アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#102
2021.11

森づくりとともに 飛生芸術祭という夢を重ねる

1 アートの森で「物語」を創造する 北海道・白老町
2)小さな祭りのはじまり

芸術祭の会場となっている旧校舎は、普段は、国松さんたちが共同アトリエとして使っている。国松さんは札幌出身で、東京の美術大学を卒業後、彫刻家としての活動を始めるにあたり北海道に戻った。このアトリエは、2002年から使うようになったが、子どものころに住んでいたことがある場所だという。

———彫刻家の父親たちの世代が、ここをアトリエとして使い始めて、ぼくは小学校3、4年生のときにここに住んでいたことがあります。だから子どものころの記憶は少しありましたが、昔が懐かしいとか、自然が好きというわけではなくて。ただ広いスペースを安く使えるという条件で、いいな、と。当時はお金もないし、作品を発表する機会もなかったので、まずは作品をつくれる場所を、と住み始めたんです。

芸術祭をひらくきっかけとなったのは、2007年に開催した「TOBIU MEETS OKI」というアートと音楽のイベント。意気投合したアトリエのメンバーや友人と一緒に、アイヌの伝統的な弦楽器トンコリの奏者で、ミュージシャンのOKIさんを招いて、年に一度のアトリエ開放のイベントを自分たちの手でひらいた。

———OKIさんを呼んだのは、ここが白老で、アイヌの伝統楽器を弾く人だから、ではないです。そういう垣根を越えて、聴いた人が踊ってしまうような、単にかっこいい音楽で。ぼくも作業するときによく聴いていたんです。
もともとここでの活動を町に還元しようと、年に一度展覧会を開催したりしていたんですが、あまり展示したいと思えるような場所がなくて。この場所に住むようになると、遊びに来てくれた友達が「懐かしい」「いい場所だ」と、不思議と惹かれていく魅力もあって、ここでしかできないことをして、この環境で作品を見てもらったほうがいいんじゃないかと考えるようになりました。

国松さんには、もう一つこの場所でイベントをひらこうと考えたきっかけがあった。ここで、子どものころに父親たちがひらいたジャズコンサートの印象が強く記憶に残っていたという。「普段全然人気がないところに、そのときだけ人が集まってくる感じが面白くて。自分たちの世代でもなにかやりたいと思ったんです」と当時を語る。

イベントを始めてみると、決してアクセスがよい場所ではないのに、会場には300人も足を運んでくれた。

———興味を持ってくれる人やリピーターが増えて、少しずつ参加アーティストも増えていきました。みんなこの空間を楽しんでくれたので、継続していきたいな、と。それで、2009年から名前を変えて『飛生芸術祭』を始めたんです。

IMG_6717

IMG_6966

飛生小学校が閉校になる年に、子どもたちが考えた目標が当時のまま飾られている。愛鳥活動を行う愛鳥モデル校だったため、鳥の工作もたくさん残っていた / カフェには活動の原点、「TOBIU MEETS OKI」のポスターが飾られていた。この時の「飛生がくれた時間が僕たちの夢の始まりだった」というキャッチコピーが、現在のテーマ「僕らは同じ夢をみる」につながったという