3)森づくりと芸術祭をともにすすめる
2011年に「飛生の森づくりプロジェクト」を始めたことで、活動は大きく広がった。それ以降、毎年4〜10月に10回ほど集まり、アートの森の「開拓」を続けているという。廃校になって以来、全く使われなくなっていた、鬱蒼と茂る旧学校林、そして地面を覆い尽くす笹藪の海。それを、人力で整備し、少しずつスペースを広げていった。
———2011年にトビウキャンプをやろう、森全体を会場にしたら面白いのではないかとなって、森づくりを始めたんです。生い茂る笹を刈って、そこを使える場所にしていくので、間伐や植樹より、開拓に近いですが。
最初は道をつくって、道沿いに作品を置こうかとも考えていたんですけど、それだと展覧会場にただ作品を並べたグループ展のようになってしまう。試行錯誤しながら、森全体を一つのアート作品と考えるようになりました。森づくりにかかわる人の大半は、アーティストではないですが、森を整備すること自体が作品をつくることにつながっているんです。
参加メンバーは、全体で50〜60人。アーティストは1割程度で、普段はアートとは直接関係のない仕事をしている人がほとんど。活動の場での人との出会いや、作業後のバーベキューや温泉を楽しみに参加する人も多い。10年以上活動が続くなかで、メンバーの子どもたちも参加するようになってきているという。
森づくりにあたって、特徴的なのが「森の神話」として、黒い鳥のストーリーを中心に据えていることだ。
「飛生」という地名は、アイヌ語の「トゥピウ」が語源の一つ。「黒い鳥が多くいるところ」の意味があるという。飛生の森に神話に出てくるような黒い鳥がすむと見立てて、森づくりに物語を取り込んできた。
森の真ん中には黒い鳥の大きな巣があり、その下の地面にはひなが巣立ったあとの卵の殻が散乱していたり、大きな黒い羽が落ちていたり、出口には黒い鳥が飛び立つ姿もある。
———最初から森と人の共生は掲げていましたが、森づくりを始めて3年くらいのときに、「黒い鳥が多くいるところ」から発想し、一つの舞台をつくる意識で森をつくるようになりました。
そこでは自分も、普段の作品づくりとは違って、一つの舞台美術、大道具のような役割として、ストーリーに沿った作品をつくっています。
こうした物語のつくり込みが、かかわるアーティストが、ここでしかできない表現や、自分にしかできないかかわり方を追求する基盤となっていく。10年経った今では、「参加するアーティストたちは、何も言わなくても、自らこの土地でしか行えない表現を考えるようになっている」と国松さんは語る。