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アネモメトリ -風の手帖-

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#142

つきなみ讃2
― 上村博

sora_89

(2015.12.13公開)

「つきなみ」を月次と書けば毎年変わることなく繰り返される行事になろう。しかし普通「つきなみ」と言えば、そうした時々の流れの中の物事だけでなく、もっと広く用いられる。さして特徴のないもの。平凡な出来事。見慣れた品々。こうした「つきなみなもの」には、実は大きな力がある。
といっても、「普通が一番」とか「日々是好日」というようなことが言いたいわけではない。勿論、そもそもこの世は常住ならぬ不確かなものである。刻一刻と情況は変わり、また日一日と人も物も成長し、老いてゆくなかで、平穏無事に過ごせることはまことに有り難いことである。しかしそれはそうとしても、ここではむしろ、つきなみなものが異界に誘う入口でもあることに注意してみたい。
そんなことを思いついたきっかけは、巷に溢れる「ゆるキャラ」であり、キティちゃんであり、キューピーちゃんである。それぞれこれといった特徴はない。しかしいずれも巷に溢れている。数が多い。そして互いに似ている。丸みを帯びた単純な体型。「ムヒョ」とも呼ばれる無表情。アグレッシヴに責め立てるような態度はない。かといって熱烈に歓迎してくれるわけでもない。淡きこと水のように、ひっそりと控えめな存在感である。しかしその控えめなキャラクターたちは、旅行く先々で待ち構えている。土産物売り場や駅の売店に必ずといってよいほど、その無表情な顔を見せている。それだけ需要があるのだろうし、また自分の身の回りにもそうしたキャラクターを蒐集している人が何人もいる。
ゆるキャラには失敗作が多い。ヘタウマを安易に狙った不細工な仕上がりのものも大量にあるし、それにまたもうひとつには、大概は出で立ちが「つきなみさ」を獲得できていないことが理由だ。突出した個性を持つものは、突出して話題になるか、単に好まれないかである。しかしキティちゃんにせよ、キューピーにせよ、テディ・ベアにせよ、ムーミンにせよ、人気のあるキャラクターは、皆のほほんとふっくらと、みごとにつきなみな姿形をしている。勿論、「ふなっしー」のような濃い味付けのキャラクターもいるし、かつての岐阜柳ヶ瀬の「やなな」のような不思議ちゃんキャラが評判になることもある。しかしおそらくそれは一時のものだ。基本はとりたてて心に強い印象を押しつけない、ありきたりでつきなみな顔かたちである。くまモンだって、当初鋭い顔つきで不人気だったのが、すぐさま随分と丸くなった。
そして重要なのは、ひとつの個体が平凡さの印象をもたらすだけではなく、複数の個体が連なることでひとつの秩序が生み出される、という点である。つまり、つきなみなもの相互のあいだでひとつの共通の基盤ができあがり、その上で個々の微妙な差異が発生するのである。それこそ、ご当地キティちゃんであり、また「ゆるキャラ」全般のゆるやかな平凡さのなかでのご当地キャラである。その土地その土地のキティちゃんたちには実に偉大でフラットな鷹揚さがあって、時にはイクラまみれ、また時にはトラ柄のコスプレをし、またさらには鮎に呑み込まれそうになっても平然とし、いつも変わることなく無頓着で無表情である。しかしその無表情さの素地のうえに、各地の名物が乗せられて、つきなみながらも個体識別が可能となる。牧場主が牛の顔立ちをひとつひとつ識別できるように、キティラーもひとりひとりのキティちゃんを明瞭に区別しているのだ。
ご当地キティに限らず、普通のキティやミッフィーも、ひとつだけでなく複数、それも多数を所有する愛好者たちがいる。多くのよく似た範疇の品々に囲まれて、それらの間のちょっとした差異に敏感なのは、キティラーというよりも、コレクショナー、蒐集家の常である。似たようなものに囲まれているようでも、それは外部からの見方かもしれない。「つきなみな」とはそのコレクション癖に無縁で無粋な人間の抱く感想であって、コレクションの当事者にしてみたら、その蒐集対象は実に多種多様で変化の妙が尽きないのだろう。しかし、それでも、その多様性の世界が可能になるのは、やはりある種の均質性を作り出す要素の反復である。
世界は実に多彩である。またひとはそれぞれ多様な生き方をしている。そのなかにあって人間は自分の日常の行為が容易なように、習慣化され平準化された生活圏を作ることで効率よく生きている。それはそれで均質な世界である。そこにまた別種の均質な秩序が出現したら、どうなるだろうか。それは別種の世界であり、またその中では別様の生き方があるだろう。そんな世界の入り口がコレクションなのかもしれないし、キティちゃんの何ものをも受け入れる黒い瞳なのかもしれない。
単に世界にひとつだけ、ということなら何の変哲もないし、つきなみですらない。世界に複数のつきなみなものが系列をなして存在すると、それは独特の世界を形成する。そこには、ただの個性ではなく、いわば「顕著なつきなみさ」というものが発生しているのである。