ローカルに必要な「クリエイティブ・ディレクター」
NINO inc. 二宮敏さん2

5年前、NINOは松山市の郊外にある元もやし工場を改装してクリエイティブの拠点をつくった。ガラス張りの開放的な空間には、溶接と木材加工、塗装ができる作業場とデザインオフィスが合体し、さらにキッチンもあって日々スタッフがまかないをつくる。夢のようなクリエイティブスタジオに国内外から多くのクリエーターが訪れ、インターンが奥の部屋に寝泊まりすることもあるという。

———安くて広いところが手に入るのがローカルの良さ。クリエイティブスタジオって、ローカルなものであればあるほど面白いと思う。でも松山にはクリエイティブの人間が本当に少ないんです。新幹線もなくJRが不便なので、みんな東京を向いていて、情報もビジネスも東京なんです。それであまり地元のクリエーションがなかったんですが、それでも最近は小さなお店やセレクトショップが増えてきていいことだなと思います。

アートプロジェクトをきっかけに、NINOの仕事は、アート制作から国内外のクリエイティブ全般まで広がっている。もともとやりたかったローカルのことに、ノウハウが合致してきたのだ。NINOの周辺では、民間や行政からの依頼で、産地ブランディングやまちづくり関係の相談も増えているという。

———まちづくりの手法にもいえることですが、自分たちのやっていることをアートを通して改めて再認識して新しい動きが出ているという実感がすごくあります。今では僕らが提案すると、何か新しい取り組みなんじゃないかって期待されるようになりました。他ではやれないようなことを提案して、ローカルのクリエイティブシーンにどんどんチャンスをつくりたいと思っています。クリエイティブ・ディレクターって恥ずかしいけど、そういう肩書が時に重要だと行政との仕事で学んだので、あえて名乗ることにしています。

ローカルなものづくりに必要なのは、クリエイティブ・ディレクターだと二宮さんはいう。ものごとを普段と違った視点で眺めていくと、いろんなものが宝物のように見えてくる。視点を変える自由な発想は、アーティストたちから教わった。

———ローカルに圧倒的に足りないのはクリエイティブ・ディレクターだと思うんです。高い技術を持ったグラフィックデザイナーやイラストレーター、一次産業や伝統工芸の職人たちに対しても、彼らの仕事をかたちにしていく人間が重要で、それが制作ディレクションです。ローカルにいるとその重要性を実感するし、だからこそローカルにいてもグローバルな仕事にも直結できると思っているので、そういうことを粛々とやっていきたい。それに気づかせてくれた道後でのアートプロジェクトの存在は大きいですね。

アーティストと地元の「あいだ」に入って、作品を現実化していく二宮さんは、道後の地域の人々の変化を実感している。

———2014年のときは何者か分からないので、すべてのアクションに対して拒否反応が出ていました。でもそれ以降は「ああ、道後アートね。盛り上げてくれてありがとう」っていう感じですごくポジティブに受け入れてもらえるようになった。「うちもなにか手伝えることがあったら好きなようにやってね」って言ってくださる方もすごく増えた。そういう実感はすごくありますね。まちの免疫ができてきて、やっと乗りこなせる感じになってきたんじゃないかな。

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オンセナートで出会った、もやし工場跡地をスタジオに。空港まで車で15分、広さは120坪ほどで家賃は格安。元の建物を生かし、味のある空間に / 地元出身、マリメッコのデザイナーだった石本藤雄さんのオブジェなど、これまで仕事でかかわった作家やデザイナーの作品を置く。「石本藤雄展-マリメッコの花から陶の実へ-」では会場デザインを担当した(2018年から2019年にかけて、愛媛県美術館・  砥部町文化会館(愛媛)、細見美術館(京都)、スパイラル(東京)と巡回)

2012年当時、これから地域のなかで自分ができることを探していた二宮さんと松波さんは、道後のアートプロジェクトに関わったことで人生が大きく変わった。1つのアートプロジェクトをめぐるさまざまな人の声を聞く立場から、心地よい地域の暮らしのために立ち位置を変えて議員になった松波さん。アート制作という新しいスキルを身につけ、国内外で広く仕事をするようになった二宮さん。10年がたって、ふたりとも、次の世代にバトンを渡す時だと考えている。10年前、未経験の自分たちがチャンスをもらったように、次の若い世代にチャンスを届けたい、と。

———ここまで出来上がってきたものをいきなり手放しで渡すのは難しいところがあるので、クリエイティブを経験させてもらった僕らが伴走しながら新しい人材を育てていく気持ちでいます。そして、これは僕らを大きくしてくれた仕事なので、かかわり続けたいと思っています。(二宮さん)

———自分たちがアートプロジェクトに関わる前、当時60代半ばの道後の実力者に『この先10年20年の話を俺らの世代だけで話してもダメだから』と声をかけてもらったんです。「新しいことをするのに、若い奴で誰かいいのはいないのか?」って。それが最初のボールです。
(今の僕たちも)自分たちがやめないと新しいことは起きないと思うんです。僕もやめるって決めたから今の仕事ができてるし、次に引き継いで、自分もまた新しいこと始めるほうがフレッシュで楽しい。若い子が1年間全力でやって失敗してもいいくらいの気持ちでやらないと、もう新しい価値って出ないような気がします。(松波さん)