6)「ありのままでいる幸せ」をともにつくる
多様性を受け入れる場には何が必要なのか、どうあったらいいのか。そのひとつの大きなポイントを、田中さんは、人間は完璧でなくていい、完璧を目指さなくていい、と言い、「ポンコツ」のままでいいんだと表現する。
———子どものころから、ひとは何かを目指せと言われるじゃないですか。人間はポンコツがデフォルトなのに、なぜかみなそれを隠して生きているでしょ。でも、そうやってポンコツをひた隠しているよりも、普通に過ごしてそれらを許容し合えたほうがいいですよね。そういう部分も含めて、他者を許容できる社会になった方が自分も楽になると思います。
たしかに田中さんの言うように、現代社会のなかでは自分や他者のポンコツさ、ならぬ不完全さを認められる場所は少ない。失敗できないという圧力は、仕事だけでなく家族といったプライベートな人間関係にまで及ぶ。その圧力のなかで生きていると、ひとは自分の失敗にも他人の失敗にも厳しくなってしまう。それに、失敗してはいけないということにばかり気が向いて、その場を楽しんだり、幸せを感じたりする余裕を失ってしまいそうだ。
でも喫茶ランドリーは、ありのままを認めてくれる場所だから、失敗しても気にしすぎることはない。さらにスタッフが個人として接してくれるから、来たひとは肩書き抜きに、消費者ではなく、ひととしてふるまう意識が働く。この「個人としてふるまっている」という感覚が、他者への許容範囲を広げ、この店全体に漂う「許容する雰囲気」をつくり上げているのではないだろうか。
田中さんは、「楽しんで幸せに感じる時間」が人生において大切なことだと言う。不完全さを含めてありのままでいられれば、人生を「何かのため」に過ごすのではなく、「楽しんで幸せに感じ」て過ごすことにつながる。では、その幸せと、田中さんが目指す公共とはどんな関係があるのだろう。
———大阪のおばちゃんがハンドバッグにアメを仕込んでいて、電車で偶然となりになったひとなんかに「アメちゃんどや?」て渡すやつ、あれがわたしは最小限の私設公共だと思うんですよ。アメちゃんは自分のためでもあるけど、誰かのためにもなるかもしれない、不特定多数のための公共みたいなもの。おせっかいをしながら、他者との境目をブレイクしていく。おせっかいって、自分だけがよければいいってことじゃなくて、あなたも幸せじゃないとわたしも安心して幸せになれないってことだと思うんです。
わたしがこういうことをやるのは、自分が安心して幸せでいたいだけなんです。誰かが幸せじゃないとか、誰かが困っているんじゃないかって思うとき、そわそわするじゃないですか。そのしわよせが自分のところまでひたひた迫ってくるかもしれないし、それが嫌だという自己保身的なものもあるかもしれないけど、やっぱり誰かが取りこぼされることについてはいつも気になっています。
つまり、田中さんにとっての公共とは、誰もとりこぼさずみんなで幸せになること。1人だけでは幸せになれない。社会全体が幸せになってこそ、幸せになれる。そして、それは行政頼みでなくても、個人のできる範囲からつくれる。個人レベルの「マイパブリック」を実践し、体験してきたなかで得た「幸せを誰かと共につくっていく」という信念が、田中さんと大西さんの私設公民館づくりの原動力になっているのではないだろうか。
次回は、喫茶ランドリーのある地域に目を向け、地域と店とひとの関係を探る。この界隈には、喫茶ランドリーと前後してオープンした、近隣のひとが日常的に集う、ユニークな新しい複合業態店がいくつかある。それらを訪ねるなかで、「自分でつくる公共」が点から面へと広がっていく状況を見ていきたい。
取材・文:太田明日香
兵庫県淡路島出身。編集者、ライター。著書に『愛と家事』、企画・編集を担当した本に『よい移民』(ともに創元社)。『女と仕事』(タバブックス)、『彼岸の図書館』(夕書房)に寄稿。『朝日新聞』読書サイト「好書好日」、『仕事文脈』(タバブックス)などで執筆。https://editota.com/
写真:矢島慎一
1975年埼玉県秩父市生まれ。山岳専門誌やアウトドア誌で撮影を担当しているカメラマン。仲間とともに山や沢、海で遊び、その様子を記録している。
編集:村松美賀子
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。近刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。