6)「株式会社 西粟倉・森の学校」の3つの仕事
人材とお金が揃ったら、今度はそれらをまとめ、運営していくための拠点が必要だ。そこで牧さんたちは、平成21(2009)年の秋、地域商社「株式会社 西粟倉・森の学校」(以下、森の学校)を設立した。
オフィスは廃校のまま保存されていた影石小学校を村から借りた。校舎の壁を桜色のペンキで塗り直し、教員室を事務所にした。各教室は、村に移住してきた職人や作家たちの製品が並ぶ「バイテン」という名のショールーム兼ショップだ。テーブルや椅子、カトラリー、木製のおもちゃ、ミツマタ和紙など、製品は地域の間伐材を使ったものである。設立当初は売るものがなく、村の農家がつくった米や野菜をトラックに積んで、京都や大阪の幼稚園のバザーなどで売っていたというから、5年の軌跡としては目を見張る商品の充実ぶりだ。
森の学校は、村に物流を起こしたり、村をブランド化していく、いわば村の商社だ。その仕事には、大きく分けて3つある。
1つ目は、森林組合が伐り出し、搬出してきた丸太を乾燥・製材する「加工部門」。これは森の学校から少し離れた文具工場跡にある「ニシアワー製造所」が受け持つ。山から伐り出された木は、乾燥させ、節穴を埋めるなどの製材作業を経なければ加工することができない。そのため、村内に木材を乾燥させたり、製品の組み立てを行う機能を持たない西粟倉村は、これまで丸太を安い値段で原木市場に売ることしかできなかった。ニシアワー製造所は、村から直送で消費者に商品を届けられるよう、村内でものづくりをする人々に製材済みの木材を売るための拠点だ。工場は、村で大工をしていたひとやUターンしてきたひとなど約15名で回しており、雇用を生み出す場ともなっている。
2つ目は、村で製造した商品を消費者に届ける「販売営業部門」。「ニシアワー」というブランドを掲げてショッピングモールのウェブサイトを立ち上げ、村で生まれる商品はここで見たり買ったりできるようになっている。また、木を伐採するところから参加できる親子向けの学習机制作ツアーや、結婚適齢期の村民たちと出会ってもらう合コンツアー、新米の収穫前に村に来て好きな農家を選んでもらい、その農家がつくった米を毎月宅配するサービスなどを企画し、村外のひとたちに村のファンになってもらうことで購買につなげる活動も行っている。そのほか、都会のオフィスや旅館、マンションなどの内装工事などの注文をとってきて、村のつくり手たちに振り分ける仕事も担う。
そして3つ目は、村に元気な人材をどんどんスカウトしてくる「人事部門」だ。森の学校のスタッフ、西粟倉村で起業したいひと、行政で頑張りたいひとなどを募ったり、牧さんの個人的な人脈のなかで“一本釣り”してくる場合もある。また、実際に移住してきたひと、森の学校を経て独立したひと(牧さんたちは“卒業者”と呼んでいた)についても、仕事の基盤ができるまで、森の学校のデスクやコピー機をシェアしたり、空いている教室を工房にしてもらったりと、継続的な支援を行っている。総務省主導の「地域おこし協力隊」として村にやって来た人々の支援にも村役場とともに積極的に関わっており、行政との連携も強固だ。牧さんは言う。
———先進国で取り入れられてきた大規模加工業化型の林業で食べていける地域は、実は日本ではほんの一握りです。それがわかってきた今、代替案のひとつとして考えられるのは、小さくて元気なベンチャー企業をたくさんつくり、それらが横に連携して、地域全体で商品を売っていくというやり方なのではないかと思います。小さな村のなかだと、その成果が実感しやすい。移住してきたひとたちのなかには、結婚して子どもが生まれたひともいます。これからも家族を持つひとが増えるでしょう。そのときに、就職口が今よりもっと増えていなければなりません。西粟倉村の場合は、30年間ローカルベンチャーが絶え間なく増え続けて初めて、ここで働くひとが増え、そのひとたちが家族を持ち、子どもがいる風景が続くという計算です。この村は、その最初の、一番小さなハードルを越えようとしているところです。
平成24(2012)年、村の原木市場への出荷はほぼゼロになった。そして昨年、森の学校にも、初めて単月黒字が出たそうだ。