5)「入りびと」として祭礼にかかわる
「わっぱ堂」細江聡さん
細江さんは、農家と料理人という仕事とはまた別に、大原の地域にかかわる活動をしている。地元の行事に入って、大原の伝統芸能であり、京都市登録無形文化財にも登録されている「大原八朔踊」や「道念音頭」などで、重要な「音頭取り(歌い手)」をしているのである。
わたしたちは、細江さんが音頭取りされるのを拝見する機会を得た。「勝手祭」といい、150年ぶりに復興した祭礼である。場所は勝林院。祭礼は粛々と進み、そのなかで道念音頭の音頭取りが始まった。細江さんの師匠と細江さんで音頭をとるなか、数人が輪になり、「ソーリャ ヨーオオーイ 、ヨーオオーイ 、ヨーオーヤセー、ヤートオコセー」とかけ声をあげながら、踊り続ける。
細江さんが音頭取りを始めたのは、およそ3年前のこと。自分と同世代の歌い手が誰もいないと知って、歌い手がいないかという話を耳にして、「歌いたいです」と自ら申し出たのだった。
———勇気は要りましたけど、子どもじゃないですから、もし断られたらそれだけの話という感じで。僕も田舎出身なんでわかるんですけど、よそから入ってきたひとに最初はすごく警戒するんです。だから、大原の方たちの気持ちがわからないでもなかった。それをどう打破するかっていうと、コミュニティにどれだけ入っていけるかなんですよね、お行儀よく。まちから「のんびり暮らしたいなあ」みたいな理想だけで田舎にくると、あとあとけっこう困ったりするんです。そのコミュニティに溶け込めないんですよ。だから、田舎暮らしって、自分たちが勝手に住んでるだけでは醍醐味がない。地のひとと関わったり、お祭りに参加したりして、初めてそこに住んでることの意味があると思うんです。音頭取りを始めてみて、それで大原の地のひとらとの関係は一気に深まりました。僕という人間を認知してもらえたんです。
今では、週に1回は練習を重ねている。師匠は70代、地元の方たちからは「次、細江さんが教えていく立場になるから」と言われている。長い間、受け継がれてきた祭礼をよそのひとの力を借りてでもつないでいきたい、という地元の方々の思いを細江さんは受けとめているともいえる。そしてそこには、細江さん自身の故郷に対する思いも重なっている。
———僕の田舎には、おそらくもう戻らないと思います。子どもにとってはここが故郷になるので、大人になって戻ってきたときに、ここにお祭りがないとそれはすごい寂しいことやなと思って。今自分ができることは、祭りに協力すること。
そうして祭りにかかわるうち、仕事より祭りを感覚的に優先するようになってきたという。ここまでして、細江さんが入れ込む祭礼の魅力とは、伝統を引き継ぐこと以外にも何かあるのだろうか。
———ふだん関わってる農業関係のお年寄りたちとは別に、祭りに関わってるひとたちの話を聞くのはけっこう楽しかったりするんです。全然自分の知らない大原のことを聞けたりするので。たかだか30年前でも、聞いてびっくりするようなことがいっぱいありますし。歴史あるお祭りっていうのは、その時代のひともずっと関わってきてるものだから、魅力を感じます。
祭りを通してしか出会えない大原のひとたちの声には、表には出てこない大原の歴史が詰まっている。祭りは強制されるものではないが、「祭りをかっこいいと思えるような同世代や若手がもっともっと増えてきたらいいな」と細江さんは語る。
最後に、細江さんに大原に対する思いをあらためて伺ってみた。
———大原はいろんな意味で閉鎖的だったりするぶん、守られてきたのだと思っています。だから、気持ちのなかでは大原の文化や祭りを守っていきたいですけど、決して大原の地元のひとよりでしゃばる気持ちはないんですよ。どこまでも「入ってきた人間」という気持ちを忘れない。
「入りびと」として、大原の文化を守っていく。それは、地元の住民が引き継いできた祭礼や行事への、細江さんの最大限の敬意の表れだ。そしてその気持ちは、「音頭取り」の歌声とともに、人々にじわじわと伝わっていくだろう。
***
時代が変わりゆくなかで、脈々と受け継がれてきたものをどう伝え、残していくかは、祭りにも、農にも当てはまる。どこの地域においても大きな課題である。
大原で古くに始まり、20年前の危機的な状況から第1世代が立て直し、第2世代が受け継いできた大原の農業。美しい里山の風景の一端を担う、美しい畑の風景は、この先、どのように変化していくのだろうか。
これから先のことは、元からの住民か、移住者かにかかわらず、さまざまな人が入り交じり、「対話」を重ねていくこと、そしてそういう場を持つことが重要なのではないだろうか。
畑や祭りを誰が担っていくのか。そもそも、人々がこうありたいと思う大原とはどんなものなのか。住民が一枚岩にならなくてもいい。それぞれが思ったことを口に出し、思いをあきらかにすることから始まるのだと思う。
今回話を聞いた3人は、それぞれが場をひらいている。「音吹畑」高田さんは『大原草紙』やガレージ、「ツキヒホシ」山本さんは店やご飯会、「わっぱ堂」細江さんは祭りの集まりと、さまざまなかたちで人々をつないだり、つながりを深めたりしている。
そうして、コミュニティを「ほぐし、編み直す」動きが、大原のこれからをかたちづくっていくのではないだろうか。
http://otofukubatake.com
古道具 ツキヒホシ
http://tsukihihoshi.blogspot.com
京都古民家レストラン わっぱ堂
https://wappado.jp
1989年岐阜生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒業。雑誌やウェブの記事を編集・執筆するほか、コーディネーターやアートフェスティバルのPRとしても活動する。
写真家。建築,料理,工芸,人物などの撮影を様々な媒体で行う傍ら、作品制作も続けている。撮影した書籍に『イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由』『絵本と一緒にまっすぐまっすぐ』(アノニマスタジオ)『和のおかずの教科書』(新星出版社)『農家の台所から』『石村由起子のインテリア』(主婦と生活社)『イギリスの家庭料理』(世界文化社)『脇坂克二のデザイン』(PIEBOOKS)『京都で見つける骨董小もの』(河出書房新社)など多数。「顔の見える間柄でお互いの得意なものを交換して暮らしていけたら」と思いを込めて、2015年より西陣にてマルシェ「環の市」を主宰。
編集者、ライター。京都造形芸術大学教員。近刊に『標本の本-京都大学総合博物館の収蔵室から』(青幻舎)や限定部数のアートブック『book ladder』。主な著書に『京都でみつける骨董小もの』(河出書房新社)『京都の市で遊ぶ』『いつもふたりで』(ともに平凡社)など、共著書に『住み直す』(文藝春秋)『京都を包む紙』(アノニマ・スタジオ)など。