アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#115
2022.12

21世紀型の祭りをつくる

後編 わらじまつりの百年後を夢見て 福島県福島市
1)抜きん出た「技術」で、みんなを引っ張る

わらじまつりの2日目、会場付近は午前から賑わっていた。わらじ作りやわらのわ作り、わらじ踊りなどの教室が開かれ、わらじを担ぐ体験もできる。午後になると、駅前通りに再び大わらじが吊り上げられた。初日を目撃した眼には存在感が増したようにも見える。
夕闇が濃くなる頃、法螺貝が鳴り響くと、今夜もわらじ音頭の生演奏が始まった。太鼓や笛が鳴り響き、歌い手が声を張り上げる。踊りの行列には、企業などの団体だけでなく、若者たちのグループや外国人の姿もある。初日の緊張感は解け、参加者は思いきり歌い、演奏し、踊って楽しんでいる。
終盤にさしかかると、フィナーレに向かって会場の熱気はさらに増す。信夫通りの南から大わらじのパレードが始まった。長さ12mの大わらじが揺れながら進み、歌と演奏もさらにテンションが上がる。「わらじまつり物語」の大百足が大蛇に打ち勝つシーンが重なるかのようだ。
そして、いよいよクライマックスである。太鼓の乱れ打ちが始まって、大百足ならぬ大わらじが通りの北側で吊り上げられていく。誇らしい福島のシンボルとなるべく、輝きを放っている。大団円だ。

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大わらじの吊り上げに、会場が盛り上がる。太鼓隊の記念撮影はみんな笑顔で

大きな祭りの大改革は並大抵のことではない。その土地の風土や文化を受けとめながら、長く持続されることを考え、はるか先までの見通しが必要となってくる。大改革を手がけた大友良英さんはそう考えている。目先の体裁を整えるような、イメージ戦略的なイベントとは違うのだ。
1日目、2日目のようすを見て、大友さんは「これからだ」と言った。音楽も踊りも、もっと自分たちのものにしていける、と。

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大友良英さん

———今は、みんなで力を合わせてなんとかしている段階。「わらじ物語」がそういう話だから、それでいいんです。今まいた種から少しずつ芽が出ていくように、この先やっていく中から、みんなを引っ張って行く人が出てくればいいんですけどね。例えば太鼓だったら、ちょっと叩いただけで誰よりもすごいみたいな人が出てきたり、踊りだったら、パッと見て誰よりも華やか、格好いい。そんな技量を持った人が出てきて、引っ張っていくようになればいいなって思います。そういう人たちが出てきたら、祭りとしてもっと発展していけるのではないでしょうか。抜きんでた技術の人はよそから来てもいいと思ってます。そんな人の影響で地元の人もどんどん変わっていく、みたいなものでもいいんです。例えば浅草の祭りなども、担ぎ手はよそから集まってきているでしょう。人口減少もあって、今、祭りをつくるのに地元だけでなんとかしようしても難しいわけだから、福島出身にこだわらなくても、ここを地元だなって思える人たちで新しいかたちの祭りをつくっていければいいと思う。

卓越した技術を持った、チャームのある存在。祭りの華であり、祭りを行うみんなの中心ともなる。魅力的な祭りには、確かにそうした存在が欠かせない。
大友さんは、わらじまつりの改革と前後して、各地の祭りを観に行っている。東北各地の祭りのみならず、日本各地や東南アジアの祭りにも足を運んできた。
伝統的に続いてきた有名な祭りは、人を惹きつける「見どころ」がちゃんとある。例えば岸和田だんじり祭なら、だんじり(山車)に乗る大工方の派手やかな踊りもそのひとつ。カリスマ的なパフォーマンスは、日頃のたゆまぬ鍛錬で培われるものだろう。個人と集団の、祭りにかける途方もない時間と労力のたまものであり、岸和田の一年は祭りを中心にまわっていると言っても過言ではない。
そうしたあり方に対して、これから始まる祭りは、どのようなかたちを考えればよいのだろうか。

———誰でも参加できる祭りを、と思ってきました。よそから来ても、その日だけでも参加できるっていう、21世紀型の新しい祭りをつくったほうがいいと思っています。「ダイバーシティ(多様性)」って言葉が流行りのように使われてますが、単に言葉だけでなく、本当に多様な人たちが入れる祭りになればいいなと、夢みたいなことを考えてます。具体的には男だけでつくらないとか、外国人も入りやすくするとか、車椅子もパレードに参加できるとか。「今つくる祭りならコレだよね」って言われるような祭りになるといいと思っています。これから祭りをつくりたいと思う人が日本各地から視察に来るぐらいになってほしい、とも。
ただ理想を言うだけじゃなかなか実現しないですから、具体的な例として、参加した外国人が「次は子どもを連れてきたい」と思えるような祭りにしようって言い続けてきたんです。例えばコンビニでバイトしているインドネシアの人がいるとして、福島に滞在している1、2年だけ祭りに参加したとします。それがすごくいい記憶として残って、インドネシアに帰ってから、自分の子どもたちに「日本のあの祭りは最高だから観に行こう」って言わせるぐらいの祭りにしようと。今じゃなきゃ生まれない祭りをつくってくれたらいいなって強く思ってます。最初はこんなことを言ってもなかなか反応がないなって思ったけど、でも少しづつ、そんな方向を向き始めてくれているようには感じています。

伝統的な祭りに学ぶところは大いにある。音楽や踊りに関していえば、日々の練習で技術を身につけること、圧倒的なパフォーマンスで祭りを引っ張る力などは見習うべきところだろう。しかし、共同体と祭りの関係性は、時代社会の変化に見合ったものでいいのではないか。数百年前に始まった祭りも、その時の共同体の状況に即したかたちだったはずだ。
わらじまつりの今後は、その新たなありかたを提示するチャンスでもある。大友さんが言っているのはそういうことだと思う。世界各地から「参加したい」と人々が訪れる、魅力的な、ひらかれた祭りを想像する。

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外国人に、近所のスナックの従業員やお客さんたちも踊りに参加。みんなが手に持った「わらのわ」をまわす