アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

このページをシェア Twitter facebook
#86

“半径10キロ以内”で、ひとや建物、芸術をつなぐ
― 早川欣哉

(2020.01.12公開)

古民家びと2

アートで未来を再興するこどもを育むことを目指す「こども芸術の村」の副村長を務め、さらに東北の古民家の活用事例や運営する人々の取り組みを紹介するウェブサイト「古民家びと」を運営する、早川欣哉さん。京都造形芸術大学では教鞭を取り、建築家という一面もある。2009年からは宮城県仙台市を拠点に、ひとや建築、芸術など、さまざまな点と点を結びつける活動を行っている。東北に根ざした活動のなかで、見えてきたものはなんだろうか。

———まずは「こども芸術の村」の立ち上がりについて、教えてください。

立ち上がったのは東日本大震災から4年目の、2014年のことなんですね。当初は東北の子どもたちの心と身体の健康のため、芸術を通しての復興をしていこうという理由からスタートしました。同時に、将来芸術を手段として東北や日本を引っ張っていけるひとを育成しようというのが目的でした。「つくる、つどう、つなぐ」というコンセプトで始まったんです。
2018年度で「復興支援」でもあった第1期が終わり、今年からさらに5年続けようという話になっています。第2期の目的は大きく言うと「自立支援」。震災から8年経っていますが、インフラの部分で見るとまだまだ復興途上のエリアはあるんです。だけどそれは東北全体のなかでも沿岸部のような一部の地域で、そうじゃない地域の人々も多くいます。僕たちが「こども芸術の村」で対象にしている小学生のなかには、震災時にまだ生まれていない子もいて、その時小学校に入学した子どもは、今は中学3年生。始めた頃ワークショップに参加していた小学5年生の子たちは、もう大学生になっているんですよね。震災のことは過去のことで、次の未来に向かっている子どもたちも多いと感じる状況になっています。必要としているひともエリアもまだあるけど、いつまでも「復興」ではないよね、と。それは大きな変化ですよね。

———ワークショップ中、あえて「震災」をテーマに考えたり、振り返ったりするようなことはされていたのでしょうか。

例えば石巻の雄勝(おがつ)という地域は沿岸部にあり、今も工事が続いているエリアです。4年前より、そこの小学生と一緒に「ほってぇ皿」(*)をつくって販売体験するといった取り組みをしているんですね。そこに参加している子どもたちのなかには震災の記憶が残っている子もいるので、ものづくりをしながらポロっと話題に出ることはあります。だけどそうじゃない子どもたちは、純粋にものづくりが好きでやっています。震災を経験した子と、ほとんど記憶がない子や生まれていない子の間には、見えない線が引かれているんですね。
僕自身は、「こども芸術の村」の取り組みを、被災地だからっていう位置付けにはしたくなかったんですね。震災が起こったことはベースにはあるんだけど、子どもたちにおしつけたくはない、というスタンスでやっています。

ほってぇ皿1

ほってぇ皿2

———ワークショップの内容も、料理や陶芸に触れてみるなど、非常にバラエティに富んでいます。「東北」を切り口にこんなにたくさんのことができるのかという発見がありました。

そうなんです。僕は青森県弘前市で育ったんですが、ワークショップを通していろいろ東北についての発見がありましたね。知っているようで知らないってことが意外とあるんです。「こども芸術の村」の村長の松井利夫先生は僕にとってはメンターのような存在で、最初の3年間はとにかく面白いと思うことを全部やってアイデアを発散させようと、年間5、6本でいいところ156本もの数のワークショップもしたんです。松井先生の考えや、東北で得た新たな発見から僕自身もすごく影響を受けました。運営しているウェブサイト「古民家びと」も、そういったことから201911月にリニューアルしたところなんです。

こども芸術の村3

こども芸術の村4

東北の伝統工芸をつくる体験や、地産のものを素材にしたものづくりなど、子どもはもちろん大人にとっても新たな発見のあるワークショップが盛りだくさん

東北の伝統工芸をつくる体験や、地産のものを素材にしたものづくりなど、子どもはもちろん大人にとっても新たな発見のあるワークショップが盛りだくさん

———「古民家びと」ではリニューアル後、取り上げる対象を「全国」から「東北」に絞られていますね。そこに至るまでは、そのような変遷があったのでしょうか。

リニューアル後は「未発見の日本、東北」というコンセプトをつくりました。なかでもテーマを「旅」にして、東北の古民家とひとを巡る旅をすることを考えています。
僕は京都の大学で建築を勉強して、その後ロンドンに留学して、日本に戻ってきてからはサラリーマンになり、東京で自分の設計事務所を開業したんですね。妻とは京都の大学で知り合ったんですけど、ふたりで東京に住んでいて。東京は嫌いじゃないんだけど、仕事をする場所かなと思いました。彼女は九州の出身で、僕は東北だから、将来のことを考えると別の選択肢もあるんじゃないかと考えたんです。そんな経緯で、2009年に宮城県仙台市に移住したんですね。東北ならではのものってなんだろうとまわりを見渡した時、古民家がすごく魅力的に映ったんです。訪ねてみるとすでに古民家を活用して何か活動をしているひとがいて、それがまたすごいなと思いました。お話を伺うと面白いひとたちで、先駆的なことをされている。ちょうど10年前の話です。今「古民家」と聞くと大抵のひとがわかって、イメージも沸くんだけど、当時はまだピンとこない状況だったんですよ。もちろん活用するひとが出始めていたからゼロではないけど、一般的かと言うとそうでもない。そんな状況のなかで自分にできることは、応援することだなって。古民家を活用しているひとたちを取材して、紹介するような取り組みができないかと考えました。このウェブサイトが立ち上がったのは2011年ですが、それは本当に偶然なんです。

———20123年頃に「古民家」というワードがカフェなどを通して一般的になったように思います。認知度が上がり、活用するひとも増えているなかで早川さんにとってもなにか変化はありましたか。

若いひとが活用するケースが増えていますね。まだ検証できていないのではっきりとは言えないんですが、震災をきっかけに自分自身の暮らし方や、周りを見つめ直した方も多かったと思うんですね。「古民家びと」を立ち上げた時は、古民家を楽しむようなメディアもほとんどなかったんです。それが8年経ち、現在はたくさんありますよね。古民家オーナーさんをインタビューするものがあれば、古民家のお店を紹介するものもあるし、空き家対策のサービスをしているものもあります。自分の事業として宿屋をされている、とかね。自分はもともとウェブサイトも得意でやっているわけじゃないから、他のひとが書いたものを読んでいる方が楽しいなって思うようになったのも、変化の一つかもしれません。

———現在、不動産やコンサルティングなど、さまざまな視点で古民家を扱うビジネスも増えていますね。早川さんご自身は建築家ですが、そういった目線での取り組みもされていらっしゃるのでしょうか。

古民家を探したいというひとは多くいて、僕のもとにもメールがたくさんきます。ビジネスにして儲けられたらいいんでしょうが、得意じゃないのであんまりマネタイズができないんです(笑)。つい先日にはとある企業が宮城県の限界集落にある古民家を、100円もしくは100万円で売るサービスを行ったところ、何十件もの問い合わせがきたと話題になりました。求めているひともいるし、サービスを提供するひともいる。つまり選択肢が増えているということで、すごくいいなって思っているんですよ。そのなかで自分にできることは、「未発見の日本、東北」を取り上げていくことだな、と。ワークショップもそうで、誰かがやっているならそこに参加すればいい。儲かるらしいから自分たちもしよう、ではなく、すでにある他のひとのサービスに乗っかればいいというスタンスでいます。

———「古民家びと」の運営には、古民家を後世に残していきたいという使命感も強く含まれているのでしょうか。

「こんなお宝が地方にあるのか」っていう衝撃から始まっているので、残せるなら残していきたいとは思っています。お世話になっている仙台の古民家オーナーさんが、約40年間経営していたユースホステルを201910月いっぱいで閉館されたんです。フランス版の『ミシュラン』にも掲載されるような、知るひとぞ知る宿でした。そこで、空いた建物をどうするかをテーマにしたイベントを12月にするんです。古民家オーナーさんの話を聞きながら見学して、最後に座談会をしようと思っています。参加者から「こんな風に使ったらいいんじゃないですか?」と意見をもらい、ディスカッションができたらなと。そのぐらいしかできないんだけど、この建物を大事に思っているひとがいるということを、オーナーさんに伝えたいんです。もちろん参加者には古民家にまつわる過去と現在を見ていただいて、さらに次の未来についての話をしようと。僕はこうした取り組みを「時間旅行」と呼んでいて、古民家にまつわる過去、現在、未来をみんなで旅しましょうと謳っています。

「古民家びと」では、古民家オーナーのインタビューを掲載するほか、直接対話ができるイベントも行っている

「古民家びと」では、古民家オーナーのインタビューを掲載するほか、直接対話ができるイベントも行っている

———古民家の所有者、参加者の両者にとって未来へつながるきっかけとなりそうです。早川さんご自身としての、展望はいかがでしょうか。

展望は考えていなかったし、今考えてみてもないですね。僕の活動は目の前にある状況に寄り添っていくというか、その都度認識して、自分の手持ちのカードやスキル、つながりを組み合わせたり、うまく使ったりして何ができるのかってことだと思うんです。だから初めから目的を持って、逆算して今日を過ごすことはないですね。設計事務所としては「日々の営みを豊かにすること」をテーマにしていて、そこは変わらないと思います。自分のなかで、豊かさとは選択肢の多さだと位置付けています。建築の場合ならハウスメーカーもあってもいいし、古民家もあってもいい。豊かになるように、選択肢が増えるようにするにはどうすればいいのだろうということを、毎度考えながらやっていければと思います。発想がビジネスではなく、小商いなんです。これからも半径10キロぐらいで、いろいろとやっているようなイメージですね。

建築1

建築2

早川さんが手がけた建築。上から、FA秩父物流センター(2007) / FA本社ビル(2005) / 愛犬とすごす蔵王の別荘(2013)

早川さんが手がけた建築。上から、FA秩父物流センター(2007) / FA本社ビル(2005) / 愛犬とすごす蔵王の別荘(2013)

*ほってぇ皿……宮城県の北東部に位置する石巻市雄勝町は、ホタテやカキなど漁業が盛んな地域で、山では「雄勝石」が取れることでも有名。「ほってぇ皿」はホタテの殻をかたどり、雄勝石を原料につくられたもの。ホタテの「ほ」と、地域のなまり「てぇ」を組み合わせた。

2019.12.06
オンライン通話にてインタビュー

一級建築士事務所 早川建築研究所
https://hayakenken.jp/

古民家びと
https://cominka.jp/

こども芸術の村
http://av4c.jp/

顔写真

早川欣哉(はやかわ・きんや)

青森県弘前市育ち。1998年、京都工芸繊維大学大学院修了後、単身渡英。1999年、The Prince of Wales’s Institute of Architecture卒業。2003年、早川建築研究所を設立。建築を手掛かりに、「日々の営みを豊かにすること」をテーマに活動している。2011年、古民家オーナーズコミュニティ有限責任事業組合を設立。ウェブサイト「古民家びと」を企画・運営。2014年から、京都造形芸術大学の芸術教育支援事業「こども芸術の村」プロジェクトの副村長(現地責任者)として、東北のこども達に対する芸術教育にたずさわり、こども向けアートワークショップを企画・運営。


浪花朱音(なにわ・あかね)

1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学を卒業後、京都の編集プロダクションにて書籍や雑誌、フリーペーパーなどさまざまな媒体の編集・執筆に携わる。退職後は書店で働く傍らフリーランスの編集者・ライターとして独立。2017年より約3年のポーランド生活を経て帰国。現在はカルチャー系メディアでの執筆を中心に活動中。