(2025.03.09公開)
7月の京都を彩る祇園祭。なかでも絢爛豪華な山鉾(註1)がまちを練り歩く山鉾巡行(註2)は祭のハイライトだ。京都在住の洋画家・杉森康彦さんもそんな眩い山鉾に魅せられた一人。杉森さんは現在、衹園祭の山鉾を1年に1基づつ描いていく壮大な取り組み、「衹園祭34年計画」を進行中だ。2035年の計画達成を目指し日々キャンバスに向かう杉森さんだが、近年では山鉾の他にも、京都の辻(交差点)や鴨川にかかる橋といった京都の風景にも目を向け、実験的な技法や構図を取り入た独自の風景画を次々と発表している。2002年、30歳の夜に訪れた山鉾との偶然の出会いは、いかにして後の人生を大きく変える壮大な計画となっていったのだろう。そして、会社員をしながら年間10本以上の展示をこなす原動力はどこからきているのだろうか? 杉森さんにこれまでの絵を振り返ってもらいながら聞いていく。
(註1)
形状により「○○鉾(ほこ)」「○○山(やま)」と呼ばれる2種類の山車の総称。
(註2)
前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)に分かれ、各期間、合計34基(2025年3月現在)の山鉾が四条通から河原町通を練り歩く。「動く美術館」と称される山鉾巡行は、2009年にはユネスコ無形文化遺産にも登録された。

《鶏鉾》
2002年
F100号
キャンバス、油彩
第50回光陽展京都準本展京都府知事賞受賞
———まずは、杉森さんの画業の中心的な取り組みである「衹園祭34年計画」から伺っていきます。2002年に第一作を発表されてから続くこの計画ですが、始められたきっかけはなんだったのでしょう。
もともと祇園祭に対する熱い思いがあったらかっこいいんですけれど、実はそうではありません(笑)。京都市美術館で絵を展示することに憧れていて、公募団体の光陽会で入選すれば展示できることを知り、あちこち写真を撮りながら油絵の題材を探していたんです。そんな時に、友人と飲んだ帰り道に祇園祭の山鉾が立っていて、提灯が綺麗で「これは油絵になるな」と思ったのが山鉾との最初の出会いでした。その時の山鉾が「鶏鉾」です。その時はこれが鶏鉾だということも知らないくらいで、撮った写真に写っていた暖簾の字から場所を調べてなんの山鉾だったかを知りました。油絵を描くことも、祇園祭や京都の風景を描くことも全てはその出会いが始まりです。
2024年の時点で24基描いていて、今描いているのが25基目。だから2035年には完成の予定なんですけれど、噂ではこれからもう1基増えるんじゃないかという話も聞いていて。祇園祭は長い歴史の中で、乱などで巡行がなくなった山鉾というのがいくつもあって、僕が山鉾を描き始めた頃は32基で32年計画だったんですけれど、途中で2基が復活して、僕の計画も34年に伸びました。そもそも応仁の乱以前は58基もあったそうなので、最大58年計画になる可能性がありますね(笑)。

「衹園祭34年計画」の絵はすべてF100号というサイズで、長辺162センチもの迫力あるキャンバスが自宅の駐車場にまで並ぶ。会社員をしながら絵を描く杉森さんは、仕事から帰宅後なるべく早い時間に就寝し、深夜に起床して朝まで絵を描く生活を20年以上続けている

2025年の夏に向けて鋭意製作中の新作《浄妙山》

《岩戸山》
2006年
F100号
キャンバス、油彩
———そう聞くと、《鶏鉾》は山鉾との偶然の出会いの感じがよく出ているような。その偶然の出会いが、どのように壮大な計画となっていったのですか。
2006年発表の《岩戸山》は契機となった作品だと思います。当時、祇園祭の宵山(註3)に合わせてギャラリーで展示をしたいと思って友人たちに話していたら、岩戸山町の京都小泉という老舗呉服問屋さんを紹介していただけて、宵山の期間に着物の催事をしているからと、店舗の玄関に絵を展示していただけることになりました。ちょうど岩戸山を描いた年で、その山鉾町(註4)に絵を飾っていただける偶然に驚いたことを今も覚えています。このことを機会に、京都小泉さんには毎年絵を飾っていただけるようになり、ちょうどよい目標と、続けないといけないなという責任感ができて、毎年必ず新しい山鉾の絵を描くようになりました。
(註3)
前祭と後祭のそれぞれ3日前・前々日・前日に行われる前夜祭のようなもの。
(註4)
各山鉾の管理運営を担うまち。

京都小泉(株)での2024年度展示風景
———《岩戸山》は画面いっぱいに広がる温かい光が印象的な作品ですよね。
「夏の暑さが思い出されてかなわへんわ」と言われたりもするんですけれどね。最初の頃は人がいると写真も撮りにくいから、早朝や深夜、人がいない頃に行って山鉾の写真を撮っていたんですけれど、徐々にお祭りの賑やかさも表現していきたいということで、手前の浴衣を着てる人は知人なんですけれど、浴衣で絵になるなということでモデルになってもらってできた作品です。
絵を観てくれた人たちと色々と会話をしていると、どうも僕の絵からは光を感じてくれる方が多いみたいで。「どうやら僕は光を描いているのかな」とだんだんわかってきました。特に暮れの黄色みがかった光が好きなんですけれど、まちの風景を描くにしても、建物よりも、そこにどんな光が当たっているかに興味がある。

《放下鉾》
2015年
F100号
キャンバス、油彩
–
「放下鉾」の巡行当日の朝を描いた作品。単色を塗り重ねていた《岩戸山》の頃と比べ、たくさんの色を混ぜた低い彩度で朝の空気を表した

《伯牙山》
2023年
F100号
キャンバス、油彩、雲母
光陽展会員奨励賞受賞
———《放下鉾》や、近作の《伯牙山》では、《岩戸山》とはまた違う光を感じられますね。
「伯牙山」は、かつて伯牙という琴の名手が、琴を聴いてくれていた友人、鍾子期が亡くなった悲しみのあまり琴の絃を断った、という中国の故事を背景にもつ山なのですが、伯牙の悲しみを表現するためには雨かな、と思いました。昔撮った写真にものすごく雨が降った年のものがあったので、その時の情景を組み合わせています。大学の先生からも「画家は雨の絵が描けるようにならないといけない」と言われて、それならよし描いてやるかということで。こんな絵を描こうかな、と思うのは人と喋っている時が多いですよね。

《久世駒形稚児》
2018年
F100号
キャンバス、油彩、雲母
小林美術館蔵
–
久世駒形稚児(くぜこまがたちご)を描いた作品。久世駒形稚児とは、神の化身とされ、馬に乗り中御座神輿(なかござみこし:祇園祭の3基ある神輿のうちの1基)を先導する稚児。
「生きているかぎりは毎年祇園祭に関連した絵を描いていこうと、山鉾を全て描き終えたあとのことを考え、番外編として様々な神事を描いたシリーズの第一号の絵です」
———毎年の山鉾の絵を進めていく中で、2008年に京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の通信教育部に入学されましたが、どういったきっかけがあったのでしょうか。大学での印象的な学びについて教えてください。
油絵は完全に我流で始めたので、祇園祭の絵を描き始めて6年目ぐらいに行き詰りを感じていたんです。ギャラリーで通信教育部の案内ハガキと出会って、社会人のおじさんでも憧れの芸大生に! と入学を決断しました。もちろん大学なので学術的なこと、歴史や技術を学ばせていただいたのですが、最終的には「自由に描いていい」と教えていただいたように思います。様々な立場や年齢の学生の皆さんからも情熱を学びました。自分にない引き出しをいろんな方にあけてもらいましたし、絵を描く仲間ができたことが本当に嬉しかったですね。今も毎年1回、当時の仲間と集まって合同展をしています。大学院を修了してからは、より社会との関わりを意識しながら描くようになりました。

《祇園祭洛中洛外図》
2014年
F100号
キャンバス、油彩
京都造形芸術大学通信教育部美術科洋画コース卒業制作
京都芸術高等学校蔵
–
担当教授との面談で「全ての山鉾が描けたら、屏風絵の洛中洛外図の中に全ての山鉾を描いた作品を制作予定です」と言ったところ、「ぜひこの機会に」と勧められて描いた卒業制作。「羽目を外せるのも芸大生の醍醐味かなと思い、かつて描いていたイラストのテイストを取り入れた作品です。2018年に京都芸術高等学校で行った展示の際に寄贈しました」

《三条葛野大路》
2019年
M120号
キャンバス、油彩、雲母、箔
光陽展会員奨励賞受賞
小林美術館収蔵
———近年では、様々な京都の風景を描いたシリーズにも積極的に取り組まれていますよね。
大学で京都に対する知識もたくさんついて、祇園祭だけはなくていろんな京都の絵を描きたいなと思いました。《三条葛野大路》は、京都の独特の通り名に注目して、京都の辻(交差点)を描くシリーズの作品です。昔通っていた場所だったり、昔は阪急電車の運転手になるのが夢だったな、なんてことを考えながらあちこち歩き回って、これはたまたまいい写真が撮れたんですけれど。実はこの絵の下には元々全く違う絵があって、上から色を塗り重ねていって出来た作品なんです。
———下に違う絵が? どうしてそのようにされたのですか。
公募展は自分の実験をする場として、これまでやっていなかったことをしようと思いまして。元の絵は光陽会に出して入選して返ってきた絵で、昔の自分なら、せっかく入選したんだからと大事に取っておいたと思うんですけれど。昔の絵にX線を当ててみたら下地に別の絵があったという話がたまにありますよね。著名な画家でもそんなことをしているんだから、自分の絵がどうなろうが日本の芸術界は何も変わらないだろう、よっしゃ消してやるかと思って(笑)。でも一筆目はすごく勇気がいりましたよ。これも30年くらいたくさん絵を描いてきたからできたことでしょうか。
油絵は透明性があるので、この絵も下の絵は全く見えないにしてもどこかに下地の絵が活きているのかなと思いますけれど。おかげさまでこの作品は賞を取れました。思い切ったことをしたらいろんな想いが筆に入り込むのかもしれませんね。

《北大路大橋西詰》
2020年
P4号
キャンバス、油彩、雲母
———近年ではより、塗り、構図、画材の選定に至るまでかなり実験的なことをされていますよね。
僕の場合はずっと賞がもらえないから変化していったのかもしれないですが、毎年10回以上の展示をこなすため、お客様にとっても自分自身にとっても飽きないように新しい描き方に挑戦するようにしています。
祇園祭も初期の儀礼が頑に守り続けられてきたのではなく、一度無くなった後祭りの巡行が再び行われるようになった歴史があるように(註5)、時代によって変化してきました。時代に合わせていく柔軟性があったからこそ、現在も価値が保たれているのだと思います。僕にとっても変わらないことのほうがリスクに思えました。
「これどうやって描いているんだろう」という評価のされ方もあるんだな、という気づきから生まれた《北大路橋西詰》は、自分なりの描き方を模索していた頃の作品で、特にうまくいったと思えるものです。キャンバスに乗せたら弾くくらい絵の具を薄く溶いて、面相筆という日本画や書で使う先の細い筆を使って、色が乗りにくい状態をあえてつくって塗り重ねていきました。絵の具が弾かれることで生まれる色の乗り方の偶然性を利用して、軽いけれども、油絵の濃厚さもあるようなタッチを目指しました。展示をしたとき、どうやって描いているかと質問をもらえたのは嬉しかったですね。
(註5)
合同化されていた前祭、後祭が2014年に、およそ50年ぶりに復活。

《賀茂大橋(桐一葉)》
2019年
WF4号
キャンバス、油彩、雲母
京都造形芸術大学通信教育課程卒業生・修了生全国公募展 優秀賞と特別賞を同時受賞
–
鴨川にかかる橋を描くシリーズ。「小さくても力のある絵を目指して描いたものです。大学関係の展示で初めて賞をもらった思い出深い絵です」

《七条東大路阿弥陀ヶ峰》
2024年
WF4号
キャンバス、油彩、水晶末、雲母
《七条東大路阿弥陀ヶ峰》も、他では見ないような変わったことができないかと模索した結果生まれた縦構図の絵で、キャンバスのWF4号という規定サイズがあるのですが、それを縦にしているんです。元々、鴨川にかかる橋を描いたシリーズの《賀茂大橋(桐一葉)》という作品があり、この横に長いサイズを縦にしたらどうなるのかな、油絵でも掛軸のように描いたらどうだろう、という仲間内での会話から縦構図のアイデアは生まれました。
ただ、縦に長い構図は最初は苦労しました。やっぱり構図が決めにくいですからね。どんな絵を描いたら違和感なくいくのかなと、写真を撮る際も普段よりずっと頭を使います。絵はそれなりに苦労して出来上がるものですが、できればみんな大変なことはしたくないですよね。ただ、大変なことにほど大切なことが、みんながしないことにチャンスがあるなと思えた作品です。

自宅階段にまで描いた絵がずらり。「昔は祇園祭の絵だけを描いていればよかったんですけれど、最近は展示が年間10回くらいあって、他の色々な絵の合間に祇園祭の絵を描くように変化してきました」

《五条大橋》
2024年
WF3号
キャンバス、油彩、水晶末、雲母
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「逆光」をテーマに、負の意味で捉えられることも多い現象の中にある美意識を見出す。縦構図を採用し、画材には日本画で使われる水晶末や雲母を使用し、新たなマチエールを追求。杉森さんの実験的な取り組みが会する最新作
———杉森さんの表現は、他者との交流を機に、常にその可能性が開かれ続けていますよね。
何が絵を描く楽しみにつながっているかといったら、僕の場合はやっぱり人とのコミュニケーションなんですよ。僕はただ絵だけが純粋に好きで、人の評価も賞もいらないというタイプでは全くなくて、人と関わっていけることが絵を描く意味の半分になっていると思います。アイデアもそこから生まれますし、創作の原動力にもなります。自分の絵について話をしてもらおうとなったら、やっぱりいい絵を描いていかないといけないし、賞もとっていかないといけない。毎年観てもらうなら同じ絵ばかりだったら飽きるでしょうしね。僕の絵がいいかどうか、その基準は皆さんに教えてもらわないとわからないんです。風景だけではなくて、動物の絵を人が褒めてくれたら素直に「嬉しいな」と動物の絵もたくさん描きますし(笑)。

「杉森康彦 祇園祭33年計画 山鉾17基完成記念中間発表展」
2018年7月10日~16日
京都芸術高等学校 清明館
–
タイトルが「33年」となっているのは当時の山鉾の数によるもの。2022年、196年ぶりに「鷹山」が巡行に復活し現在34基となった
———杉森さんの絵はそうした縁の中でこそ生まれ、故に独自の魅力をもっているのですね。これから描かれていく新しい風景を楽しみにしています。最後に、今後の展望をお聞きします。
祇園祭の絵については、山鉾の絵が半分まで完成した時に、母校の京都芸術高等学校の理事長のご好意で記念展をさせていただきました。次は「全部完成展」ですが、京都芸術大学のGalerie Aubeで出来たら嬉しいですね。以前に上田篤先生から「完成したら大学で開催しよう」と言っていただけたので、先生が忘れないように定期的に先生と会える機会をつくるのが今のミッションです(笑)。
絵に対する「いい」とか「美しい」という価値観は、時代と人によってどんどん変わっていくものです。大学でも技法を学ぶことや研究はできますが、こうすれば必ずいい絵が描ける、という永久普遍の究極的な技法はどこにもありません。確約できる物などなにも無い中で、絵を描くことは無限に先の見えないマラソンのようなものなんだけれど、それでも走っていける原動力はなんだろうと考えます。
今のところ「綺麗」という言葉はみんなが共通して認識できる価値観だけれども、これから先に、もっと綺麗だということを表す単語が現れることもあると思います。見た瞬間に目の瞳孔が開いて、スーッと息を吸って、何かわからないけれどいいと思えるような、観てくれた人に新しい言葉が生まれるような、そんな絵がいつか描けたらいいですね。新しい美意識や心情を創造することも芸術に関わる者の楽しみであり醍醐味で、芸術大学で学んだ者の社会に対する役割のひとつだと思います。
取材・文 辻 諒平
2025.02.11 オンライン通話にてインタビュー
杉森康彦(すぎもり・やすひこ)
1972年京都生まれ。洋画家。関西を中心に活動。
京都造形芸術大学通信制大学院美術・工芸領域洋画分野修了。京都芸術高等学校評議員。
個人HP
http://www.eonet.ne.jp/~iroiroyasuhiko/
主な活動
2002
祇園祭32年計画開始
光陽展京都準本展京都府知事賞受賞
2007
京都小泉(株)「祇園祭32年計画展」
2016
京都造形芸術大学通信制大学院美術・工芸領域洋画分野修了
2017
東京FM「ホンダスマイルミッション」出演
関西テレビ「よーいドン!」となりの人間国宝さん「祇園祭34年計画」出演
2018
京都芸術高等学校「杉森康彦 祇園祭33年計画 山鉾17基完成記念中間発表展」
2019
京都造形芸術大学通信教育課程卒業生・修了生全国公募展 優秀賞、特別賞受賞
2020
光陽展会員奨励賞受賞
2024
高槻阪急スクエアアートギャラリー個展
常設展示
2022年より、愛知県日間賀島「日間賀観光ホテル」にて、ロビー階で椿と島の絵を、3階では京都の絵を約20点展示していただいております。
ライター|辻 諒平(つじ・りょうへい)
アネモメトリ編集員・ライター。美術展の広報物や図録の編集・デザインも行う。主な仕事に「公開制作66 高山陽介」(府中市美術館)、写真集『江成常夫コレクションVol.6 原爆 ヒロシマ・ナガサキ』(相模原市民ギャラリー)、「コスモ・カオス–混沌と秩序 現代ブラジル写真の新たな展開」(女子美アートミュージアム)など。