(2020.05.10公開)
京都府亀岡市で、2017年より始まった芸術祭「かめおか霧の芸術祭」。拠点のひとつになっているのが、「KIRI CAFE」だ。亀岡駅から保津川をわたり、畑や小さな集落の間を進んでいくと、水色を基調にしたカフェが見えてくる。もともとあった民家を改修した空間は、光と風の加減がよく、心地よい。
そんなKIRI CAFEの運営を行っているのが、武田幸子さんだ。料理をつくって提供したり、野菜を販売したりしながら、芸術祭でできるアートの可能性を広げている。とはいえ作品を展示したり、アートイベントを開催することに重きを置いているわけではない、芸術祭そのもののコンセプトを反映するような、一風変わったカフェである。亀岡が出身地でもある武田さんは、まちや、地域のひととどのように関わりながら、KIRI CAFEという場をつくっているのだろうか。
———KIRI CAFEはどういった経緯で始まったのですか?
最初、亀岡市から「芸術祭をしたい」と、同市にあるみずのき美術館に相談がきたんですよ。わたし自身、そこの美術館に職員として働いていて。亀岡にアトリエを持っていた陶芸家の松井利夫先生を紹介しました。「学生と一緒にやるのが面白いんじゃないか」と考えてくださり、そこから学生、酒井洋輔先生、デザイン事務所のCHIMASKIで「かめおか霧の芸術祭(通称:霧芸)」のプロジェクトが立ち上がりました。
もともとわたしは一般的な芸術祭をイメージしていたんです。展覧会をして、亀岡にゆかりのあるアーティストを紹介したいという市長の思いもあって。だけど松井先生は、そこをガラッと変えたほうがいいんじゃないかと提案されました。多くの芸術祭って、外からたくさんの力を得てサーカスが来て帰っていった、みたいなイメージがあります。霧芸は、亀岡に住んでいるひとが全員参加者になって、まちに利益が残るような仕組みが、今後も身体的に残っていったほうが有益なんじゃないか、と考えられて。そのためには間口が広がる、誰でも集えるカフェが必要なんじゃないか、と。だから、霧芸はカフェをつくることから始まったんです。
改修工事が終わった2017年の冬にオープニングパーティーをしたんですけど、市の関係者のほかに、長靴を履いたおじいさんとか、幅広いひとたちが集ったんです。結構衝撃的で、ここには可能性があるんだと思いました。
———芸術祭の立ち上げのタイミングでは、武田さんはみずのき美術館の職員。そこからカフェに関わるようになって、現在はKIRI CAFEの運営者という立ち位置になられたというのは、どういった流れからだったのでしょうか。
最初はメンバーではなく、第三者として見学に来る感じでした。だけど改修工事をするときに、やっぱり亀岡に住んでいるひとが必要になりますよね。協力しますよ、と言ったことをきっかけにメンバーに加わって、学生と一緒に改修工事を始めました。壁をこわしたり、資材を全部出して炎天下のなか仕分けしたり、ものを燃やしたり。本当に工事現場みたいな作業をしましたね。
そこから、2018年8月にKIRI CAFEとしてグランドオープンしました。わたし自身は2019年の春にみずのき美術館は退職して、今年の4月から運営者になりました。わたしは亀岡の実家に住んでいるからそんなに収入は必要ないし、KIRI CAFEだけをやっています。メニューを増やしたり、スタッフをほぼふたり態勢に整えたり。ここではひとと話すことがメインなので、誰でも話せるように、ふたりにしました。
———美術館での仕事と、カフェでの仕事に差は感じますか?
事務的な時間に追われる仕事から解放されつつも、気になるポイントは結構似ている気がします。たとえばみずのき美術館にいてお客さんと話すことと、ここでお客さんと話すこと。展示している作品についてだったり、料理についてだったりと媒介するものは違うにせよ、結局みんな同じ話をして、他人だけど共有できる部分はあるんだ、って気づくことが似ているなと思うんです。
みずのき美術館って、面白いんですよ。障害のあるひとの作品を所蔵していて、展示したりデジタルアーカイブ化をしたりしているんですが、障害の有無に関係なくその作品がいいのか自分でわからなくなったり、施設で暮らすひとの生活に興味を持ったり。そうやって今まで全く見ていなかったことを知れて、これまで意識していなかった部分に気づくことがみずのき美術館でよくあったんです。KIRI CAFEに集うひとも、何かに対する疑問や思うことを抱えていて、それを自覚しているひとが多い気がします。そして心地いいのが、全員違うということ。みずのき美術館でも、お客さんそれぞれの考えは違ったんですよね。それでも同じ場所に集ったということに、近さを感じていて。分かり合えない部分もあるんですけど、否定しない、許される空気があるんです。
———カフェには地元のひとも多く来られますか?
地域のひととの関係は今年の課題ですね。とはいえ、むやみやたらに地域のひとを巻き込むのはわたしが苦手で。赤飯を炊きたいから技術を教えてもらいたいなとか、そういうことから始めたいですね。畑もやろうと思っているので、地域のひとに教わりながら懐に入るとか。そんな些細なことからだと思います。宇宙船は宇宙船のままで、わたしたち宇宙人も日本語を話せるようになるぞ、って感じで寄っていけたら。地元のひとたちにとっても、宇宙人と友達になれたぞ、みたいなままで、できれば仲良くなりたいって思います。
———店内では飲食だけでなく、野菜も販売されていますね。これは、農家さんと直接取引をして仕入れられるんですか?
そうです。霧芸自体が、有機農家に限らず農業をやっているひとを巻き込んで芸術祭をやりたいという構想なんですよ。“野良的な仕事”から美を得ているひとたちが見ている景色を、わたしたちが見直したときに、芸術を身体的に感じやすくなるんじゃないかと。今、芸術って美術館で展示されていたり、アートフェアで売られていたりするものと言われがちだけど、そもそも日常にあるはず。農家の仕事に、そういった美が残っているんじゃないかと松井先生が言われました。
実は亀岡って、若い新規就農者が多いそうです。でも実態としてはここでは売れないと言われていて、特にオーガニックの農家さんは京都市内で販売している。何回かチャレンジしたチームもいるけど、売れてないという状況があるんです。だけど自分たちでチャレンジしないと諦めきれないので、「やおやおや」という屋台で野菜を販売するプロジェクトをやってみたんです。
みずのき美術館に勤めていたとき、きむらとしろうじんじんさんという方と出会いました。彼は陶芸家で、野点(のだて:屋外の茶会)をするんですけど、その特徴はリヤカーに窯も乗せて、絵付けして40分ぐらいで茶碗を焼いて、その場でお茶を点てるんです。じんじんさんの野点を見て、出迎えようと待っている感覚と、外に出向いた感覚って全然違ったから、「屋台」がキーワードとしてずっとありました。そこから、屋台で野菜の販売所を設けるのはどうかなと、企画が始まりました。今はKIRI CAFEで販売していますが、今年はもっと出向ける方法を考えていこうと思っています。
———亀岡でつくられた野菜なのに、地元では売れないという状況がありつつ、それでも「やおやおや」を通して販売に挑戦してみる。それは亀岡できちんと市場をつくりたい、現状を解決したいという気持ちがあったからでしょうか。
わたしはどちらかというと、やってみてどんな結果になるのかを知りたいのが大きいですね。成功させるぞ、売上目標を達成するぞみたいな感じではなく、やってみたらどんなひとが集まるのかに興味があります。比べるものがないので結果はわからないんですけど、買ってくれるひとが想像していたよりも多いと感じています。実際のところ、美味しいんですよ。それが大きいと思っていて。思想的なものだけでオーガニックを勧めるのではなく、美味しさがひとをつないでくれて、買ってくれています。
農家さんのすごいのは、予定通りに進まないことに日々対応しながら続けているところ。しかも、ロマンチックじゃないですか。「ハイツ野菜研究部」っていう農家さんがいるんですが、肥料をやらずに土が持っているポテンシャルを研究しながら、野菜をつくられています。5、6年とある野菜を失敗し続けたりもしているらしい。自分の理想の農業を追いながら、それが相手にも伝わる方法を考えています。最初は農家さんに会っても、なんで農業やっているか疑問だったんですよ。台風がくれば飛ぶし、大雨が降ればゼロになるかもしれない。そう聞いていたから、あまり理解できないなと思っていました。でも今は、なんとなくわかってきました。太陽の下にいるのは気持ちいいし、ハイツさんは「大根を洗っていて、白い大根が光に照らされているのはきれいやで」って言っていて、体験したいと思いました。
———先の見えないことをやり続ける日常のなかで、美を見出す。同じプロセスを、霧芸では目指されているんですね。
結果が想像しやすい事業が多いし、慣れているじゃないですか。わたし自身も、そういう仕事が多かったと思います。現代美術も、いろんなワークショップの企画も基本そんなふうに、落としどころが決まってきている。そうじゃない企画をするって、すごく難しいと思います。それでもすすめる霧芸は貴重な芸術祭だし、常日頃から松井先生もゴールは描かず、「本当にどうなっていくかは、霧のなかをかき分けていくように決まっていくだろう」っておっしゃっているんです。それは何? とよく言われますが、みんなと一緒につくっていくものの完成形な気がするし、やっぱりワクワクしますよね。霧芸が始まってから実はこんなことが変わってきたよね、と気づいたときには、きっと楽しいと思います。
———たしかに、作品鑑賞ひとつをとっても、受け手の感受性までが決められているのはもったいないと感じます。一方で、公益のプログラムとしての芸術祭を、ゴールも決めずに運営するのは、ほかの実例もなく、かなり難しそうです。
霧芸のために用意してもらっている予算は、亀岡で暮らすひとたちに何かを伝えたいっていう気持ちのために使われるお金なので、芸術が持っている可能性をもっと届けたいと思うようになりました。
でも、難しいですね。できることはあるはずなのに、知らないひとに届けるにはこんなに距離があったんだって思うことも多いですね。アートによる利益とは、市民は無料で絵画展が観られるとか、作品がカバンにプリントされて買えるとか、そんな感じになりがちで。でも、お金に換算できるような分かりやすいことだけじゃなくて、作品を見て気が楽になったわ、ということもありますよね。
———KIRI CAFEは今後どう展開していく予定ですか?
活動のめどにしていた3年間は終えたところで、霧芸のチームで「きりぶえ」という社団法人をつくりました。そのなかで今後も継続的にカフェを運営していこうと思います。
それから、今年より「HOZUBAG(ホズバッグ)」というカバンの制作も始まりました。亀岡は「プラスチックごみゼロ宣言」によって、ビニール袋の禁止条例を出したんですね。その一環で、市民に配るエコバッグのデザインを霧芸に依頼されたんです。でもデザインだけして既成品のバッグにデザインを印刷するだけだと、結局外部にお金がまわるだけで、市民のひとにとっては何もならないんじゃないか、ということから、亀岡に残っている素材を使ってつくることを提案しました。
亀岡はパラグライダー体験をできる場所があるんですが、パラグライダーの機体は車検のような定期的なメンテナンスが必要で、どうしても廃棄が出てしまうんです。使えなくなったものを大事に保管している方も多くて、捨てるにしてもお金がかかる。その素材をカバンにしたらいいんじゃないかと、2019年からワークショップ形式でファッションブランドの「シアタープロダクツ」の武内昭さんがデザイン監修してホズバッグ制作を始めました。今年からは、商品として販売する計画です。制作のための工場設備の費用は、亀岡市行政がクラウドファンディングで集めてくれました。そこでは働きづらかったり、社会に生きづらさを感じていたりするひとも一緒に働ける場所にしたいなと思っています。
その構想は、みずのき美術館で働いていたときから美術館の上司と話していました。みずのきのアトリエを見ていると、最高にかっこいいんですよ。ものづくりって楽しいじゃないですか。個人的にも料理中に包丁をコンコンしたり、ジュージュー炒めたりするような作業に、癒されるところがあって。シンプルにものをつくるときの楽しみが仕事にできる環境があったら、いいなと思って。悩んでいるひとがKIRI CAFEに来て、「ここのひとたちもこんな感じだし、自分もいけそうだな」って思って、工場が社会に一歩出るきっかけの場になれば面白いなと思います。
取材・文 浪花朱音
2020.04.04 KIRI CAFEにてインタビュー
武田幸子(たけだ・さちこ)
京都造形芸術大学空間演出デザイン学科ファッションデザインコー
卒業後、京都市内にある出版社のデザイン部に所属。
退社後、亀岡市にある社会福祉法人松花苑 みずのき美術館に勤める。
現在はかめおか霧の芸術祭の拠点であるKIRI CAFEの運営、またHOZUBAGの製造工場を担当。
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。