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伝統に胡座をかかない。京町家を通して京都の暮らしを守り抜く建築家
― 冨家裕久

(2022.05.08公開)

京都市内で建築設計事務所を営まれている冨家裕久(とみいえ・ひろひさ)さんは、長年にわたり京町家の改修や保全活動に力を注いでいる。伝統産業である西陣織を生業とする家に生まれ、織物業界の栄光と衰退を目の当たりにしてきた冨家さんにとって、京町家が“伝統建築”と近年呼ばれるようになったことに危機感を抱いている。京町家を通して、京都で培われた暮らしを守ろうとする冨家さんの日々のご活動について詳しくお話を伺った。

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———まず伺いたいのは、京町家とはいわゆる商家ということになるのでしょうか。

住みながら商売をしていく職住兼業の建物ですね。京都市内にある町家を京町家と呼んでおりますが、京都でも上京区と下京区とでは少し特徴が異なりまして。祇園祭などでよく取り上げられる下京区は、歴史的に小売業が栄えた地区になりますので商業的な意匠が色濃く出ています。一方の上京区では、織物などの製造業が盛んだったので建物の意匠に店舗的な要素が少ないです。現存する町家の多くは、明治初期以降に建てられたものが多いですが、上京区の方には幕末の戦乱を免れた京町家もいくつか残っていますね。今私が住んでいる住居も、もともと祖母の家だった三軒長屋の京町家を改修したものなんです

———子供の頃から京町家に親しまれてきたんですね。建築家として京町家に携わるようになったのはいつ頃からでしょうか?

以前勤めていた設計事務所が飲食店を手掛ける会社だったので、独立後程なくは店舗設計をメインに仕事をしていたんです、ただ、独り立ちして仕事を続けていくうちに、本来やりたかったことをやりたいという思いが次第に募るようになってきました。実家の近所に修学院離宮と呼ばれる離宮があり、子供の頃に見た離宮の景観とその景観に溶け込む古い建物がずっと心に残ってまして。いつか修学院離宮のようなものを作る仕事を手掛けてみたいという思いが漠然とあったんです。京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の環境デザイン学科に入ったのも、建築と景観デザインが一つの学科としてまとまっていることに魅力を感じたからなんです。

柏野の町家群

柏野の町家群

それと実家が西陣織の帯地作りを家業としているんですが、私が子供だった頃は非常に景気のいい時代で、伝統産業に携わっている我が家は鼻高々みたいな自尊心もありましたし、“伝統”という言葉も好きやったんです。でも、時が経つにつれ着物の需要が減っていき、市場は最盛期の10分の1程に縮小してしまいました。伝統に胡座をかいてしまって、いつの間にか“伝統”とは前進することをやめ伝統を守る」という意味に置き換えられてしまっていたんです。そんな折、今でも人が住み、暮らしを営んでいる京町家が、伝統建築と呼ばれるようになり始めたんですね。実際、祖母の住まいの近くの千本通に商店街があって、そこからの一条通は京町家が並ぶ街並みで、私が幼い頃は千本通のアーケードから祖母の家まで、雨の日でも軒先の屋根の下を通れば、雨に濡れずに帰れるぐらい街並みが統一されていたのですが、私が建築家として仕事を始めた頃には、見事に街並みが崩れてしまって。このままでは伝統産業と言われて衰退していった帯地のように、京町家も失われていってしまうのではないかという危機感を感じたんです。そこからですね。京町家の建築知識を一から学んで、京町家の改修や街並みの保全活動に軸足を置くようになりました。今では仕事というよりもライフワークに近いです。

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———あらためて京町家の魅力を教えてください。

京町家の魅力というのは、決して意匠的な部分だけではないんです。京町家の一番の魅力は、京都にある暮らしそのものなんです。全国各地で昔ながらの営みが失われていく中、京町家ではいまだに京都が代々培ってきた生活習慣を絶やさずに人々が暮らしているんですね。町家での暮らしとは一言で言うのは難しいですが、床の間や建具などそれぞれ習慣があります。また街の暮らしの中で、人と人との結びつきが強く、コミュニティが濃いです。お互いに監視し合っていると皮肉を言われたりもしますが(笑)。近所の人が目配りしてくれ子供達をコミュニティ全体で見守ってくれてるんです。また京町家の街並みは路地が入り組み、道幅も狭いため、消防車が入ってこれず、防災面で弱いと言われがちなんですが、逆を言えば車が通行しないため、子供達が家の前で自由に遊べます。都市部では珍しくなった地域住民で組織する消防団もあります。昔ながらの街並みの中に、住民同士が助け合うコミュニティが根付いているのが京町家の魅力なんですよね。設計の仕事から始まったことなんですけど、京町家を守る活動をしているのは、京町家のある街並みや暮らしを守りたいからなんです。

———冨家さんが改修を手掛けられた京町家には、現代的に設えた住宅や飲食店も多く見受けられます。京町家の建築様式と現代のニーズをどのように折り合わせるのですか?

例えば店舗設計において、どんな建物であっても商売の効率化が最優先される理屈が働きます。一方で木造建築は、細かく部屋が分かれて柱や壁が多いので、それ現代の設備を導入した飲食店に改修しようとすると、大黒柱を切って鉄骨を入れてしまうような強引な改修をしてしまう業者さんもいるんですね。クライアントのご要望にはなるべく応えつつも、クライアントにも建物に寄り添うような商売をしていただけるよう我々は事前にすり合わせを行ってます。

京町家を改修したラウンジ・カフェ兼宿泊施設

京町家を改修したラウンジ・カフェ兼宿泊施設

京町家を改修したラウンジ・カフェ兼宿泊施設

また現代の生活習慣に適応した京町家の改修も提案しております。K邸では玄関奥に床の間が設けられていますが、これは本来あったものではなく新たにデザインしたものなんですね。来訪者をもてなす床の間は、本来座敷に設けられるのですが、現代の生活では座敷に上がってもらう機会はほとんどなくなってしまったので、玄関でお話ができたらという思いで玄関に床の間をつけました。古い様式にばかり囚われるのではなく、今の暮らしに合わせた改修も提案しています。実は現行の新築基準に則って、新築の町家も手掛けているんです。

K邸

K邸

K邸

———新築の町家が建てられるのですか!?

一捻り工夫は必要になるのですが、そこまで難しくはないんです。木造ではあるので防火に気を配る必要があるものの、実は木材は1分間に1ミリずつしか燃えていかないんですね。なので厚さ30mmあれば、燃え切るまで約30分掛かるんですよ。その木材の特徴を加味して、京都府建築工業協同組合では、独自に木材の厚み等の耐火基準の実験をし、国の告示に追加されました。よくバラエティ番組で、京都府民は今でも京都を首都だと思っていると揶揄されたりしますが、のように自発的に取り組むところが、京都のいいところなんじゃないかと思っています(笑)。関東大震災以降、学問の世界では鉄骨や鉄筋コンクリートの研究が主流となり、木造建築は長らく研究が進んでいなかったんですが、現在は評価が見直されて急速に研究が進み、ここ最近木造の大型建築も増えてきています。鉄筋コンクリートは確かに木造より耐久性はあるんですが、建造から解体に至るまでのライフサイクルコストが非常に掛かりますし、残骸は全てスクラップになってしまいますが、木造の場合は傷んでいない部分は全て転用可能です。SDGsの観点からも、これから木造建築が主役になっていくのかなと思てます。

新築の町家

新築の町家

新築の町家

———冨家さんは他にも京町家作事組では理事を務められ、さらに京町家居住支援者会議にも名を連ねるなど、様々なアプローチで京町家の保全活動に携われています。

現存する京町家の件数が減っていけば、自ずと作り手も減少していきます。京町家作事組は、京町家の改修・修繕の相談窓口としての役割を果たしていますが、一方で左官、表具、瓦、建具、板金など京町家を手掛ける職人が集まった組合でもあり、事業継承や人材育成も大きな役割の一つです。私自身も京町家の仕事に携わり始めた頃は、京町家のいろはを学ばせてもらいお世話になった団体でもあるので、今度は僕が後発を育てる番やなと思てます。京町家居住支援者会議は、京町家のオーナーや住民を支援していくのが主な目的で、こちらは改修のみならず、建物の状態検査や利用方法の提案、賃貸や相続についてなど多面的な視点で助言を行っています。また京町家なんでも応援団というNPO法人も立ち上げ、京町家の暮らしを紹介する啓蒙活動をしていますね。

京町家なんでも応援団の活動の様子

京町家なんでも応援団の活動の様子

再三になりますが、京町家を守っていくためには、技術面だけではなくソフトも重要な要素です。受け継ぐものは建物だけでなく、そこに京都の暮らしが内包されていなければ京町家の値打ちが半減してしまうんです。例えば床の間は設えを楽しむ空間なので、床の間にテレビや本棚を置いてしまってはダメなんですよね(笑)。建物を残していく上で、京都らしい暮らし方、習慣も知ってもらわないと意味がないんです。僕自身も日々勉強中で、ここ最近も庭との接し方を考えさせられる体験があって。ある大型の京町家に一人で住んでおられるご主人から相談を受けたんですけど、そのご主人が住む建物の座敷には、その建物に相応しい大きな庭があるんですね。そのお庭をご主人はすごく手間暇を掛けて世話をされているらしいのですが、庭を楽しんでいるのは自分だけやと。ましてや、そんな手間とコストも掛かる庭を、子供らに将来相続させることは果たして正しいのかなって言いはるんです。言葉に詰まってしまいましたね。机上では庭のことを理解していても、実際の体験としての庭をよくわかっていなかったことにその時気づかされました。そこで後日、京都市内にある有斐斎弘道館のお庭のお掃除を一緒にさせてもらいました。庭を身体で感じ、雑草や虫との戦いはどれくらい大変なのか、庭仕事がどのように心へ影響を及ぼすのか。それを僅かでも知ることができれば、そのご主人と気持ちが通じ合える部分もでてくるんやないかと。日々学習ですね。

京都府綾部市の里山の様子

京都府綾部市の里山の風景

———冨家さんが新たに始められていることも、景観や暮らしが主体となるご活動ですね。今後の展望を聞かせてください。

今新たに活動を始めようとしているのが、里山の再生なんです。日本の景色とは一体なんなのかを考えてみたとき、端的にいうと日本昔話によく登場する里山の風景、あれが日本の景色なんです。建築家を志すきっかけとなった修学院離宮の庭も、都市型の庭ではなく、どちらかと言えば里山の景観に結びつくんですよね。その日本の原風景というべき里山もまた荒廃してしまっている現状がありまして、里山を維持していく方法を近々で考えなきゃいけないなと思っています。とはいっても、これも京町家と同じで、里山の古民家を修繕したら解決するというわけではなく、持続可能な農業や暮らしの仕組みをまず作っていかなければなりません。段々畑のような景観として非常に美しいのだけれど、生産性の低い農地をどう維持していくかを考えたとき、観光と結びつけることが一つのモデルケースになるのではと思てます。京都近郊の里山に至っては、観光ハブとしての京都市が重要になってきます。京都市内を観光した観光客が、その翌日に京都近郊の里山に訪れるパッケージを作れば、京都市にとっても観光の新たなオプションができて相乗効果も生まれます。今は立地探しをしている段階で、最初は京都府北部を中心にリサーチをしていたんですが、京都市からいままでの活動が認められて「輝く地域企業表彰」という賞をいただきまして、それからは市からバックアップをしていただけることになり、京都市近郊の里山を新たにリサーチする計画を練っています。決して京町家の活動を見捨てたわけではないですが(笑)。新たに里山というのも自分の大きなテーマになりつつありますね。

取材・文 清水直樹
2022.03.29 オンライン通話にてインタビュー

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冨家裕久(とみいえ・ひろひさ)

保有資格
一級建築士・京都市文化財マネージャー(建造物)
京都府耐震診断士
京都市耐震診断士

所属団体
一般社団法人 京都府建築士会 理事
京町家居住支援者会議
NPO法人 古材文化の会
一般社団法人 京町家作事組 理事
NPO法人京町家なんでも応援団 理事長

略歴
1973年7月 京都府生まれ
1996年3月 京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)環境デザイン学科卒業
1998年3月 京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)大学院修士課程(芸術学修士)修了
2000年3月 二級建築士 冨家建築設計事務所 設立
2008年3月 一級建築士 冨家建築設計事務所に改称
現在に至る

2022年で開業22年となりました。今まで幅広いジャンルで仕事をさせていただきましたが、すべての仕事に通じるものはクライアントとのコミュニケーションの確実さだと思います。「よく話を聞き、理解し、答える」を基本に仕事をしています。現在は京町家をはじめとする古民家再生を主に手掛けていますが、ただハードを直すだけでなくその中に入れる文化も伝えていければと日々勉強しています。建築は「文化を入れる箱」だと考え設計にはその建物にまつわる色々な背景・文脈を読みとりながら設計していくことが楽しい作業です。これからは都市部から飛び出して里山にも目を向けて日本の風景を維持していきたいです。


清水直樹(しみず・なおき)

美術大学の写真コースを卒業し、求人広告の制作進行や大学事務に従事。現在はフリーランスライターとしてウェブ記事や脚本などを執筆。