アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#12
2013.12

暮らしのなかの「うつくしいかたち」

前編 民家博物館「四国村」と現代美術の出会い
 5)展示によって空間を「ライブ」に魅せる

ところで、こうしたものの用途や文脈を離脱するような展示の試みは藤本の活動から自然であるだけでなく、ミュージアムの展示の世界的な潮流にも沿うものともいえる。近年、近代的な学問体系のなかで「標本」、「資料」として集められた「もの」への美術的関心が集まっている。例えば、国立民族学博物館の新しい展示や、東京大学総合博物館とその別館で東京駅前に今春オープンしたインターメディアテークでの展示や、京都大学総合博物館の収蔵品から編まれた『標本の本』(村松美賀子・伊藤存編、2013、青幻舎)の出版など。学術資料としての価値だけでなく、時間を経過することで別の価値を帯びたもの。科学的な用途のために手作業された、無駄なく整理された標本――「芸術家」の意識外でつくられたもの――は、民具=生活道具が持つ潔いかたちに通じるものだと今回、あらためて気づかされた。
だが、今回の四国村展のオリジナリティーは、ギャラリーも古民家でも、作家・藤本が手がけた「展示」によって、すでに「博物館化」した空間をある期間、「ライブ」として甦らせていたことだろう。

———(西宮大谷記念美術館での)美術館の遠足展の時に、常設展示室をどうしようかと思ったきっかけが展示ケースの扱いでした。はじめての試みは、複数の作家の風景画を選んで水平線の高さをそろえて並べたこと。そうすると各作品の高さや位置はかわっても、水平線の高さがそろっていると、誰も違和感を覚えなかったのです。美術館ではよく、一般のひとが見やすい絵画展示のスタンダードは絵のセンター145cmとかいわれますが、それにこだわる必要もないとよくわかりました。見ているひとは不思議に思っていませんでしたから。もっと、いろいろできるのだとあの時感じて、奇をてらったことをやる必要はなくて、もっと展示っていろいろできると思うんですよ。学芸員の展覧会や展示は、概して分類分けして、カタログをつくるようにつくっている。でも、そうならカタログを見れば十分になってしまうけれど、展覧会はもっとライブなんだから、例えば角を曲がったらなにが見えるとか、あれとこれが並んでいるとか、そういうところで楽しめると思う。同じものを並べたとしても、空間や展示する主体によって、全然見え方が違うんです。

まさに、このことばを体現化したのが今回の展示となっている。研究者としての学芸員ではなく、作家が整然と分類分けされた収蔵庫からものを選び出し、あとは展示空間のなかで寄せたり、離したりするなかで、建物と一体化する瞬間を見出していった。
「うつくしいかたち」展は、見る者に「うつくしいかたち」の古代から現代への時間という縦軸、四国村から瀬戸内一帯への地理的な、横への広がり、共鳴を意識させる場となっている。わたしたちは、藤本がよくいう「here & there」、つまり目の前の「ここ」を見ながら、見えない「そこ」を自発的に発見することになる。

旧前田家土蔵の客間に、杉山知子の清々しい白が映える。時空を超えた邂逅が心地よく吹く風を感じさせる

旧前田家土蔵の客間に、杉山知子の清々しい白が映える。時空を超えた邂逅が心地よく吹く風を感じさせる