4)関係性が深まり広がる 西陣のなかで
オモテ市を成り立たせているのは、出店者を始め、かかわりのある信頼できるひとたちと、そこに築かれた関係性である。そのなかで互いに無理せず、できることをする。そうして回を重ねるうちに、関係性が発展していくこともある。
———「珈琲山居」さんは、元々お客さんだったんです。近くで会社員をしていらっしゃって、お昼休みに毎回買いに来てくださっていました。
ご自分の時間でコーヒーを焙煎しておられましたが、あるとき飲ませていただいて、衝撃を受けたのです。「いつか(オモテ市に)出してくださいね」とずっと言っていて、会社を辞められたときに(?)ぜひ、と奥さんのお菓子もいっしょに出してもらったんです。優子ちゃんらしいお菓子、貴行さんらしい珈琲。人柄が出るなあと思って。
珈琲山居の居山貴行さんは、始まりのころからずっと、オモテ市に通っている。「市がビッグ(笑)になっていくところを見てたんですよ」という常連さんだ。お客が出店する側にまわったというのは、なんと面白い展開だろう。
居山さんと妻の優子さんは何度か出店するあいだに、縁あって万年青の近くに物件を借り、今はふたりで喫茶店を営んでいる。出店することはなくなったが、居山さんは以前のように、お客としてオモテ市にやってくる。
昨年、すぐ近くにオープンしたイタリアンレストラン「OASI」も、オモテ市とかかわりがある。オーナーシェフの吉田香織さんと裕子さんは以前からの知り合いだが、吉田さんの仕事の転機に、裕子さんがちょうどいい話を持っていたりするような感じでつながってきた。京都の老舗が始めたニューヨークの日本料理店で働いたこともそうだった。
———もともと海外での経験もおありで、そういう募集があるよ、とお伝えしたら、フットワークが軽いからすぐに行かれて、採用されて。ニューヨークから帰ってこられたときに「オモテ市に出して!」と声をかけたら、出してくれはったんです。そのころ、ご自分で店を持ちたいと場所を探しておられたんですが、この近くの町家で1階をレストランに使ってくれるひといないかな、と知っている方がたまたま言っておられて、「ひとりいます!」と。
吉田さんは千本通でカフェを営んでいたが、その後オーガニックレストランの先駆けである、カリフォルニア州バークリーの「シェ・パニーズ」のインターンシップに参加。有機的な食のかたちを探りつづけるなか、OASIでは大原の農家から新鮮な野菜を仕入れてシンプルに料理する。やりかたは異なっても、目指すところは万年青さんと共通しているようにも見える。
気兼ねなく温かな珈琲山居と、シンプルで開放的なOASI。地に足のついた2つの店は、万年青を挟んで大宮通の北と南で、まちの空気に溶け込むようにしてある。
お客が出店側にまわり、さらに独立して店を持ち、ふたたび客となる。あるいは、オモテ市が出店者と外をつないで、新しい縁を取りむすぶ。
つかず離れずの関係性はゆるやかに変化しながら、オモテ市をめぐって、大きく循環していく。
そこには西陣という地域も少なからずかかわっているように思える。万年青のSNSなどを見ていると、「ご近所」という言葉がよく出てきたりもする。
———西陣は歴史があるので、古いものをしっかり守っておられますが、その一方で新しいものを受け入れる態勢が整っているとわたしは思っています。ご近所にはいろいろ教えていただいたり、助言をいただいたりしています。
妙蓮寺の佐野充照さんがおっしゃるには、近所づきあい・近所つながりはコミュニティの1つとして大事にせなあかん、と。それを聞いて、食のつながりと一緒やなと思ったところもあるんです。
佐野さんは妙蓮寺の塔頭・圓常院の住職で、地域に数ある町家の「持ち主と借り主の仲人」として活動する「町家倶楽部」の代表でもある。いっときは空き家が目立っていた西陣が再び活気づいたのは、町家倶楽部によるところが大きい(詳しくは本誌8号をご覧ください)。
このまちには、織物で栄えたまちの記憶を持つ住民がいる。そこに、これまで接点のなかったものづくりするひとたちが入ってきて、衣食住の店ができ、変化が起こる。今の西陣は豪華絢爛な西陣織ではなく、西陣織を含むさまざまなハギレをつなぎ合わせたパッチワークのようにも見える。ばらばらなままではなく、どこかでつながることで、ともにまちをつくっている。