アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#72
2019.05

コミュニティの、その先へ

2 神奈川・鎌倉のNPOとコミュニティ
1)「市民活動」というフォーマット
——NPOかまわ・宇治 香さん1

宇治 香(うじ・かおる)さんは、鎌倉を愛してやまない、鎌倉生まれ・鎌倉育ちの59歳だ。
現在、鎌倉駅のそばで、アジア料理を供するカフェ「ソンベカフェ」を営んでいる。
大学卒業後、大手スポーツ用品メーカーに就職し、東京まで通勤しながら多忙な会社員生活を過ごしていた宇治さんは、ブランド理念より利益を優先する業界のあり方や、顔の見えないメール中心のコミュニケーションに疑問を感じ、40歳を機に退職。
鎌倉のひとたちが気軽に集うことができる場をつくれたらと、2001年にソンベカフェを開いた。

宇治さんは、地元でもよく知られる“鎌倉ツウ”だ。
小学生の時、郷土学習資料として配られた『かまくら子ども風土記』という本に出合って以来、自分の足で史跡を訪ねながら学ぶことができる鎌倉の歴史に夢中になったという。
次の章で触れる、宇治さん主宰の「鎌倉あるものさがし」というワークショップも、宇治さんによるユーモアたっぷりのまち案内が名物として知られており、毎回盛況だ。
そんな宇治さんに、なぜ鎌倉では市民活動が活発なのか尋ねてみた。

宇治 香さん

宇治 香さん

———鎌倉では、東京オリンピックが開催された1964年に、ターニングポイントとなる事件が起きました。いわゆる「御谷(おやつ)騒動」です。鎌倉では、山と山の間の谷を「やつ」と呼びます。昔は300ほど「谷(やつ)」とつく地名があったらしいんですが、そのなかでも「御」がつく御谷は、鎌倉のシンボルである鶴岡八幡宮の背後にひかえる、とても神聖な場所だったんです。ところが、東京オリンピックを前に日本が高度経済成長期に入り、開発=成長、成長=いいこと、という風潮になり、人気の観光地・別荘地である鎌倉は、業者によってどんどん住宅地として開発されていきました。その開発の手が、いよいよ御谷に伸びてきた。そのとき、市民や文化人が「鎌倉の聖地を守ろう」とブルドーザーの前に立ちふさがり、開発を阻止したんです。

宇治さんによれば、御谷は「二十五坊跡」と呼ばれる聖域であるという。かつて鶴岡八幡宮が寺院も兼ねていたころ、寺に仕える僧たちの25の住坊があったためだ。
御谷より北に見上げる山は、古くから修行の場だったともいわれているそうである。
そんな霊験あらたかな場を守ろうとする市民の動きは、開発の阻止だけに終わらなかった。

———開発を一時的に阻止したからと言って、いつまた開発の手が伸びて来るかわかりませんよね。だから、市民でお金を出し合い、全国からの寄付や市の援助金も合わせて御谷の1.5ヘクタールを買い取ったんです。そして、この騒動が国会の議員を巻き込み、1966年に「古都の歴史的風土は特別に守られなければならない」とする古都保存法が制定された。この法律のおかげで、今の京都、奈良、斑鳩町、鎌倉があると言っても過言ではありません。この一連の出来事が、鎌倉が日本における「市民活動発祥の地」「ナショナル・トラスト発祥の地」などと言われるようになったゆえんです。

御谷騒動があった当時、宇治さんは5歳。さすがに騒動そのものを覚えてはいないそうだが、その語り口は、まるで当時の一部始終を見ていたかのようにリアルだった。
きっと鎌倉で生まれ育ったひとはみな、語り草として、折に触れ、聞いたり読んだりしているのだろう。

市民の手で大切な場所を守ることができた。そして、市民活動が国を動かした——。
そんな「まちの記憶」がフォーマットとなり、目には見えない実感や自信として、今も鎌倉の市民活動の盛況ぶりを下支えしている。
宇治さんの話しぶりに、静かな自負が感じられた。

1V8A9598

1V8A9616

1V8A9593

「ソンベカフェ」では、鎌倉野菜をたっぷり使ったフォーなど、地元の食材を使ったアジア料理を食べることができる。宇治さん曰く、伊勢海老のルーツはかつて鎌倉沖でとれた鎌倉海老だそうだ(3枚目の写真はその話を子どもたちに伝える紙芝居)。一番下の写真が、宇治さんが小学生の頃から愛読する『かまくら子ども風土記』。1957年の発刊以来、改訂を重ねながら多くの鎌倉市民に読み継がれている

「ソンベカフェ」では、鎌倉野菜をたっぷり使ったフォーなど、地元の食材を使ったアジア料理を食べることができる。宇治さん曰く、伊勢海老のルーツはかつて鎌倉沖でとれた鎌倉海老だそうだ(3枚目の写真はその話を子どもたちに伝える紙芝居)。一番下の写真が、宇治さんが小学生の頃から愛読する『かまくら子ども風土記』。1957年の発刊以来、改訂を重ねながら多くの鎌倉市民に読み継がれている