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アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#56
2018.01

まちと芸術祭

4 札幌国際芸術祭2017の公式ガイドブックを片手に(第4日目)

2017年(平成29年)8月23日、水曜日の朝日新聞関西版の夕刊を手にしているとして。
その一面を読んでいるとして、見出しには《芸術祭 ようこそ「最先端」》とある。石川県の珠洲(すず)市で初めて開催される奥能登国際芸術祭を紹介する記事で、夕刊とはいえ一面トップである。

「最先端」とはアートの最先端のことではなく(それも引っかけているのだと思うが)、開催地の珠洲市が、能登半島の先端に位置するからである。北川フラムによるディレクションのもと、11か国・地域の39組が参加する。
2001年に横浜トリエンナーレが始まってからというもの、雨後の筍のように巨大美術展覧会が各地で開催されるようになってきた。奥能登国際芸術祭もそんなタケノコのひとつである。もっとも横浜トリエンナーレがきっかけというより、瀬戸内国際芸術祭の成功が、直接の引き金になっているようである。この場合、「成功」というのは、端的に経済的なものである。ひとの往来が増え、金が地元に落ち、あわよくば移住者すらゲットできたらというわけである。実際、瀬戸内国際芸術祭の開催地の島では人口が増えた例もあるという。

むろん、国際芸術祭の「成功」を経済的なことのみに還元させるのは、短絡的すぎる見方である。しかし、記事によると、奥能登国際芸術祭を開催する珠洲市の市長は《「芸術祭でUターンや移住者だけでなく、子どもの数が増えることが目標」と話す》。もちろん総合ディレクターの北川フラムには別の意図があるはずだが、市長は芸術祭の実行委員長も兼ねている。実行委員長が「子どもの数が増えること」を芸術祭の「目標」に掲げていることに驚かざるをえない。

現代の余裕のなさが、「子どもの数が増えること」を「芸術祭」の「目標」というような珍発言に率直に表れているのだろうと思う。「芸術祭で子どもたちがアートと触れ合う機会が増えることが目標」とか、そういうタテマエを言うようなゆとりはもはやない。「子どもの数が増えること」というホンネが思わず口に出てしまうのは、大都市以外の地域が、いかに経済的に疲弊しているか、その表れでもあるだろう。

そんなふうに読むと、《原発断念から14年》とあり、《土地の魅力を発信》ともあるが、これらは、ほとんど悲鳴のような見出しに思えてくる。かつて原発の誘致で住民が対立し、2003年に断念した経緯があり、誘致を断念したことで、地域振興が宙吊りになった。それを埋め合わせるために商工会議所が瀬戸内国際芸術祭を「成功」させた北川フラムを招いたという。原発の誘致に名乗りを上げたことと、奥能登国際芸術祭はつながっているわけだ。「芸術祭ってなんだ?」という問いは、札幌国際芸術祭 2017だけで響くフレーズではなさそうだ。