3)飾って見せるものから、まちに溶け込むアートへ
道後温泉本館から東に坂を登り、一遍上人ゆかりの宝厳寺へと続く上人坂の入口に、創業明治19年の老舗酒店、山澤商店がある。松山市の9割が消失したという第二次大戦の空襲を免れた道後には築100年以上の建物が多く残り、山澤商店もそのひとつ。道後温泉本館よりも古いという店舗手前の倉庫にはたくさんの絵が並び、倉庫のシャッターも配達用の車もウツボやパンダなどの動物がカラフルに描かれた絵で覆われている。素朴で穏やかな動物たちの姿は、古い家並みに異質でありながら、どこか馴染んで溶け込んでいる。
———この車で毎日松山市内を走り回っています。シャッターと車の絵は、松山市内の障害者支援の作業所で絵を描いている沖野あゆみさんの作品です。元々は殺風景な白いシャッターでしたが、日比野さんのプロジェクトで展示したものをそのまま残してます。沖野さんはコロナの時もアマビエの絵を送って励ましてくださって、交流が続いています。
そう語るのは、山澤商店の六代目、山澤満さん。道後生まれの道後育ち、小さい頃は家に風呂がなくて毎日道後温泉本館に通っていたという生粋の道後人だ。大学卒業後、いったんは東京に就職するものの、家業を継ぐためやむなく道後に戻ったが、一度まちを出たことで道後の魅力を再発見した。まちづくり協議会の副会長であり、道後のアートプロジェクトの実行委員会にも、まちづくりの立場でずっと関わっている。
———道後温泉本館の保存修理工事があるので危機感が地元にあったのは事実です。アートをやることになって、はじめは反対する人も多かったんです。でも、2014年道後オンセナートをやった時のメディアへの取り上げられ方は尋常じゃなくて、道後はこんなことにチャレンジするのかって、他の有名温泉地もびっくりしたと思います。それだけまちが覚悟を決めてやったことはすごい勇気だったし、だからうまく先制パンチを決められたんだと思います。
しかし山澤さんのようにまちに住む人の視点から見ると、アートが観光客を寄せる道具のようで、まちのほうを向いていないように感じていた。
———2015年の蜷川実花さんの時は若者に人気で若い女性客も増えましたが、道後温泉本館の障子を蜷川さんの作品で飾ったことが賛否両論だったわけです。僕は、道後温泉本館が本物だから蜷川さんの作品を飾っても負けてないと思ってましたけど、歴史至上の方からすれば抵抗があったんですね。蜷川さん人気で客層が変わって、お客さんが増えたことは大きなポイントでしたが、やっぱりアートは飾って人に見せるもので、自分たちのものじゃなかった。それが2019年、2020年で日比野さんとやってかなり雰囲気が変わったというか、まちのなかに溶け込んでいくアートになった感じですね。