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アネモメトリ -風の手帖-

空を描く 週変わりコラム、リレーコラム

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#133

花咲けるタイル
― 上村博

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(2015.10.11公開)

タイルについて『アネモメトリ』2015年10ー11月号で特集されている。それを読みながら、自分自身、タイルが長らく気になっていたことを思い出した。タイルの使われる場所は、大概は上下水道に関係するところだが、そのほかにも結構いろんな使われ方をする。浴場やトイレだけでなく、カフェーやタバコ屋さんといった、町中のそこここに散見される。今や懐かしい古びた光景、けれども同時に華やいでもいる。このちょっとお洒落な印象はどこから来るのだろうか?

むかし、フランスから鉄道でイベリア半島に向かったことがある。真夏の晴天のもとである。Douce France (優しいフランス)の名のとおりの緑ゆたかな穏やかな土地から、国境を越えてスペインに入った途端、強い日射しに照らされ、乾燥した風景が広がった。砂漠か、と思うほどの白茶けた大地が続く。まれに見かける植物も枯れ木のようだ。かんかん照りのなか、列車が駅に着く。すると車両が滑り込んだ駅舎の壁に、つややかな大判の陶製タイルが貼り付けてあった。いかにも涼しげである。ひんやりした陶器の質感がそう思わせるのか、水回りに用いられるタイルの連想があったのか。陶製タイルの壁面は、その後訪ねたスペイン、ポルトガルの街々に溢れていた。
イベリア半島ではアズレージョ、アスレホ azulejo と呼ばれる陶製タイルは、イスラームの建築装飾にも共通するし、またさらには古代ローマのモザイクの流れを汲んでいる。モザイクは大理石やガラス片を使って壁面や床面を飾るが、材料も細かな手間も値が張るもので、そんな貴重なものはおいそれと使えない。そこで中世から、土を焼いたタイルが代わりに用いられてきた。イベリアを含むイスラーム圏で早くに発達し、また他のヨーロッパ半島でもイタリアやオランダで作られる。たしかに、タイルは建築物の内外を華やかに装飾することができる。そしてモザイク以上に多くの壁面や床面を飾ることができるだろう。タイルのある風景の特徴として、このモザイクや大理石の装飾に連なる豪奢な性格がまずあるだろう。
しかしタイルのメリットはモザイク装飾の代替物というだけではない。その比較的安価な堅牢さもある。陶製タイルの硬質な表面は水や火や汚れに強く、単なる装飾だけではなく、暖房器具、台所、衛生施設などに恰好の建材として重宝される。床や壁に高価な大理石を使わなくても、華やかで、かつ耐久性のあるタイルが普及したのは当然であろう。デルフト焼もタイルの需要に応えて栄えたし、イギリスのミントンだって茶器だけでなく、19世紀半ばには大々的にタイルを売り出した会社である。
そしてタイルの持ついろんな性格のなかでも、この、水に強いという点が大事なように思われる。おそらく、タイルの持っているつやつやした晴れがましさは、古代やオリエント世界以来の装飾文化の記憶だけでなく、水回りを整えるという衛生観念の近代性に由来するのではないか。衛生という考え方は、ただ病院や医療の現場に限定されるものではない。人間の生活を科学によって病気や迷信から防御し、自分たちの身体を合理的に管理するという衛生思想は、都市計画にも見ることができ、そこではたとえば道路が血管に、公園が肺に喩えられる。それは新しい強力な思想であって、埃っぽく、汚物にまみれた路地を清潔なアヴニューやブールヴァールに置き換えることでもある。
ミシェル・フーコーの変な影響のせいか、近代というとやたらとその管理的・抑圧的な性格が語られがちだが、本来、近代は土地や血の骨がらみのしがらみにまみれた閉鎖社会から人間を解放するものだった。かつては人の一生は生まれた家や村に大きく条件付けられた。家柄、出生地、性別で決定づけられる部分が、もうどうしようもなく大きな社会だった。本当の「合理性」というのは、冷たく非人間的なビッグ・ブラザーが人間の運命を握る社会の属性ではない。それはむしろ、理性を持った個人であれば、慣わしやしきたりに拘わることなく、自分の意志や気質や能力を存分に発揮することが(少なくとも建前上は)許される社会の属性である。安全で機能的な都市はその象徴である。たとえば、お金さえ払えば遠くに連れて行ってくれる鉄道、女子供でも安心して通行できる街路、そしてまた衛生的なタイル貼りの建物である。タイルは古代の栄華をかすかにまといつつも、むしろ新時代の象徴であり、昔の社会とは全く別の、都会のわくわくする世界を実感させるものではなかったろうか。
公衆浴場や床屋さんのタイル貼りは衛生という機能面が強いだろうが、同時にそれは近代性も象徴している。カフェやタバコ屋さんのタイルはむしろその後者が前面に出ているだろう。コーヒーもタバコもエキゾチックでオシャレな嗜好品である。昔からキセルで吸われていたタバコは、明治以降新たに紙巻きとなり、国家の専売する新商品となった。タバコを包むパッケージも、それを扱う店舗も、都会の先端的なファッションで装われたのは当然である。これは古代以来の伝統的な高級建材の記憶をモダーンな都市生活の匂いと共にリニューアルしたものと言っても良いだろう。

モダーンなファッションの宿命で、時間と共にハイカラなタイル装飾はいささかレトロな風景になってしまった。とはいえ、タイルはいまだに機能的な建材で、陶磁器のタイルも現代の都市生活のなかでふんだんに見ることができる。近代を象徴するような装飾機能は後退しても、ただの懐古的な賞翫の対象にとどまるものではない。日本では近代化の過程の一段階のように見えてしまうかもしれないが、世界的にはタイル装飾の歴史にはすでに膨大な蓄積と多様性がある。近代的な建材としてもいろんな試みがされてきた。その可能性はまだまだ尽くされておらず、これからさらに清新なデザインを担うことができるのではないだろうか。

*写真はちょうど100年前にできた温泉施設のタイル(佐賀県武雄市)。