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#246

小倉百人一首
― 石神裕之

小倉百人一首と時雨亭

(2017.12.17公開)

「ちはやふる」

の上の句を読み上げる間もなく、場に並べた札が宙を舞う。

近年、競技かるたを素材にした漫画や映画も製作されて、百人一首は再び脚光を浴びる存在となってきている。

まもなく新年。お正月といえばコタツに入って、みかんを食べながら「坊主めくり」をするのが、幼いころの我が家の定番だった。

そもそも百人一首とは何か。改めて考えてみると、案外その成り立ちを知る人は少ない。

百人一首26番の歌。

小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ 貞信公

この歌は、延長4(926)年10月10日に、宇多上皇(法皇)が大堰川へ行啓されたおり、その紅葉のみごとさに感心し、子の醍醐天皇にも見せたいとのお言葉があり、それを受けてのちに貞信公と呼ばれた藤原忠平が作った歌とされる。

藤原忠平(880~949)は藤原基経の子であり、菅原道真を左遷させた兄時平の死により氏長者となって政権を握った。この忠平から七代のちの子孫の一人が藤原定家であった。

掲出写真の上段は、小倉山に近い嵯峨野二尊院に残る「時雨亭跡」。いまは基礎らしき石組が残るだけである。

この時雨亭は、藤原定家(ふじわらのさだいえ 1162~1241)が営んだ山荘内の庵であり、まさに定家が百人一首を編んだ場所として古くから知られていた。

近世の地誌『都名所図会』では、「京極黄門定家卿の山荘」として時雨亭が記され、『続後拾遺和歌集』巻6に現れる

偽りのなき世なりせば神無月 誰がまことより時雨初めけん

の和歌が「時雨亭」の由来とされる。また「時雨亭」と名付けた旧跡が周辺にところどころあるとも書かれており、それらが後世につくられたものだと推量している。江戸時代にしてすでに「観光名所」化としていたということだろう。

さて、定家はこの山荘で百人一首を編んだわけだが、実は依頼をした人物がいたとされている。

一説には、定家の長子為家に嫁いだ娘の父にあたる宇都宮頼綱(うつのみやよりつな 1172~1259)と考えられている。この頼綱は北条時政の娘婿で、承久の乱では疑いをかけられているが、髪を下ろすことで潔白を示し、その後は風雅の道を究めた。

頼綱は定家の小倉山荘に程近い嵯峨中院亭を別荘としており、その交流も深かったことが、定家の日記である『明月記』にも記されている。そうした関係から、襖などの装飾として和歌の色紙を定家に頼んだものと考えられている。

さて百人一首に選ばれた歌人は、男性79人、女性21人。万葉の時代から新古今和歌集まで幅広い。恋の歌が43首、四季が32首、その他25首である。定家の歌論書に一致する作風が多く、晩年の愛誦歌的性格があると評価されている。

現存する最古のものは、『小椋山庄色紙和歌』(応永13〈1406〉年)。もともとは色紙に書かれていたものであったが書籍としてまとめられた。江戸時代には歌道の入門的な教養書としても読まれ、広く一般にも流布したようである。

これが「かるた」にされたのも江戸時代のこと。そもそも「かるた」とはポルトガル語のcartaに由来するが、貝覆(かいおおい)と呼ばれるハマグリの貝片に和歌を書いたのものが、百人一首のかるたへと発展したと考えられている。

そうした経緯もあり、当初は絵札に上の句、取り札に下の句を書き分けて、二枚の札を合わせる「歌あわせ」が主流であった。

絹地の札に、金箔などを散らした豪華なしつらえで、公家や大名の子女たちの歌の教養を高める意味からも、嫁入道具として仕立てられた。

こうした絵かるたになったことで、百人の歌人を選んだ歌集は他にもあるのだが、定家の小倉百人一首が「百人一首」の代名詞となっていく。

そして現在のように絵札を読み札と位置づけ、一首36文字のすべてを書き込んだものが定着していく。

明治37(1904)年。新聞記者であり小説家でもあった黒岩涙香が主宰し、東京日本橋の常磐木倶楽部で百人一首かるたの大会を開催した。これが「競技かるた」の始まりという。

その後、昭和9(1934)年には「大日本かるた協会」が結成されて全国組織となり、戦後再度結成された「全日本かるた協会」へとつながる。

現在の競技かるたでは、伏見桃山にある「かるた」の老舗、大石天狗堂の札を用いることになっている。

大石天狗堂は、寛政12(1800)年の創業で、元は米穀商であったが公家などを相手に、京都正面大橋西詰でかるたの製作・販売を始めたといわれる。高いものでは数万円といった百人一首かるたもあるようで、興味がある方はぜひホームページをご覧頂きたい。

大石天狗堂《http://www.tengudo.jp/

百人一首かるたの遊び方としては、並べずに取り札をランダムに置く「散らし取り」や二方に分かれて50枚ずつ並べて戦う「源平」といった方式もある。

しかし、競技かるたは特殊で50枚を2人で分け、25枚ずつ自陣にならべて戦うため、「空札」があってお手つきをしやすいという難しさがあるようだ。

いずれにしても、古典の名歌100首を暗記することは極めて有意義なことであり、小・中学校等でも学習に取り入れられているように、古典文学の学びとしてもよい素材である。

このお正月、ぜひ古典に触れるよい機会として、押入れに眠る百人一首を取り出して、遊んでみてはいかがだろうか。

※冒頭の「ちはやふる」は競技かるたでは「ちはやぶる」と読む。なお、文法上はいずれの読みも存在する。