アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#88
2020.09

これからの経済と流通のかたち 市やマルシェ編

2 万年青のオモテ市 京都・西陣
5)長く続けることで開かれる、これから

ひとと、地域と。「オモテ市」のつながりは変化しながら広がっているが、ひとつ、大切な前提がある。経済的にも滞りなく、きちんと循環していることだ。

———わたしはバブルも経験して、バブル破綻も経験して、お金がないと回っていかないこともあると思う反面、お金じゃないところっていうのも大事だと思っているんです。今も続けているのは、ひととひととのつながりの楽しさを実感できるからなんですね。
だから、極端なことをいったら、経済が回っていなくてもやろうと思っているんですけど、守らなくちゃいけないのは出店者の方が赤字にならないこと。無理して出店して赤字になってしまったら元も子もないので、みなさんにはいつも「無理のない範囲で出してくださいね」って言っているんです。夢があっても、何かついていくものがないと。それには金銭的な部分も大きいと思っていて。

負荷のない量をつくり、あるいは持ってきて、なるべく売り切る。大きな儲けにはならないかもしれないが、運送や出店料など経費を差し引いても、売り上げは手元に残る。「無理がない」とは、それくらいの感じだろうか。
食にかぎらず、ものづくり全般に当てはまることだが、持続していくためには次につながる余力を残せるかどうかが分かれ目になる。そうして、地道に続けることでしか辿り着けないところもあると思うのだ。
そもそも、万年青がオモテ市をつづけている理由もそこにある。根っこにあるのは「オーガニックがふつうになってほしい」という想いだが、それを広く実感してもらうには、やはり時間が必要だ。

———いろんな方の食生活を受け入れたいし、押しつけたくないっていうのがあるから、余計にオーガニックっていうのは出したくないんですよね。食べてもらって、おいしいと言ってくれたひとに、「なんでおいしいかっていうと、こういう理由があるんですよ」と説明ができる裏付けを自分たちのなかで持ち合わせるようにしたいんです。

たとえば、最初からずっと置いている高知の釜揚げしらす。新鮮だからできる半生のような加工だが、京都のひとにとっては、釜揚げしらすより「ちりめんじゃこ」のほうが馴染みがある。乾物という感覚だ。それとは違うと説明して食べてもらうと、「臭くない!」という反応が返ってきたりするという。
こうして、市にやってくるひとは、食べてみて初めて添加物を使っていなかったり、旬に収穫されたものの新鮮な味に気づけたりもする。裕子さんと嗣さんはゆっくり、地道に、回り道を進んでいるのだ。
だから、オモテ市が他の市やイベントなどにつながっていくことは喜ばしい。時には百貨店のバイヤーなども情報収集に訪れるというが、そんなことも大歓迎である。

———昔は百貨店に出店というと、けっこうハードルが高かったと思いますが、今だと、うちに出してくださっているような小さいお店に声がかかったりもする。そうして百貨店なんかでも、実際に手に取ったり、食べてみたりできる場が増えていってほしいんです。
オモテ市にも、ふだんの営業は違うけれど本当はオーガニックにしたいんやっていうようなところがあったら出してほしいと思う。「絶対オーガニックマーケットなんて行けないわ」っていうようなひとが行けるマーケットがもっとできてほしいんです。

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入ってすぐのスペースに常時置いている調味料など。店で調理に使っているものがほとんどだ。ちなみにメニューはデリバリーをしていたときのもの。試作を重ねて、冷めてもおいしい衣を実現した(現在はこのメニューはありません)