アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#82
2020.03

自分でつくる公共 グランドレベル=1階の試み

東京・森下 「私設公民館」喫茶ランドリー 2
5)どんなひとも、どんなときも 自分を許容できる場

ここに関わり、訪れるさまざまな人々に話を伺うなかで、それぞれにとって、居心地よく過ごせるリビング、あるいは書斎や仕事場、さらには「第2の家」であるなど、生活の一部となっているように思えた。
一般に、幅広い客層が満足できる場というのは成立しにくい。では、どうして喫茶ランドリーは、属性も目的も異なる人々に居心地のよさを感じてもらえるのだろうか。ここを手がけ、運営するグランドレベル代表の田中元子さんに話を聞いてみることにした。

前号でも触れたが、これまで田中さんは、個人による「身の丈サイズの公共」(自身の言葉では「マイパブリック」)をつくる実験をしてきた。自分の事務所にバーカウンターをつくり、友人知人を招いてオリジナルカクテルをふるまったり、さらにはそれを路上に展開し、屋台をつくってまちに出て、行き交う人々にコーヒーをふるまう「パーソナル屋台」の活動などである。いずれも「無料のふるまい」であることがひとつのポイントだった。

田中元子さん。トレードマークのような鮮やかな金髪に、アンティーク風の柄シャツ。田中さんが現れると、周りの雰囲気がぱっと明るくなった。大きな身振りや手振りに、くるくると変わる表情、熱のこもった話ぶりに、みるみるうちに引き込まれる

田中元子さん。トレードマークのような鮮やかな金髪に、アンティーク風の柄シャツ。田中さんが現れると、周りの雰囲気がぱっと明るくなった。大きな身振りや手振りに、くるくると変わる表情、熱のこもった話ぶりに、みるみるうちに引き込まれる

———わたしは自分で公民館をつくることがやりたかったんです。ただ、「私設の公民館」といってもなかなかひとには伝わらないから、かたちとしては喫茶店ということにしました。つくる際は、公民館のように使いこなされ、老若男女が気兼ねなく集える場所にするにはどうしたらいいか、すごく考えました。
店の看板には「どんなひとにも自由なくつろぎ」とというコピーを入れました。「どんなひとにも」という言葉には、100人いたらその100人、どんな年齢の立場のひとたちも、という意味でもあるけれど、たったひとりのこと、つまりどんな気持ちのどんな状態のときでもどうぞ、という想いがあります。ひとの気持ちは、楽しかったり、哀しかったり、さまざまに変わるものです。だから、「どんなひとにも、どんなあなたでも」という意味を込めています。

どんなひとにも、そして、ひとにはいろんなモードがあるから「どんなときでも」自由なくつろぎ。誰でも、いかなる状態のときでも受け入れられる場所でありたい、というのは相当な覚悟だと思う。ある種の「救済の場」であるような印象さえ受ける。
そのために、心がけているのは「エラーを受け入れること」だと田中さんは言う。ひとはエラーを起こすのが当たり前だから、そんな場をつくるには、完璧を目指さないのが大事なのだと。

———ある程度のしょうがないことは、しょうがないままにしておくのがうちのやり方です。それよりも、ひとが能動的に空間を使いこなすことが最大の喜び。そういう場所であるには、ひとが自由で、多様であることを許せる、ということができるだけしやすいことが大事だと思いました。ピリピリしたひともベッドのなかに入ればゆったりするし、地球の裏に回ってもみんな意地悪されたら嫌。そういう、人間だれもが感じる普遍的な感情に対して、できるだけよい部分が発露するような環境は物理的につくれるのか、という実験の場でもあります。

喫茶ランドリーでは、できるだけ無理をしない。たとえば、カフェ部分の回し方にしても、ふだんはスタッフ1人という体制のため、あまりにも忙しくなってくると、フードメニューが出しづらくなる。そういうときは、ソールドアウトの札を貼ってもいいよと田中さんはスタッフに伝えているのだという。

いつも同じサービスが受けられるわけではないことや、マニュアルがなくスタッフが「そのひとらしく」対応する接客、家庭のような、いい意味での場の雑然さは、一般的なお店であれば、もしかしたらクレームにつながるエラーになるかもしれない。しかし、そのエラーと思われるものは、ひとの能動性が発揮されるきっかけにもなりうる。
さらに、ひとの能動性から起こる予測不能なことも、田中さんにとっては、「相手が誤読して自分の能動性で使ってくれた証拠」として、喜ばしいこととして捉えられる。

———ひとりぼっちでもいいし、誰かといてもいいし、どんなあり方も全部いいって認められるようになるには、社会全体の価値観や人間の生き方全体が変わらなければいけないと、社会のほうが、どんなあり方も許容できるようにならなければいけないと思うんです。だから、せめてこの約100平米の小さい場所ではいろんなひとがどうあってもいいと思える、自分で自分のことを許容できるようにしたいんです。

その証拠だろうか。ここでは他のカフェなどでは少ないといわれる客層、中高年やお年寄りの男性が来てくれることも多いそうだ。毎日のように天ぷらや刺身の差し入れを持って来てくれる常連のおじいさんもまた、もしかしたらこの店の「許容」の雰囲気を感じとっているから通うのかもしれない。

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ここを訪ねてくれるスタッフの大家さん、お客さん、それに田中さんのお母さんのつくったものも置いている。ただし、売ってください! と、やみくもにモノを持ち込まれることは断っているという。すべてお店のなかでの自然なコミュニケーションの先で、新しい雑貨たちの販売は始まる