3)「民具」という手しごとの道具
しかしながら、四国村の魅力は単に古民家のオープンエア・ミュージアムにとどまらないところだ。それぞれにはかつてひとが住んで使っていた道具が収められているのである。正式には、国指定の重要有形文化財、「讃岐及び周辺地域の砂糖製造用具と砂糖しめ小屋・釜屋」937点3棟(昭和58年指定)、「讃岐及び周辺地域の醤油醸造用具と醤油蔵・麹室」5,577点3棟(同61年指定)を含む「民具」が、約2万点収蔵されているという。
そもそもは民家の移築の際に、そこで暮らしていた人々の、それまでの生活に欠くことのできなかった道具もあわせて収集された。ある意味で価値判断のない、一括収集によってこそ可能となった膨大な数であり、いまではもう「絶滅」してしまった「民具」もかなりあるらしい。民俗文化財の保存修復を専門とする伊達仁美氏はこう説明する。
「四国の地形は起伏にとんでおり、周りは海で囲まれていることから、四国村には様々な生業に関する道具があります。漁撈、製塩、稲作、畑作、山仕事、さらに製糖、醤油醸造、製紙、またそこに暮らす人々の日常の生活の中で使用する道具や祭礼などに用いる道具など、収集資料は多岐に及んでいます」
「民具」というだけあって、ほんとうにデイリー・ユースなものであり、おそらくその多くはそう古いものではない。昭和、戦後まで普通に使われていた日用品であっても、もはや、その用途や名前すらわからないものがかなりある。たとえば、ひまわりがお辞儀したような曲がった棒は「鰻掻(うなぎかき)」。川や沼の底にいるウナギをひっかけて捕獲する道具らしい。「カーバイトランプ」は灯火具である集魚灯として船上で使ったもの。電力の電灯に移行して用途を終えた。まるで、イタリアからの輸入物のテラコッタの植木鉢のような素焼きの器は「ヒヤシガメ」。砂糖製造用具のひとつで、搾汁後煮沸した砂糖汁を冷やす甕(かめ)だった。ほかにも「豆タタキ」「レンタンツマミ」「蚕棚」「糸車」「ネコ車」など、木製や金属製の、いかにも手しごとらしい、まるっこいかたち。同じ用途のものでもサイズや仕様がばらばらなのは、一点ずつの手づくりであることと、使い手のニーズに合わせてカスタマイズして作られ、使い手もまた自分でカスタマイズしていたからかもしれない。このところの、「民芸」「クラフト」ブームを連想させつつ、その原点を見る思いがした。