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#297

歴史のうちそと
― 下村泰史

歴史のうちそと

(2018.12.09公開)

私は歴史を知らない。一応高校の時に日本史と、世界史を半分くらい教わった気がするが、おおよそぼんやりしたものである。
学校で習った歴史というのは、だいたいどんな人がどの時代にどんなことをしたか、といったものだったように思う。経済のことやら文化のことやらいろいろあったような気もするが、だいたい人物が動いている物語のような理解をしている。これは、科目としての歴史の述べられ方の問題もあるかもしれないし、他に流布している歴史物語の影響もあるのかもしれない。
大河ドラマから、ビジネスマン向けの「戦国武将に学ぶ〜」といったコンビニ本にいたるまで、歴史イコール英雄物語、のような理解が、一般の人々の間にはあるのではないかと思う。そしてその登場人物たちが正しかったかどうか、がしばしば話題となる。世間の人々にとっての歴史は、ドラマであり物語なのだと思う。そしてその物語は、あらかじめ誰かが語った物語なのである。

高校の頃の他の科目のことを思い出してみる。理科については、よくわからないながらも、実験の方法やレポートの書き方などを学んだような気がする。実験する時には、条件を揃えた比較対象区を設定するくらいのことは習った覚えがある。
こうした知識は、方法論的な知識である。そしてだいたい学問というものは、こうした方法論的なものと、それによって見出され配列されてきた事実群と、それに対する見解とからできているのだと思う。方法論的なものは、現実を読み取り分析し記述するための知識である。事実群はこれまでの既往研究とその流れであり、さまざまな見解がディスカッション、学的コミュニケーションを構成するものとしてある。

しつこいようだが学校時代の勉強に戻ると、歴史をはじめとした人文・社会系の科目については、こうした方法的なものの大切さはほとんど触れられることがなかったように思う。というか、そういうものの存在すら知らされていなかったのではなかったか。

物理学や化学であれば実験計画であろうし、生態学や人類学のようなフィールドの学であればフィールドワークの技法であろう。歴史学を含む人文学であれば、史料をはじめとする文献類を批判的に読み解く技術ということになるだろう。それらは、「専門の基礎」ということになるのだと思うが、これらは大学の専門課程に入るまで、まず教わることがない。学校では、「誰かが語った物語」を延々と聞かされ続ける。執拗に繰り返されるテストによって、こうしたものだけが、「知識」と理解されるように洗脳されていく。
こうしたことにより、日本人の相当部分は、方法論的な知というものについて、ほとんど知らぬままぼーっと生きているということになっているのではないか。

「誰かによって語られた物語」も玉石混交である。いいものもある、しかし悪いものもある。これを見分けるには、それがどのように生み出されているかを吟味する能力が必要である。ここでも、方法論的な知が求められる。
方法論的な知は、世界に触れ、感受し、読み解く技であり、それをテキストや作品につなげていく創造のためのツールでもある。だがそれだけでなく、さまざまな見解や物語を読み解き、理解し、評価するのにも欠かせないものなのだと思う。
これを持っていないと、さまざまな物語からもたらされる快感やら感動やらを相対化することができない。自分の欲求を満たし気持ちよくしてくれるものに、簡単に屈してしまう。お手軽な娯楽であればそれでも構わないのかもしれない。しかし、自分や他者の生存に関わるような見解が求められるような場面、自分や他者が属する社会の歴史に関する問題などについては、そうした快感や感動だけで、ある物語に肩入れするのは大変に危なかっかしいことである。一般人向けの歴史は、物語、特に英雄列伝のような姿をしている。そしてビジネスに役立ちそうな、偽りの教育性をもって商品化されていたりするのである。

だが、今日の日本の教育においては、この手の知は、忘れられているのかそれともわざとなのか、人々から遠ざけられている。一定の専門性のある高度な教育を受けた人だけの占有物になっているように思う。高校はおろか、「ふつうの文系」と呼ばれる分野では、四年間の学部生活の中でそうしたものに触れることは少ないのではないか。多くの人が懐疑と創造の方法を持っていない社会というのは、早晩行き詰まってしまうのではないかと思う。そして今の日本は、かなりそういう煮詰まり方をしてしまっているように思う。この方法的な知というのは、国民の教養の相当部分を占めるべきものなのではないのか。

さて、私が所属している芸術教養学科というところでは、こうした方法論的なものを伝えることは出来ているのだろうか。これについては、日々試みているものの、私自身は内心忸怩たるものがある。対象は、いわゆる芸術作品だけでなく、人間の創意によるもの全般である。それを読み解くための方法的な知とはいかなるものか。
この学科では、景観、食文化、伝統行事など、さまざまなものを扱っていく。そのまなざしを整えるのためにさまざまな教材や課題を用意しているが、並一通りなことではない。

「デザイン思考」と「伝統・文化」を両輪とした教養教育を、ネットを通じて行っていくのが私たちの仕事である。この2つの間から立ち現れてくる方法論というものが、もしかしたらあるのではないだろうか。
先に、こうした方法論的な教育は、専門課程の基礎としてなされることが多いと書いた。しかし、このことはこの方法的なものというのは、ある分野の専門化、細分化の底にあるというものでもないだろう。たとえば社会学におけるエスノグラフィ調査の方法は、文化人類学の影響を受けたものである。複数の分野の間で新たな方法が生まれるということは、おそらくいろいろなところで起きていることなのだと思う。「デザイン思考」と「伝統・文化」の間には何があるだろう。

ここまで書いてきて筆が止まってしまったので、話題を変える。このコラムに添削者がいたら、「論理的構成がなってない」と叱られるところだが、このコラムではそういうこともないのでいいのである。
私は、公園緑地の設計から植物学や生態学、土地区画整理の歴史からコミュニティ音楽までやっているので、「専門は何なんですか?」と言われたときにいつも答えに窮している。自分でもどうしてそうなるのか、最近までわからなかったのだが、どうやら多数の生命や多数の声のあいだから立ち上るようにして生まれてくる空間の形やありように興味があるのだ、と言葉にできるようになってきた。こういうものは、虚空で形を結んでは消えてしまうものでもある。

最近の私の関心事に、戦前の京都市で試みられた町割計画と、地域で生まれ忘れられていく歌、(廃校の校歌などに見られる)というのがある。一見したところまったく共通点のない2つであるが、私のなかではつながっている。これらはともに、比較的最近に人々の間で生まれ、歴史化されるまえに忘れられていっているものなのだ。私たちの身の回りには、こうしたものが実は溢れているのかもしれない。

この、歴史化されていない、つまり記述されていないものごとを捉えるためには、どのような視点と技が必要なのか。これは先の、芸術教養における方法的な知の探求とも、どこかでつながってくるのだと思う。

まとめようもない文章になってしまったが、強いて一貫したものを探し出すとすれば、誰かが語ってしまった物語を消費するのではなく、生起するもののなかに物語を見出そう、その方法を模索しよう、というのが今回のコラムのテーマだったのかもしれない。