アートとともにひと、もの、風土の新しいかたちをさぐる

アネモメトリ -風の手帖-

風を知るひと 自分の仕事は自分でつくる。日本全国に見る情熱ある開拓者を探して。

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#16

“伝える”を支える
― 長岡裕己

(2014.03.05公開)

「言語聴覚士」という職業を耳にしたことがあるだろうか。子どもの頃から本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった長岡裕己さんは、芸術学を学び、卒業目前にこの職業の存在を知った。浪人を経て国家資格を取得したのち、現在は鳥取県伯耆町にある大山(だいせん)リハビリテーション病院に勤務している。「話す・聞く・食べる・飲む」という根源的な機能のサポートを行う毎日の中で、患者たちとどう向き合っているのだろうか。

——長岡さんは現在、鳥取県伯耆町の大山リハビリテーション病院というところで働いておられるのですね。

大山とは名前の通り、鳥取県にそびえる中国地方最高峰の山なのですが、その山を少し上がったところにある病院で「言語聴覚士」として働いています。近くに鳥取県出身の写真家・植田正治さんの写真美術館があり、緑に囲まれたのどかな環境に位置する職場です。

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大山リハビリテーション病院(鳥取県西伯郡伯耆町)近くの風景

——「言語聴覚士」とはどのような職業なのか、教えてください。

「聞くこと」「話すこと」といったコミュニケーション、あるいは「食べること」「飲むこと」といった摂食・嚥下(えんげ)に障害のある乳児から高齢者までの様々な年齢の方々に、評価や指導などの支援を行う専門職です。リハビリテーションの世界では、比較的新しい分野だといえますね。
対象となる患者さんは事故や病気、加齢でそれらの機能が低下した方も、先天的に障害を持って生まれた方もいます。僕の働いている病院では、脳卒中や認知症、廃用症候群の方が多く、割合としては高齢者の方が多いです。

*廃用症候群……筋肉を使わなくなることで発話や摂食嚥下の機能が低下する病気。

——具体的にはどういった業務をされているのですか。

おおまかに言えば、患者さんの状況や状態に合わせて、検査・評価を行い、改善に向けて訓練するという仕事です。今の病院では回復期から維持期、それから介護保険の方も担当させていただいています。例えば回復期では約半年間という入院期限があって、その中で毎日1時間、機能訓練を行います。どうしても言葉が出にくい患者さんの場合、訴えたい思いをじっくりと汲み取って、代わりの伝達手段を探す。ジェスチャーも、筆談もそうです。何を訴えたいのかわからないときには、例えばトイレの絵を描いてみて、トイレに行きたいのですか?と訊いてみる。ひとりひとりに果たしてどういう方法が適切なのか、工夫して見つけてゆくのが僕の役割です。

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大山リハビリテーション病院の外観

——京都造形芸術大学時代は、芸術学を学んでいたと伺いました。

島根県の小さな田舎のまちで育って地元の高校を卒業して、京都の大学に来ました。入学した当初は、僕が専攻していた美術史やフィールドワークを勉強する芸術学コースもまだ少人数でしたね。もともと絵を描くことが好きでこの大学に入ったのですが、通ううちに、自分で表現するより、自分の表現したいものをもっと的確に表現している人が世の中にたくさんいることに気付いたんです。それがすごく新鮮で、面白かったんですね。それからそういう人たちをもっと知って、それをまた人に伝えてゆく仕事ができたら、と考えるようになりました。

——長岡さんが言語聴覚士の資格を取られるまでには、どんな道のりがあったのでしょうか。

実は大学を卒業する頃、地元島根県の出版社などを受けていたのですが、就職先がなかなか決まりませんでした。自分の進路に迷う毎日の中である日、福祉関係の仕事をしていた母親が医療系の専門学校のパンフレットを持ってきてくれたんです。小さい頃から読書や言葉にまつわることに興味はありましたが、言語聴覚士という職業があることはそこで初めて知りました。話す・聞く・食べる・飲むという行為に対して特別な意識もなかった。だからこそ面白いな、やってみたいなと思ったんです。でも専門学校に入学して、今まで学んできた芸術という括りに限定されるものではなく、「人にものを伝える」という、根源的な部分に関われる道の先に「言語聴覚士」があるのだと教えていただき、具体的に憧れを持つようになりました。
言語聴覚士になるには年に1度の国家試験に通る必要があるのですが、僕は実際、資格を取得するまでに7年かかったんです。その期間はフリーターや、志望に近い介護職をしながら、休日に試験勉強をしていました。大変は大変だったけれど、あのときは自分を見つめ直す機会でもありましたね。3、4年目、30歳を目前にして友人たちが仕事で役職についたり、家庭を持ち始めたりすると、少し不安なところもありましたが、試験に対してだんだんコツも掴めてきました。何度試験に通らなくても、どうしても言語聴覚士になりたいという意志が強かった。ここは、僕の頑固な性格によるものなのかもしれません。

——実際に患者さんと接していて、うれしいと感じるのはどんなときですか。

僕はどの患者さんでも、まずその人の生まれた頃から生い立ちの話を細かく尋ねるようにしています。例えば10代で海の向こうの満州に渡って、働いて、そのまま戦争に突入して……と、そんな人生を歩んできた人が今目の前に座って話してくれているんだと思うと、本当に恵まれた仕事をしているなと感じますね。それに毎日会っていると、たぶんご家族も知らないだろう話をしてくださることがあって。

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長岡さんが勤務する言語療法室

——きっと不思議な関係性なのでしょうね。家族には話せないことが、長岡さんには話せる。

そうですね。家族でもない、他人でもない、ほどよい立場なのだと思います。それに、そういう話をしていただけるように関係性を築いてゆくのも僕の役割です。患者さんひとりひとりに、今まで何十年という人生があり、コミュニケーションの形があるわけですから。好きな食べ物ひとつでも、ストーリーがあるんです。
ただ、やっぱり症状によっては自分の状況判断も難しい患者さんもいて、こちらが話す言葉も聞く言葉も理解できない。僕が話しかけても一方通行で、どうすればいいだろうと模索しながら1時間を過ごすことだってあります。ですが、それでも毎日続けることでほんの少しずつでも変化がわかってゆくんです。なかなか伝わらなかったことが、これだったら今伝わったなと感触を得られる瞬間−−今まで紙に書いて何を見せても反応しなかった人から「わあ」という表情を見せていただいたり、「ありがとう」と言っていただけたり−−が、この仕事のいちばん楽しいところですね。本当に、1日1日の積み重ねだと思っています。

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絵や文字を使ってコミュニケーションをとる

——なるほど。患者さんとの信頼関係を築くために大切にしていることは何ですか。

今の障害の部分だけを見るのではなく、その人自身を捉えるということ。それまでの人生の背景をしっかりと聞いた上で、訓練やコミュニケーションに役立ててゆくんです。介護職をしていたときもそうでしたが、この仕事は比較的、ご年配の方など人生の最後のほうに関わらせていただくことが多いです。だからこそ何か手助けできることはないかと考えながら日々を過ごしていますね。そういう意味ではフリーターをしたり介護の仕事をしたりした経験も大切にしています。いろいろな世界を知っているほうが、引き出しが豊かだから。

——長岡さんも、大学時代が芸術作品や作家の考えを人に“伝える”勉強だったとすれば、こういう道の進み方はとても自然だなと思いました。

確かにその点では、大学で学んでいたことと、今やっている仕事に、それまでの差はないです。反対に全く違う点を挙げるとすれば、この仕事は自分の感情や思いを表現するものではない、というところ。いちばんは患者さんの気持ちですからね。それでも芸術だから、医療だからというふうに分けるのではなくて、僕の中では根っこの部分は変わらず、ずっと地続きにある気がしています。

——最後に、これから挑戦してみたいことはありますか。

大学を卒業したあとは、地元である山陰地方で生きたいという気持ちがありました。ここの病院で患者さんといると、おのずと地元の暮らしや文化の話が出てくるんですよね。土地の名前も方言も。僕がそれをわかるというのは、患者さんにとっても安心できる部分があると思います。純粋にこの人はあの地域で育ってきたのかと、人生を想像しやすい。特に大山の近くは農業や林業に携わってきた方が多いので、とても勉強になります。今後もそうやって地域に密着した形で貢献していければと思います。
僕自身は言語聴覚士として働き始めてまだ3年の駆け出しなので、まず、ひとりひとりの患者さんとしっかり向き合える人になりたいです。せっかく美術の学校からこちら側に来ている人間なので、今後は芸術と医療が交わるような場作りができれば面白いですね。

インタビュー、文 : 山脇益美
2013年12月23日 電話にて取材

profile

長岡裕己(ながおか・ゆうき)
1980年島根県平田市(現出雲市)生まれ。2003年京都造形芸術大学芸術学科芸術学コース卒業後、松江医療福祉専門学校(現松江総合医療専門学校)言語聴覚士科に入学。有限会社伊野本陣(小規模多機能型居宅介護施設もくせい)にて介護の仕事をしながら言語聴覚士の勉強を続け、2011年言語聴覚士国家試験合格。同年8月より大山リハビリテーション病院に入社し、現在に至る。

山脇益美(やまわき・ますみ)
1989年京都府南丹市生まれ。2012年京都造形芸術大学クリエイティブ・ライティングコース卒業。今までのおもな活動に京都芸術センター通信『明倫art』ダンスレビュー、京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」WEB特集ページ、「混浴温泉世界」「国東半島アートプロジェクト」運営補助、詩集制作など。