アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

TOP >>  特集
このページをシェア Twitter facebook
#17
2014.05

ものづくりから始まる、森林づくり、村づくり

後編 村民と移住者たちの森林づくり、ものづくり 岡山・西粟倉村
7)東日本大震災を機に選んだ移住
草木染め作家・鈴木菜々子さん1

東京で暮らしていた草木染め作家の鈴木菜々子さんは、平成23(2011)年、家族とともに西粟倉村へ引っ越してきた。現在は、難波邸のなかにあるアトリエで草木染めのワークショップを行ったり、夫でデザイナーの宏平さんと手がける「ソメヤスズキ」という草木染めブランドの製品づくりに勤しんでいる。オーガニックコットンやリネンを草木のやさしい色で染め上げた手ぬぐいやあずま袋、ヘアゴムやハンカチは、手仕事の風合いが残りながらも、どこか洗練された雰囲気が魅力だ。

鈴木菜々子さん

鈴木菜々子さん

これからヒノキの樹皮で布を染めると聞き、そのようすを見せてもらうことにした。樹皮は西粟倉村の森林組合からもらってきたものだ。色を煮出しやすいよう、まずは3cm角にちょきん、ちょきん、とはさみで切っていく。

———ヒノキの皮は、丸太からはがしてすぐが一番いい色が出るんですよ。地面に落ちている皮とか枝とか葉っぱでも染めてみたことがあるんですけど、やっぱりはがしてすぐのものが一番きれい。ヒノキの皮って、今のところ、捨てるしかないらしくて。森林組合さんも、今後は何かに役立てたいらしいんですけど。

重曹を溶かしたアルカリ性の水にカットしたヒノキの皮を入れ、ぐつぐつ煮込んで染料をつくっていく。植物によってアルカリ性の水で煮出した方がよさが出るものと、酸性の水で煮出した方がよさが出るものがあるそうだ。ヒノキ風呂のようなよい香りが、ほんのりとアトリエに漂う。

———いい色、出てますね。この染料で布を染めたら、色を定着させるのに、銅とか鉄を使って媒染という作業をします。使う金属によって染め上がりの色が変わるんです。ヒノキは、銅媒染がきれいかな。

1時間ほど煮出したヒノキの染料液に布をひたし、続いて銅の媒染液にひたす。井戸水ですすぐと、うっすらとしたやさしいピンク色に染まっていた。

———このアトリエは、井戸水があってすごく助かるんです。草木染めは水をたくさん使うので、水道水だとちょっと料金が気になっちゃいそう(笑)。

もともとは難波邸の離れだったと思われるこのアトリエ。改装するときは、東京の美術大学時代の友人たちが総出で手伝ってくれたそうだ。

MG_4230

MG_4193

MG_4340
MG_4251
ヒノキの樹皮による草木染めの工程。樹皮を小さくカットし、鍋で煮出した染料液にオーガニックコットンをひたして染めてゆく

ヒノキの樹皮による草木染めの工程。樹皮を小さくカットし、鍋で煮出した染料液にオーガニックコットンをひたして染めてゆく

鈴木さん一家は、東日本大震災を機に、ツイッターを介して西粟倉村にやって来た。西粟倉村の移住組は、森の学校や雇用対策協議会、地域おこし協力隊などの行政主導の求人でやって来たひとたちばかりだと思い込んでいたので、少し意外だった。

———もともとは、東京から仙台に引っ越すつもりだったんです。夫の実家が仙台の農家なので、そこに住んで、半農半デザイナーみたいな生活ができたらと考えていました。わたしも、大学でやっていた染織の作品づくりを、そこでゆっくり再開しようかなと。

ところが、その引っ越し準備を進めていた最中の3月11日、東日本大震災が起こった。仙台の実家は全壊。家族がみな無事だったのが不幸中の幸いだったが、東京にとどまっていると、今度は福島原発事故による放射能汚染に不安が増大した。

———2人の子どもも小さかったし、いろいろ調べて、西日本に行こうか、って。そのとき、森の学校に勤めていた女の子がツイッターで家のシェアメイトを募集してたのを見つけたんです。家の写真も添付されていたし、西粟倉村を検索してみたらニシアワーというホームページが出てきて。村の概要やきれいな写真もたくさん載っていたので、ああ、なんか若いひとたちがいろいろやってる村なんだな、と。それでわたしが一度、下見に来て、そのあとすぐに引っ越してきました。とりあえず行ってから考えよう! という感じでしたね。

難波邸をともに立ち上げた山田さん・西原さん夫婦とも、そのツイッターの女の子を通じて知り合ったそうだ。

———下見に来た時、その子に森の学校を案内してもらったんです。その時、あ、なんかウナギさばいてる女の子(西原さん)がいるなー、って(笑)。引っ越してきて再会した時も、スッポンの首を落とそうとしてるところでしたけど(笑)。

村を訪れたその時期は、ちょうどヒメボタルの季節。ヒメボタルとは、夏至のころに現れる、森林に生息するホタルだ。村の奥地に残る原生林に淡い光が乱舞する幻想的な光景を見て、移住の決心を後押しされた。

———東京じゃありえない光景でしたね。その代わり、冬の情報はまったく知らずに来てしまいましたけど(笑)。まさかこんなに大雪が降るとは思ってなかったですね。

震災と原発事故によって、東京から動かざるを得なかった鈴木さんたち。森の学校から発信された情報やホームページがなければ、移住先として西粟倉村が候補になることも、きっとなかったことだろう。