アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

特集 地域や風土のすがたを見直す、芸術の最前線

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#107
2022.04

子どもが育つ、大人も育つ

5 子どもと大人と、みんなで学び合うために 京都市・にわにわ(後編)
1)世界を広げてくれ大人との出会い

京都市の東側を南北に流れる鴨川の、さらに東の、下町の風情が残る一角に「にわにわ」はある。
前号では、にわにわが、くもん教室に「プラスアルファ」の部分をつくろう、ということを発端に成っていった経緯やそれゆえの可能性、さらに、「散歩」を中心としたにわにわの活動について紹介した。偶然性や「弱目的性」を大切にしながら、そうした活動を積み重ねるなかで、子どもたちは自らさまざまな気づきを得る。そして好奇心を育て、周囲の人や環境とつながりをつくっていく。学校では得られない大切な学びがそこにある、と小山田さんは言う。

小山田さんは、学生時代からさまざまな場をつくることを試みてきた。場をつくるということに取り組むようになったのはなぜなのだろうか。聞けば原点は幼少期にあった。

———僕は、子どもの頃から『十五少年漂流記』や『ロビンソン・クルーソー』といった漂流物の冒険活劇が好きで、少年時代はそういうのを読んでよく空想を広げていました。未開の土地や空想の島に行って、基地をつくって、水場をつくって、見張り台をつくって……って、サバイバルみたいなことを頭のなかでシミュレーションしたり、絵に描いてみたり。田舎だったので、実際に友だちと一緒に基地をつくったりする遊びもしました。小さいころから僕は、自分の場所をつくるのが基本的に好きだったんですね。そしてその日々のなかで、憧れの大人に出会ったことも自分にとって大きな意味を持ちました。カオルおじちゃんっていう親戚のおじさんです。真っ黒で山を裸足で入っていくような人で、家や小屋、農作業の道具まで何でも自分でつくっちゃう。僕にとっては、「山のスーパーマン」のような人。カオルおじちゃんも彼がつくったものも、味わいや風合いがあってかっこいいなっていう感覚が、ガキの頃からあったんですね。場をつくるということの原点は、そういうところにあるんだろうなあと思います。

小山田さんにとっての場づくりは、人をつなぐコミュニティのような場というより、より個人的な、そして自分の世界観を体現したような物理的な空間として始まった。そうした場を通じて、カオルおじちゃんのような大人と出会い、世界が広がっていった。忘れがたい大人との出会いはその後も続いた。

———中学校に女性の美術教師がいて、僕は彼女にもとても大きな影響を受けました。美術部がないなかで、2人だけの“放課後の美術部”を先生が2年間やってくれて、その時に先生にいろんなことを教えてもらったのがきっかけで美術の道に進むことになったんです。そして、高校時代には自ら、芸術系の私塾をつくることになりました。地元・鹿児島にはその頃、美術系の大学に進みたい生徒が学べる場が全くありませんでした。それならつくってしまおうと、高校生同士でお金を出し合って一軒家を借りて共有のアトリエにしたんです。学校が終わったらそこに行ってそれぞれ絵を描いたり、情報交換したりしました。それは鹿児島県初の絵画塾となり、いまもあるんですよ。いま思えば、あれが初めての場づくりの経験でした。

小山田さんには、自身の興味関心を後押しし、世界を広げてくれる大人たちとの出会いがあった。そういう大人がいたからこそ、いまの自分があると小山田さんは言う。そしてそれが現在の彼の、子どもへの接し方にもつながっている、と。しかし現在、子どもがそういう印象的な大人と出会う機会は少なくなっているのではないだろうか。子どもが自由に出歩ける範囲は狭くなり、大人もまた、知らない子どもに自分から接することには慎重にならざるを得ない時代である。また社会の制度がサラリーマンのためのものがほとんどのため、生活様式は画一化が進み、生き方の多様性が失われているようにも見える。それゆえに、にわにわのような場と、小山田さんのような存在がとても貴重に思えてくる。