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アネモメトリ -風の手帖-

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#398

銅像の黄昏、あるいは粘り勝ち
― 上村博

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モニュメントは街に溢れている。駅の前には町のシンボル、公園の隅に偉人の顕彰、道路の脇には彫刻作品。通勤の朝には立像を仰ぎ、黄昏の帰路には碑文に親しむ。友好都市の証、平和への祈り、文化の香り。ああ、なんとうるわしいことか。日々こうしたモニュメントを目にすることで、歴史の教訓を噛み締め、地域の偉業に心躍り、芸術の美に恍惚となる。街の美観、郷土の誇りをこれほどよく体現する存在はない。
ちょっと筆が滑って書きすぎた。もちろん、実際にはそんなに注目されることはないだろう。「彫刻公害」と顰蹙を買ったひところほどには話題にも邪魔にもされなくなった。しかし、それでも行き交う人々の影にかたわらに、ひっそりと、それでも依然と姿を残している。これはこれでよいのかもしれない。たしかに、街の美観は気づかれないほど日常化されるに越したことはないし、郷土の誇りも声高に主張されないからこそ健全だ。しかし、そんなことなら、そもそもモニュメント類は不要という話になりはしまいか。ひっそりと寄り添う程度のものなのであれば、なにもわざわざ(そして多くの場合公金を投じて)設置するまでもないのではないか。時の権力者のプロパガンダのための広告塔、あるいは新興宗教の勧誘のためのシンボルのほうが、まだ理屈がわかるというものだ。
それはまあ、そうである。もしもこれから街路に何か彫刻めいた構造物を置こうというなら、その当否はよくよく考えないといけないだろう。外国には1% for Artという、公共建築物の予算の1%を芸術作品に充てるという法律がある。芸術大学の関係者としては、そんな法律が日本にもあったなら、さぞや卒業生の仕事が増えるだろうと期待が膨らむ。でも、是非とも実現してほしいと思う反面、果たしてその1%が積もり積もったとして、いったい日本でどれだけ公共の利益や福祉、あるいはそもそも文化芸術の向上につながるのかというと、過去のモニュメント類の余生(あるいは後生?)を見るにつけ不安になる。
いやいや、それはきっと杞憂に過ぎない(はずだ)。そしてそんな不安に対しては、次のような2つの方向で希望があるのではないか、と考えた。いずれも「モニュメント」の概念にかかわることである。ひとつには、当たり前のことだが、モニュメントとして何をつくるかということである。これはあるいは今日に必要なモニュメントとは何なのか、ということでもあるが、古き良き時代の偉人の銅像、あるいは20世紀後半からの抽象彫刻のようなモニュメントばかりをモニュメントと考えなくてもよいだろう。「思い出させる」moneoという語(英語で言えば remind)に由来するモニュメントは、何も頑丈な立体造形物である必要はない。ちょうど文化財にも寺社や絵画のような有形の文化財だけでなく、無形文化財があるように、街角のモニュメントも立派な造形物に限らない。たとえば歌手やダンサーだって、街の景観をつくり、コミュニティの記憶を担うことはできるだろう。勿論、彫刻の概念にしても、今やずいぶん昔とは変わってきている。堅牢なれども黄昏れた銅像にかわって、光や音響、水や空気といったものもモニュメント彫刻として不足はない。さらに街の景観ということでいうなら、何かを拵えて街中に並べるよりも、むしろ掃除をしたり片付けるような芸術活動があってもよいのではないか。かつて大牟田在住の福村憲二さんというアーティストが、一面の草原となった昔の炭鉱町で、草刈りをすることを通じて生活の痕跡を発掘してゆくという活動を作品にしたことがあった(本誌「風を知る人」#2、2013年を参照)。今後日本中で空き家や廃ビルが増えるなら、新たな公共建築に付随してさらに何かを設置するというより、過去の景観の片付け、ないしは始末のしかたに工夫を凝らすというところにも芸術家の仕事の余地がありそうだ。
もうひとつの方向は、これまでのモニュメントとの付き合い方だ。モニュメントがモニュメントたりうるのは、そう受け止める人間あっての話である。銅像的なモニュメントが街中で存在を忘れられているのは、銅像の側の問題もあるだろうが、見る側の視線の問題でもある。逆に言えば、どんな対象でも、モニュメントとして見る視線があれば、モニュメントたりうる。それなら、これから何かを新たに設置しなくても、いまあるモノにどう接するかというところに芸術活動の仕事があるのではないか。
いかに黄昏れていようと放置されていようと、それはそれですでに歴史を経て街の一部となっている。当初の設置の趣旨が忘れられ、期待された芸術文化の香りも失せたのちにも、朝な夕なに存在してきたことは事実であり、それと付かず離れず暮らしてきた住民にとっては、もはや好き嫌いの感情すら覚えることはないだろう。かつて大変な論争を引き起こした京都タワーですら、それが作られてから生まれた世代が京都市民の7割を占める今、ごくごく自然な存在として受入れられているように思われる。京都駅ビルをはじめとする周囲の環境も激変したが、何よりも、時間切れ引き分け、もしくは粘り勝ちであろう。駅の反対側にある東寺の五重塔も、きっと建立当時に論争はなかったとしても、しかし相当に巨大な新建築として人々の目には異様に映ったはずだ。しかしそれも今や、高速道路から京都市内に戻ってきたドライヴァーがそれを目にして帰着に安堵する懐かしげな佇まいとなってしまった。そもそも自分が生まれ育った街の景観など、自分の意のままになるものではなく、いろんな歴史的・文化的経緯、時代の流行や世間のしがらみ、大人の事情でできあがったものを否応なしに引き受けなくてはならない。そこにはモニュメント類も加わっている。新たに出現した異質な造形物だとカチンと来ることもあるだろうが、黄昏れて侘び寂びて半世紀を過ぎたモニュメントは、もはや自分の皮膚の一部である。付き合っていくしかない。
うっかり「付き合っていくしかない」と書いてしまった。しかし、付き合いようによっては、それも芸術活動である。それは大掛かりな工事がなくても、街の景観を維持し、刷新することである。といっても、いまさら銅像をしげしげと美的に鑑賞しても仕方がない。それは自宅の玄関の表札のように、通い慣れたスーパーマーケットのカート置き場のように馴染みきったものだから。しかし自宅の軒先もスーパーの出入り口も大事で愛おしい風景である。黄昏れた銅像も同じように大事に扱おう。
この春解散してしまったが、神戸に「あのね会」というヴォランティア団体があった。そこでの活動として、野外彫刻を磨くというものがある。街中に点在する彫刻を調べ、それを掃除するという活動である(田中梨枝子「野外彫刻清掃を通じた生涯学習の可能性について」『京都芸術大学紀要』24号、2020年)。これは単に彫刻を見て歩くとか、文化財の価値を語るというのではない。実際に造形物に触れ、自分の手を動かして清拭することで、黄昏れていたモニュメントがあらたな街の記憶の媒体になってくる。こうした付き合いかたは街の文化財だからできるのであり、美術館の展示品や指定文化財には逆にできない。しかしだからこそ、美術作品ではない、生きたモニュメントとすることができるのではないだろうか。そしてこれは銅像の粘り勝ちというより、銅像とのWin-Winな関係である。

(2026年7月5日公開)