(2016.09.05公開)
株式会社パレットの代表取締役である、長谷川雅啓さん。高校生のころ、偶然観たテレビ番組で文化財の修復について知り、北海道から上洛。大学入学を機に、保存・修復の門を叩いて以来、作品を後世に残すもののひとりとして仕事をしてきた。9年前に勤めていた会社から独立。より伴った責任感を抱え、日々国内外の文化財と向き合っているという長谷川さんに話をうかがった。
———現在代表を務められている会社について、教えてください。
弊社では、文化財や美術工芸品の保存・修復作業に必要な、材料や道具の製造と販売を行っています。神社仏閣のような、建造物としての文化財の保存・修復ではなく、美術品や、工芸品などを専門として、保存や修復作業のサポートをしています。
扱う商品は、国内外を問わず仕入れています。というのも、日本に古くからあった屏風や襖絵などは、和紙やのりなど、保存・修復に必要な素材が決まっていますが、現代の彫刻、油画、現代美術などは素材が多岐にわたります。その時々で必要なものが異なりますし、ヨーロッパなど海外の方が適したものがある場合も多いです。
また、従来の販売会社では、一般工業品のためロット数が大きく、最小購入がしにくいという問題もありました。実際に修復作業に必要なのは10gや100gと少量なのに、その何倍もの量を買わねばならない、というように。そういった状況から、必要な素材を適量で仕入れられるようにと、会社を立ち上げたのがはじまりです。
———資材や機材の仕入れは、どのように行われているのでしょうか。
いろんな国のカタログを参考に、案件によって必要な機材をリストアップしています。世界的に見ても、材料や機材をつくっているメーカーは多くないので、少し時間をかければ各国のカタログが揃うのです。カタログを読み、現場のひとと話したり問い合わせを受けたりして、使えそうなものを直感で選びます。まさに、セレクトショップをしているような感覚です。
長崎県美術館の建設の際には、修復室の準備から携わり、必要な機材を提案しました。修復室をつくろうという試みは、当時新しかったと思います。修復で使う機材は特殊なものが多いので、なかなか扱える会社がない状況なのですが、専門知識を生かして、必要な機材を細かく提案できたのは面白かったですね。
———そのように必要な資材や機材を提案する場合、クライアントは国内外と多岐にわたるようですね。なかでも印象深かった事例はなんでしょうか。
外務省の(独)国際協力機構が実施する、ODA(政府開発援助)の案件で、アルメニア共和国への文化無償協力に携わったことですね。アルメニアは、資金に乏しい、 開発途上国なのですが、美術品をたくさん所有していて、たくさんの博物館・美術館のある国です。そこでODAという仕組みを利用して、 日本国政府が必要な文化的資材を無償で提供しましょうと、外交の一環として、このような文化無償協力が行われているのです。
実際には、現地の要望を受け、必要な資材を調査するので、それだけでも4、5年はかかりました。私が直接現地調査を行うことはありませんが、調査団体の方と打ち合わせを重ねて、入札を経て必要とされる資材の多くは納入されました。クライアントが海外となると、最近ではテロの影響など、さまざまな要因で案件自体がなくなってしまうことも多いです。そんななか、時間はかかりましたが、無事に納入できたという意味でも、非常に充実感を得られました。
———さまざまな国やひとと仕事をする日々のなかで、何か実感することはありますか?
ヨーロッパやアメリカなどと比較すると、日本は先進国のなかでも文化や教育に対する予算や人員が少ないと感じます。文化財の保存・修復については文化庁がその予算を決めるのですが、多くは寺社など建造物の保存・修復費に当てられています。海外では、例えば教会建築の修復を専門とする大きな規模の会社があるなど、人員・予算が十分に充てられている国もあります。
また、この文化財保存・修復の業界自体が、保守的だと感じることもあります。そもそも文化財の保存・修復には、何十年も変質、変色しないことが求められるので、なかなか新しい技術が積極的に入ってきません。新しくする、きれいにする、という考え方ではなく、古いものは古いままで直して保存しましょうという流れがあるのです。例えば日本だと、侘び寂びの文化が重要視されていますよね。今ではお寺も茶色っぽく見えるものが多いですが、もともとは金色だったり、真っ赤だったりします。それから数百年もの時間が経つことで、木の色が見え、それに良さを感じているのが日本の価値観です。その意識を急に変えることはできませんし、今の姿のまま保持するという考えでもいいと思います。ただ、「後の世によりよいものができるでしょう」「よりよい修復方法ができるでしょう」と、先送りしているようにも見受けられます。ある程度革新的なことをせず放っておくと、文化財は確実になくなってしまう。でも、過度な修復をしてもなくなってしまう可能性がある。修復とは、100年後に美しさが保たれていることを目指す、つまり100年後に価値が決まる分野なので。当時修復したひとは、結果を見ることができません。それゆえに判断は非常に難しいですね。
———後世に評価される仕事なのですね。現在は、会社の代表としてそのような仕事に携わられていますが、その分責任を感じることも多いのでは?
いえ、私の場合、現場で修復作業をしているわけではないので、100年先までの覚悟はできていないかもしれません(笑)。ただ、自分のやりたいことをやろうと思い、独立した経緯もあるので、自分の仕事に対し、責任を背負えるようにしたいと思っています。
一時期は6人ぐらいのスタッフがいましたが、現在は自分の手が届く範囲で、ということで、私を含め3人になりました。専門知識を持って仕入れをするのは私のみで、あとのスタッフには各種手続きや、ウェブの管理、経理などをお願いしながら運営しています。そのため実際には、フリーランスのような形態です。ただ、取引先が行政の場合が多いので、法人にしておかないと取引しづらいこともあり、組織化しています。仏像、壁画、屏風など分野によって必要な知識が異なるので、プロジェクトごとにひとを集めて行っています。それぞれの専門知識をもつ大きなチームをつくるのもいいと思うのですが、身動きがとれなくなったり、自分に適していない仕事を受けたり、ということが起こりうるので、あまり自分はやりたくないなと。3人以上の組織だと、リスクが分散されてしまうので、多少のリスクを自分で負ってでも、これはと思える仕事をしたいと思っています。
———文化財の保存・修復を担うひとりとして、今後どのような展望を考えていますか。
今あるものが将来なくなる可能性があり、そのために保存や修復の必要性がある、ということをもっと知ってもらえたらと思っています。例えば日本にも、美術品や工芸品のコレクターはたくさんいますが、とにかく集めるのみで、保持することにまで意識がいっていません。個人で所有されていた作品が、実は重要なものだった場合もあります。対象が文化財となると、性質上、税金や各種の補助金で行われる仕事がほとんどですが、観光やそのほかの産業と協業して、個人や民間の資金でも、保存や修復の事業が活発に行われることにつながれば、と考えています。保存・修復の分野を、きちんと産業としても成り立つようにすることが、今目指していることです。
取材・文 浪花朱音
2016.08.01 電話にてインタビュー
長谷川雅啓(はせがわ・まさひろ)
1977年北海道生まれ。保存・修復用品の製造販売を行う、株式会社パレット代表取締役。2002年、京都造形芸術大学大学院を修了。2006年までの間、京都市内の絵画修復工房に勤務。2006年に、会社法が改正されたのを機会に独立、現在に至る。主な業務に、ODA(政府開発援助)関連の調達など。文化財保存修復学会、日本文化財科学会、文化財保存支援機構、情報保存研究会の会員。
浪花朱音(なにわ・あかね)
1992年鳥取県生まれ。京都造形芸術大学卒業。京都の編集プロダクションにて、書籍の編集などに携わったのち、現在はフリーランスで編集・執筆を行う。「京都岡崎 蔦屋書店」にてコンシェルジュも担当。