(2026.08.05公開)
私は草を編んでいます。
畑や原っぱに揺れているエノコロ草やカヤツリ草、雑草と呼ばれるような植物たちを摘み、洗い、整え、よくみつめて、編みます。
編んだものは、リースやスワッグ、ハワイのレイや日本のしめ縄などに似たお飾りのようなもので、落ち葉や木の実を拾って編み込むこともありますが、出来上がったもののことを私は「草編み」と呼んでいます。
草を編むとき、道具は何を使っているかなあと考えながらつくる工程を順に追ってみようと思いました。

一、草を摘むとき。
草摘み日和に、まずは虫がとても怖いので、暑くても長そで長ズボン、帽子に虫よけスプレーをしっかり浴びて、携帯用の蚊取り線香を肩から斜め掛けにします。
車に乗せてもらったり自転車に乗ったりして友だちの畑や原っぱへ向かいます。用意する道具はハサミとビニールバッグ、新聞紙。ハサミは唯一絶対に必要な道具らしい道具ですがそれほどこだわりはなくて、ホームセンターに売っている園芸用のハサミを使っています。ハサミに愛着がわき過ぎると何故か失くしてしまう気がしていて、実際に何度か失くしています。
編むのには向き不向きの草があるので摘める種類は限られます。今はだいたい目当てのものがあって摘める場所に行くことが多いですが、新しい出会いにも期待しつつ緑の中に目を凝らします。
時々草たちが私を呼んだ気がすることがあります。気のせいと言われるかもしれませんが、この草と出会うためにここに来たのかと思うようなことも不思議とあるのです。
どんな草も澄んだ空気をまとっていて本当に美しく、光っています。
群生している草をよく観察しながら、夢中で、というより必死でひたすら集中して摘みます。草の種類によって、ハサミで切ったり手だけで摘んだりします。摘んだものを新聞紙で包み、ビニールバッグに入れて持ち帰ります。
二、草を洗うとき。
昔厨房だった作業場で、行水できるくらいの大きな金ダライにたっぷりと水を張り、ホースで水を流しながら草を洗います。虫やホコリが取れて草がいきいきと綺麗になっていく様子を見ていると清められるように感じます。流してしまう小さな虫たちには申し訳ない気持ちもしています。救出できた目に見える虫たちはそっと家の外の植木へ移動してもらいます。
洗い終わった草を、黒の四角いプラスチックカゴにあけてしばらく水きりをします。

三、草を整えるとき。
いらない葉を手で落としたり、ハサミで切りそろえたりします。そして形、大きさなどによって仕分けして並べていきます。そうすると、ひと目で何がどれだけあるのかがわかり、作業や出来上がりのイメージがしやすくなります。
沢山の草がきちんと整列している様子はものすごく綺麗で、洗い上がった端々しい緑の穂や葉が並んで静かに光っているのを眺めていると、あまりに美しい姿に自分がそれを壊してしまうんじゃないかと心配のため息がでます。この時にしか見られない独特の美しさに、うっとりのため息もでます。
この整える時間にこれから草たちと対話する心の準備をしているのかなあと思います。

四、草をみつめるとき。
どんな風に編むのがよいか、草を静かにみつめて決めます。この時の道具は私の心と身体だけです。草を前にして草と繋がる。対話。交信する。というのが近いかなと今は思っています。一番緊張感のある行程です。

五、草を編むとき。
麻ヒモを芯に三つ編みをしながら草の茎の部分を手で編み込みます。ヒモを使わず草だけで編むこともあります。
草の匂いには個性があって、爽やかな緑の匂い、むさっとした生臭い匂い、桜餅のような甘い匂い(本当に桜の葉と同じ成分を含んでいる)もあります。そんな匂いや肌ざわり、茎の柔らかさしなやかさ、乾き具合など、五感を澄ませて感じながら草の束を手でぎゅっと強くしめて編みます。
私は自分の手が好きです。指の関節がごつっと太くて血管が浮き上がったシワシワのこの手が好きです。
何よりも大切な道具としての手は繊細で強くたくましく、私のつくる行為を支えてくれています。手から草を感じ、手を通して草へ、私の内の何かを伝えます。
見えないエネルギーなのか波動なのかが、私と草、草の中の自然と私の中の自然との間を循環します。
編み上がった草編みは最後にハサミで、パツリと切りそろえて仕上げます。
草を編むことは私にとって「お祈り」のような行為です。特別なことであり特別ではないことです。
草編みが誰かのお守りとなっていればいいな、嬉しいなと思っています。

中村未来子(なかむら・みくこ)
1971年京都生まれ、京都在住。
2016年より草を編み始める。
Instagram: @miku5


