アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#1


― 仁城亮彦

(2012.12.01公開)

岡山県・青野にてたどり着いた就農という選択肢。
パンを焼き、ぶどうを育て、“野良”芸術を考える。

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(左)仁城家のパンは、家族や山の土、瓦礫、自家栽培小麦、自家製酵母などといった、農村の資源を編集して焼く、通称「文化パン」
(右)ナゴミカル(仁城亮彦+山中史郎)による、ぶどう初収穫

仁城亮彦さんは、1972年広島生まれ。大学でデザイン、メディアアートを学んだ仁城さんは、卒業後、デザインの仕事をしながらアーティストとしての表現活動を模索していた。まもなく京都から広島へ移住、そこで出会った仕事が人生の転機となる。母の友人のお寺の本作りであるが、撮影で和尚さんに同行し、お寺と地域の関係を探求していくうち、自分と地域の関係や、プライヴェートなコミュニティというものを改めて考えさせられるようになったという。住み慣れていたはずの町がはっきりと違って見えたのだった。そのときの感覚を、著書『農にデザインされる』でこう書いている。「植木鉢のような、いつでも移動できる自由、どこでも生きられる自由。その植木鉢がばかっと割れちゃって、そこから自分の血管が地面に伸びて広がって、新しい血が巡ってくるような、ほんとそういう感覚でした」。 以降、仁城さんはもっと自分の生活や生きることと密接した芸術のあり方について考えていくことに。自分の考えていたイメージを実践すべく、母親の実家であり、両親が農業を始めていた岡山県井原市青野町という地域へ。地元の特産であるぶどう栽培の手伝いから農家の息子としての生活をスタートした。 さらに農家をしながら教員免許を取るべく、再び京都造形芸術大学へ。2009年に通信教育部芸術学コースを卒業、地元の高校で非常勤講師を勤めるように。 現在、兼業農家を営んで11年。一見ふつうの農家かと思うと、野良芸術研究所「なごみLABO」なる古民家にて、農村の精神的・文化的な資源(家族、古民家、山の土、瓦礫、木、自家栽培小麦、自家製酵母)を編集してパンを焼き、目下ワイナリーづくりをもくろんでいるという。そして、京都造形芸術大学通信教育部非常勤講師として、この場所で授業も行っている。農家として野良仕事に精を出す日々の傍らで様々な活動を行う仁城さんに、仕事について、また仕事と芸術との関わりについて聞いてみた。

Q1:いま、一番情熱をそそいでいることは何でしょうか。

自分たちでぶどうの苗から、ワイナリーを作る。

A1:いまは、いかにして「就農」する(農家になる)か考えてます。具体的には、ぶどうを栽培してそれでワインを作ろうと。ほかにも、小麦を作ってパンを作って、ヤギを飼ってチーズを作って、それらをいろんな人と楽しむ場所をこの地域に作る、そういう農業をしながら、家族や地域の人と発酵食とか伝統食とか一緒に勉強して一緒に食べたいと。そういうことをしたくてこの地を探し出したわけではなくて、この地に生きていくならそういうことしなきゃならないと、ひとまず結論を出したところです。 最初は、ここはぶどうの産地なので、あとはワイナリーさえ作ればいいんじゃん、という発想でしたが、ことを進めるには単純じゃなかったですね。青野地区ではほとんどが「生食用」で「ワイン用」は一部です。「ワイン用」はすべて農協を通して大手ワイナリーに出荷されています。だからその「ワイン用」の一部をいただきたい、という話は「地域の農家」には聞き入れられませんでした。まあ、ワイナリーもまだ存在しないのだから、当然と言えば当然なのですが……。地域の皆さんは相談には親身にのってくれますが、結局それを進めるには、自分たちで農地を手に入れ、ぶどうの苗を新しく植えて育てて、ワイナリーも自分たちで作る。はっきりいって夢物語ですが、もう他のこと考えられなくなりました。近々この1年の活動を踏まえた「青野ワイナリー構想」を公開し、賛同者、出資者、あるいは共にこの地でものを作ったり、場所を作ったりする同志を募っていこうと思っています。

Q2:その面白さはどのような部分なのか具体的に教えて下さい。

この地に暮らす自覚が深まること。

A2:できるできないとは関係なく、とにかくワイナリー作りを実現しようと進めていると、地域からいろんなことが学べたり、この地に暮らす自覚が深まったりするんですね。そのことを意識することが夢を見続けるコツであり楽しいところじゃないでしょうか。

Q3:ワイナリー作りや農業に情熱を注ぐ上での、印象的なエピソードを教えてください。

デザイナーとともに、ワイナリーを作る。

A3:発酵食、伝統食を地域のお年寄りから学ぶ機会を作る取り組みと、地域に人を呼び込む場所としてワイナリーを作るというのは同時に思いついたんですが、ワイナリーの方にデザイン事務所「ハイカルチャー」の山中史郎くんが加わってくれたのは大きいですね。山中くんとは大学時代に出会ったのでかれこれ20年ぐらいの付き合いになります。彼は京都芸術短期大学の映像コースで、ぼくは京都造形芸術大学情報デザインコースで、共に実験映像を学びました。卒業後は全く別の道を歩んでいましたが、数年前にネットを介して再会しました。で、なぜかお互い異なるプロセスを経て農業との関わりにたどり着いたわけです。彼はこの1年は大阪から月1、2回程度のペースでここに通って一緒に農作業をしたり、活動報告書を作成したりしています。

Q4 一番最近の活動について教えてください。

栽培に失敗し、風土を思い知る。

A4:それが、Facebookで友だち数名に、「青野kamoso!会」(地域で発酵食を研究するグループ)の提案書を読んでもらったのがきっかけで今年の5月に始めた、山中くんとのワイナリー作りを最終目的とするユニット・ナゴミカルです。地域のぶどう農家に意見を聞いた結果、地域に自由になるぶどうはないことがわかったので、2人とも農家になるにはどうすればいいかということからワイン作りを考え始めました。ぼくたちにはお金も実績もないので、できれば新規就農支援などを行政から受けたいところですが、これから。まだまだ地域を巻き込むというところまでは至ってないですね。そんな中でぼくの高校時代の恩師が「出資する」と言ってくださったり、地域の飲食店経営者から「ワインができたら売ってあげるよ」とか声をかけていただいたりするのはとても励みになっています。あとは廃園にするというぶどう畑をそのままお借りして、実際に栽培すること(そして、ほとんどまともに作れなかったこと)を通して、この地の風土の理解が少し進みました。その辺りはナゴミカルのブログにもレポートしてます。

Q5 いま住んでいる地域のよいところとわるいところを教えてください。また、この地域での問題点やそれに対して思う事などあれば教えてください。

生産者と消費者をあらかじめ設定しない、自給的な農業を。

A5:良いところは、先祖の残してくれた風景があります。悪いところは、山の西側にわが家があって朝日が当たらないところでしょうか。
ここはぶどうの里青野と呼ばれているぶどうの産地で、ちゃんと地域にひとつの産業が築かれているんですが、後継者不足とか高齢化とか過疎化といった問題はあり、なかなか先が見通せない状況があります。地域の課題に対して個別の取り組みはあるんですけど、それらが地域の表面に出て共有されること、そして産業構造を変えてまでの取り組みとなることは、どうも避けられているような気がします。
今の地域のぶどう農家は団塊の世代が主力メンバー。兼業でぶどう農家をしながらしっかり年金がもらえるように定年まで外で働いて、それからぶどうを作るというスタイルで現在の地域農業を支えておられます。だけど、ぼくらの世代になってもそのスタイルを持続するイメージができるでしょうか。就職氷河期とか経済低成長の時代が始まった中で社会に放り出されて仕事に就き、ついには国内で原発が事故を起こして放射性物質をまき散らす時代になりました。ぼくらの世代は、そういう中で次の世代によりよく生きていくための大事なことを伝えなきゃならない。この山あいの集落に根をおろして暮らしていくことを、そういう点でも自覚的になりつつ、ぼくは自分なりの農家を始めたいと。自給的な農業というか、生産者と消費者をあらかじめ設定しない農業というか。そういう自分のやりたい農業というのは、地域に自分の表現活動を展開しようとすればするほど明確になってきました。
そうした中、最近学んだことは「この地域で農業をさせてください」「どうかぼくの余計なお世話を許してください」という謙虚な態度が大事なんだなということです。もともと自分がやりたいことしかしてませんが、ただそれを地域に展開するとなると、なるほど態度が大事なんだなと。こんな田舎の農山村で、誰もやってないこと、突飛なことでも、なんとなくみなさん関心を持ってくれたり話を聞いてくれるようになりました。就農して経済的にうまくいくかどうかは全部自分の責任。金儲けが第一でするわけじゃないので、やっぱりそういうことに収まりきらないことこそが地域でたくさん学べるんです。
農村には農村の、科学には科学の、芸術には芸術の「常識」があると思うんです。それらを知るというのは大切だと思うんですけど、決してとらわれないようにすることが、よりよく生きていくということだと思います。既存のものに何か違うなという感じ、あるいは自分でやってうまく行った時の自由な感覚を忘れないようにする、そういう志を持続するってのが大事なんじゃないですかね、どこで生きていくにしても。ぼくにとっては、それがこの地に生活しながらの野良芸術であり、なごみLABOであり、ナゴミカルであり、学びなわけです。

Q6:あなたにとって、芸術とはどのようなものでしょうか。また、大学非常勤講師のお仕事で教えていらっしゃることについて教えてください。

毎朝必ず味噌汁を飲むように、野良芸術で目覚める毎日を送りたい。

A6:ぼくは野良芸術という言葉を、農村で身の回りのものを使ってよりよく生きていく手段とか実践、という感じの意味で使っています。実際の自分の生活から切り離してそれだけを示すことはちょっと難しい芸術ですね。毎朝必ず味噌汁を飲むように、野良芸術で目覚める毎日を送りたいです。
造形大のスクーリングに関してですが、農村には農村での働かせるべき身体感覚があってそれでもってどう生きるか考えないといけない。小麦の種まきをしたり、田んぼで脱穀したり、お餅を丸めたり、寒い中備中神楽を鑑賞したりして、ぜひ、そういうことに自覚的になってもらえるといいかなと思っています。
それと野良芸術学習会というのもあるんです。これはスクーリングを受講した卒業生、在学生の方に、この地域との関わりを継続してもらいたいということで始めました。ひとまず学習会のテーマとして「身の回りのものをつかっておいしくご飯を食べる」と掲げて、まずは米作りしようと田植え、稲刈りして、薪と土鍋でご飯を炊いておにぎりしたり、地域のお年寄りに講師になっていただいてこんにゃく作りを習ったりしています。

メイン野良芸術学習会こんにゃく作り@なごみLABO

なごみLABOにて、野良芸術学習会「こんにゃく作り

Q7:一日のうちで
大切にしている時間があれば教えていただけますでしょうか。

子どもと遊ぶ時間を大切にしたい。

A7:子どもと遊んだり、一緒に畑に行ったりパンを焼いたりする時間ですね。この地域に生きるなら、自分たちの子や孫に、この地域の何をどのように伝えていくのかというのを、全ての発想の根本におかなきゃいけないと思うから。子どもが楽しそうにしている姿を見れば、いつでもそのことを思い出せます。

息子の友之介

田植えにタフマンを差し入れてくれた息子の友之介と一緒に

Q8:座右の銘、もしくは心に残る一冊の本または愛読書を教えてください。

A8:A snail makes slow progress.
カタツムリはゆっくり進む。
(京都にいたころ、フランス人アーティストがくれた言葉。)

インタビュー、文 : 松永大地
電話にて取材

仁城亮彦 にんじょう・あきひこ

1972年生まれ。京都造形芸術大学情報デザインコース(通学)、芸術学コース(通信)卒業。野良芸術研究所「なごみLABO」主宰。なごみ農園の息子。京都造形芸術大学通信教育部非常勤講師。祖母、父、母、妻、娘、息子との7人家族で実家(母の田舎)に暮らす。

なごみLABO http://labo.nagomifarm.jp/
ナゴミカル http://www.nagomicul.com/
仁城亮彦著『農にデザインされる』 http://bccks.jp/bcck/101690/info

松永大地
1981年生まれ。京阪神エルマガジン社『エルマガジン』編集部、京都造形芸術大学ギャラリーRAKUを経て、現在、成安造形大学勤務。編集、ライター。町のアーカイブユニット「朕朕朕」として、小冊子『2Oi壱』を制作。